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#ネタバレ 映画「幸せになるためのイタリア語講座」

「幸せになるためのイタリア語講座」
2000年作品
幸先
2004/5/15 12:10 by 未登録ユーザ さくらんぼ

( 引用している他の作品も含め、私のレビューはすべて「ネタバレ」のつもりでお読みください。 )

なんとなくピンと来るものがあって映画館へ走った。雨の中、久しぶりに訪れた場所だったので、道に迷い濡れながら上映開始ギリギリの到着だった。

良い雰囲気の映画だ。明るすぎもせず、暗すぎもせず、暖かい気持ちになれる作品だった。とくに牧師役の青年がいい。どこか雰囲気がスパイダー・マンのあの優しそうな青年に似ている。

映画は人生に哀しみ苦しんでいる人たちが、気分転換のために、また何かに導かれるようにイタリア語講座に集まり、やがて幸せを見つける話である。いつか何処かで読んだ「人には家庭と職場の他に、もう一つ別の世界が必要だ。」という言葉をこの作品は思い出させてくれた。

映画の舞台であるデンマークからイタリアへは、およそ東京からグアムぐらいの緯度がある。北欧デンマークの人たちはイタリアに南国の香りを感じているのかもしれない。南国は南の島と同じく楽園(天国)のイメージなのだろう。

しかし少々気になる描写もある。映画は牧師が教会にやってくるところから始まる。その牧師は前任者から親切に迎えられないのである。実は二人とも愛妻を病で亡くしている。そのため前任者は信仰が揺らぎ世捨て人の様になっている。後任も少し迷いがある。

映画は信仰のみに頼る幸せの求め方に疑問を投げかけているのだろうか。教会や牧師が登場するのにそこが映画の中心にはならない。イタリア語講座が中心になるのである。

やがてイタリア語講座の仲間達はイタリア(地上の楽園)へ出かけることになるが、到着したベネチアは小雨が降っていたように濡れていた。又、あるカップルはビルの陰のゴミ捨て場のベッドで愛し合う。牧師は恋人ができ、イタリアにも旅行出来たせいか、趣味のイタリア車を売り払うとの宣言もする。

映画では「失恋すると雨が降る」ように、「雨は哀しみの表現」としてよく使われる背景であるので、恋愛が実ったラストシーンで登場するのは意味深である。またゴミ捨て場のベッドなどは新しい恋人達の愛し合う場としては哀しすぎる雰囲気が漂う。それに牧師が信仰のみではなく、イタリア車にも幸せを求めていた事を告白したシーンも見過ごせない。

これらは、逆に信仰を離れては、ほどほどの幸せしか得られないと語っているようにも観える。素直そうでいてどこかヒネリを感じる。もしかしたらブラックな作品だったのかもしれない。しかし、ほのぼのとした佳作である。

追記 ( ショッキングピンクのおばさん ) 
2015/7/28 15:27 by さくらんぼ

都会の公園、

夏の日の、

白日夢。

公園などで、立禅の瞑想をした後は、いつも現実世界に戻ってこなければなりません。

そのために、直後は、だるまさんの様に、目をかっと見開いて、あたりを見渡すのです。

立禅をした直後は、心が風のない湖のように澄んでいるので、あたりを見渡せば、たとえ何十秒かにしても、美しい世界の片りんを感じることもできます。

よく、悟りを開くと、なんでもない俗世間の景色が光り輝いて見えると聞きますね。たわむれに立禅をしたところで、悟りなど開けるわけでは無いのですが、それでも、日常生活に忙殺されている時には、気がつかなかったもの、それも、美しいものに気がつくのです。

その日は、百日紅(さるすべり)の樹のてっぺんに、夏らしいショッキングピンクの花が咲き始めていたのに、気がつきました。あの色は、夏の高温多湿にも負けない、夏にふさわしい、鮮明なピンクでありました。

足もとのシロツメクサでは、黄色っぽいシマのある、愛らしいミツバチが、無心に遊んでいます。

近くの草では、薄いグレーのトンボが立禅のまねをして静止しています。

そして、セミの大合唱が、嵐の波のように、おしよせてきます。

私はときどき思うのです。

だれも気づかぬうちに、あの大合唱の中にまぎれてしまい、秋になったら、セミといっしょに、消えてしまうのも、幸せではないのかと。

でも、そんな気持ちを、ショッキングピンクのおばさんは、人生は陽気に楽しむものよ、と破壊してくれるのでした。


(  最後までお読みいただき、ありがとうございました。

更新されたときは「今週までのパレット」でお知らせします。)


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