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#ネタバレ 映画「ライ麦畑で出会ったら」

「ライ麦畑で出会ったら」
2015年作品
秋の旅
2018/9/8 16:15 by さくらんぼ

( 引用している他の作品も含め、私の映画レビューはすべて「ネタバレ」のつもりでお読みください。)

思わずチラシを手に取ってしまいました。晩秋の郊外の道を、青年が一人歩いている写真の。

何の変哲もない画ですが、なにか引き込まれるものがあります。

写真の右端を見ると、いろいろな映画賞を10ぐらい受賞しているようです。

観たい作品です。秋の楽しみが一つ増えました。

「 明日はきっと、今日よりはマシさ。たぶんね。」

( チラシのキャッチコピーより )

追記 ( 映画+漫画 ) 
2018/11/1 9:38 by さくらんぼ

いつもの言わけですが、私はブランチの後、映画を観ることがほとんどなので、映画の前半は、睡魔と戦っているのです。

しかも、最近は横着になって、寝ている事に気づいても、夢の中で「おきたくない…」と思っているほど。贅沢かつ、背徳的で、甘美な眠りに憧れて。

今回も、それで前半の重要な部分を観ていないようで、後半だけ観ても、正直なところ、それほどの感慨はありませんでした。

「こまったな…」と思いつつ、もらってきた別バージョンのチラシを(見開きになっている)見たら、漫画で、前半のあらすじが載っているではありませんか。良かった。

しかたないので、(失礼を承知で)それをくっ付けて映画の評価をすると、これが、なかなか面白い作品(のよう)でした。

ただ、一つ、(漫画には書いてない)彼のお兄さんのエピソードが、どうやら彼の心の棘になっているようで、私は眠っていたので知りませんが、その棘の痛みを理解した上では、映画の味わいも違ってくるのかも知れませんね。

追記Ⅱ ( 既視感 ) 
2018/11/1 9:45 by さくらんぼ

しかし、この映画にはザワザワとした既視感があります。

それは他のドラマだったり、実体験だったり、主役の二人や、サリンジャーにも。

追記Ⅲ ( 映画「フラッシュダンス」 ) 
2018/11/2 10:09 by さくらんぼ

映画「フラッシュダンス」を連想しました。

どちらも、才能があってもくすぶっている人が、恋人の力も借りて、旅立つ姿を描いていたのです。

ところで、主人公・ジェイミーに、もしも大人の分別があれば、あの冒険は出来なかったかもしれません。私も外回りの仕事をした事があり、見知らぬ人の家を探し、歓迎されない事を承知で、会いに行っていましたが、小心な私には大変な勇気が必要でした。高校生ならなおさらでしょう。

しかし、「これだけは言っておく、舞台化は盗作だ!」とサリンジャーから直に言われても、学校の仲間にそそのかされて、舞台化してしまうジェイミーはいけません。

終わってから、「自分の名前を消したシナリオを持って」サリンジャーに会いに行ったのも、重ねて失礼だと思います。サリンジャーが受け取らないのも頷けます。

そもそも、本気でやりたいのなら、最初一回だけのお願いで止めてはいけませんでした。

その辺り、映画の感動に水を差しました。

追記Ⅳ ( 事件はどこで起きているのか ) 
2018/11/2 15:38 by さくらんぼ

思いだしたのは、映画「セント・オブ・ウーマン 夢の香り」に出てくる、主人公・チャーリーです。

彼は全寮制名門校の生徒。ハーバードへ推薦入学候補になるほどの才能にあふれ、人柄も高潔ですが、家は貧しく、彼女もおらず、とても大人しい。それどころか退学になりそう。そんな彼は、父性本能を刺激する!?のです。

それに比べて、映画「ライ麦畑で出会ったら」の主人公・ジェイミーは、少々お調子者のよう。(彼女を連れて)サリンジャーのところへ会いに行ったのですが、独り暮らしらしい彼から、門前払いされます。もちろん断ったのは彼女がいたからではないでしょうが。

でも、二回目に会いに行ったとき、サリンジャーは遠目で一目見ただけの彼女の事を覚えており、家の中で「彼女はどうした」と、本題には関係ない彼女の事を、口にしたのです。そして、サリンジャーは言ったのです。「彼女は良い子だ」と。

追記Ⅴ ( 「旅」と「労働」 ) 
2018/11/2 15:59 by さくらんぼ

20年ぐらい前、初めてネットの掲示板に投稿した時、私は感慨ひとしお、信じられないような気持ちでした。

つい先ほどまで、私の心の中にしか存在しなかった、その私でさえ自覚していなかった思いが、今は掲示板に掲載され、世界中に公開されている事に。

考えてみれば、素晴らしく、かつ、恐ろしい世の中になったものです。一昔前までは、多額の費用がかかる自費出版ぐらいしか方法がなかったものが、遊び感覚で、子どもでも簡単に出来るようになりました。

