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#ネタバレ 映画「SUPER 8/スーパーエイト」

「SUPER 8/スーパーエイト」
2011年作品
愛と執着の宝石箱
2011/7/9 11:15 by さくらんぼ

( 引用している他の作品も含め、私のレビューはすべて「ネタバレ」のつもりでお読みください。 )

映画「E.T.」が公開された当時、何に書かれていたのかは思い出せませんが、誰かがシニカルにこう言っていました。「ETを愛せるなら、行き倒れた老婆も愛するべきだ」と。

映画「E.T.」には感動しつつも、私はずっとあの言葉が胸に刺さっていました。確かにそんな老婆がいたら、我々はE.T.を見つけたときの様に愛せるでしょうか。

そして、この映画です。映画「E.T.」が愛の基本編だとしたら「SUPER8/スーパーエイト」は上級編なのでしょう。スピルバーグが映画「E.T.」で言い残したことをドッサリ詰め込んだ宝石箱なのでした。

ここには子供が母親に持つ基本的愛情!?から始まり、青年が美女に持つ恋愛感情、そして恋人ゾンビを救おうとする崇高な愛を通して、最終的には異星人への博愛にまで話しを進化させています。

ウオーキング・ステレオは個(地球)に閉じこもった者の記号でしょう。映画は個に閉じこもることを批判しています。それでは異星人は愛せないからです。

そしてエンドロールに流れる彼らの8ミリ映像は、この映画を理解する上で大変ヒントになるものです。スピルバーグもシニカルですね。その前に多くの人が席を立っていました。

愛と同時に執着することへのマイナスも描いていました。怖い時には母のペンダントを握りしてめていた少年からペンダントが逃げていきます。もう、そろそろ、前を向いて歩き出す季節だからです。ペンダントの先には、恨みつらみで真黒に染まった地球の破壊を止めて、後ろも振り返らずにさっさと家路を急ぐ異星人がいました。「E.T.」の未練たっぷりの別れとは対照的ですね。片想いの少年も出てきましたが、実らぬ愛は、さっさとミキリをつけて、貴方を本当に愛してくれる人を探した方が良いのです。

異星人の造形が「E.T.」と比べてオドロ、オドロしく出来ていたのは(それでも、彼を愛するべきだ)というメッセージの為でしょう。強面の異星人ですが、地球侵略目的で来たのではないのなら、客人として、地球人が宇宙で恥を書くことが無い様もてなすべきだったのです。いきなり珍獣扱いして実験材料にするのは、野蛮人の行為で、失礼千万なのでした。

家に帰った異星人は、きっと「地球には野蛮で恐ろしいエイリアンがいっぱいいた。優しい言葉をかけてくれたのは最後に出会った少年だけだった。あの星には二度と近づくな!」とでも報告書を書いていることでしょう。

日本にはガメラと少年の友情を描いた映画とか、宇宙人の子供をタイム・トラベルして救った映画とかがあります。私にはあちらの方が面白かったので点数は辛めでした。やはり映画「E.T」は名作でした。

★★★☆

追記 ( なぜ異星人は怖いのか ) 
2011/7/13 11:23 by さくらんぼ

誰かが、この映画は「ロミオとジュリエット」だと言っていましたが、主人公たちの親が対立しているのに、子供たちは愛し合っている構図は、まさにそのおとりでした。

古今東西、ロミオとジュリエットにかぎらず、親が対立していれば、大人の世界の、古くて訳の分からない理屈で、純で新しい子供たちの恋愛もスムースには行きません。当然に子供たちにはストレスが溜まります。

そんな、こんなの、子供たちの怒りを、怒りに燃える宇宙人を記号として使い描いていました。この映画では無免許運転を始め、線路を走る自動車、殺人を犯したのに逃亡していく宇宙人など、ルールを破るエピソードが満載です。それは、そんな子供心の代弁なのでしょう。

これが「E.T.」と同じく映画の隠し味として機能しているのですが、しかし、この映画の評判があまり高くないのは、理由は複数あるにせよ、スピルバーグが現代という時代背景を読み誤ったのかもしれません。「E.T.」では成功したのに残念です。


( 最後までお読みいただき、ありがとうございました。
更新されたときは「今週までのパレット」でお知らせします。)


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