仕事というものは、どんな職種でも、この延長線上にあるような気がします。それは「頭の中にあるイメージを具現化すること」です。それは、ときに辛く長い旅。

だから、この映画の「旅」も、実は「労働」であったのかもしれません。

追記Ⅵ ( 戦争小説 ) 
2018/11/4 21:59 by さくらんぼ

>ただ、一つ、(漫画には書いてない)彼のお兄さんのエピソードが、どうやら彼の心の棘になっているようで、私は眠っていたので知りませんが、その棘の痛みを理解した上では、映画の味わいも違ってくるのかも知れませんね。(追記より)

お兄さんの話は、戦争小説へ繋がっていくのですね。

「 戦争描写のない戦争小説とも評される『ライ麦畑でつかまえて』への深い愛と理解をたたえ、 」

( 2018.11.4朝日新聞〈朝〉付録グローブ 川口敦子さんの映画レビュー「オマージュを越えた愛と理解」より抜粋 )

追記Ⅶ ( 反省文 ) 
2018/11/8 9:54 by さくらんぼ

チラシを見ると、主人公が「赤い帽子」を被っているのです。また、彼が持っている寅さん風トランクの色も、赤っぽく見えます。

「赤い帽子」は何の記号なのでしょう。

ウィキペディアの「レッドキャップ」を見ると、「 直訳すると『赤い帽子』。主にイングランドとスコットランドの国境付近で出没するという。ゴブリンやオーガ等のアンシーリーコート(Unseelie Court。加害性の強い妖精、悪鬼。」(抜粋)とありました。

映画「ライ麦畑で出会ったら」も、サリンジャーの立場から見れば、面会に来られるのは、まして舞台化は、迷惑至極の話だったわけです。

見開きのチラシによると、この映画は「内容の85%から99%が、監督の実体験」とか。

つまり、監督は自分の事をレッドキャップだったと反省し、サリンジャーに謝罪する映画だったのかもしれません。すると、主人公に今ひとつの感があるのも、理解できるというものです。

追記Ⅷ ( 映画「世界で一番ゴッホを描いた男」 ) 
2018/11/8 16:59 by さくらんぼ

私が学生の頃、数人で文化祭のポスターを描くことになりました。しかし、描き終わっても時間が余ったので、先生が、あろうことか「お互いに絵を交換して手を加えなさい」と言ったのです。

当時は絵を描くことが好きで、少々自信(うぬぼれ)もあったので、今でも覚えているほどショックを受けました。テストの採点ではないのです。「他人のアートに手を加えろ」とは、無神経で、何たる野蛮な行為だと。

特に、その時私が描いたのは、少し個性的な(ひねくれた)絵だったので、普通の絵に手直ししようと思えばいくらでもできたのです。でも、それでは私の個性が消えてしまう。だから怯えました。

でも、何分かの後、戻って来た絵には、まったく手は入れられていませんでした。肯定されたみたいで、とても嬉しかった。

学生時代の私でさえ、そんなプライドがあったのに、サリンジャーなら当然にそう思うでしょう。

先日、映画「世界で一番ゴッホを描いた男」を観て、複製画家に芽生えた芸術家のプライドを感じましたが、サリンジャーならもっと強かったはず(ちなみに、この映画はお勧めです。対にしたいぐらい)。

映画で、サリンジャーは、「私の小説は、読者の心を舞台としている」と言っていました。

それ以外の場所を舞台として、彼のアートを破壊しようとする者たちに対し、どれほど憤りを感じていたのかを、大人になったジェームズ・サドウィズ監督は知ったのでしょう。

「 1950年1月、短編小説『コネチカットのひょこひょこおじさん』(Uncle Wiggily in Conecticut、ナイン・ストーリーズ収録作品)の映画化作品『愚かなり我が心』をハリウッドのサミュエル・ゴールドウィンが全米公開するが、映画の評判は芳しくなく、サリンジャーもこの映画を見て激怒し、それ以来自分の作品の映画化を許可することはなかった。1950年秋『ライ麦畑でつかまえて』が完成する。」

( ウィキペディア J・D・サリンジャー『ライ麦畑でつかまえて』より抜粋)

追記Ⅸ 2022.12.8 ( お借りした画像は )

キーワード「麦畑」でご縁がありました。緑が美しい、まだ若い麦畑ですね。目に沁みます。少し上下しました。ありがとうございました。




( 最後までお読みいただき、ありがとうございました。 

更新されたときは「今週までのパレット」でお知らせします。)


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