#ネタバレ 映画「お名前はアドルフ?」
「お名前はアドルフ?」
2018年作品
それは「神」の計らいか
2020/8/17 10:07 by さくらんぼ
( 引用している他の作品も含め、私のレビューはすべて「ネタバレ」のつもりでお読みください。)
もともと舞台劇らしく、会話が主体のドラマです。
そんなに悪い作品ではないと思いますが、これも(自己責任で)不覚にも寝てしまいました。
何年か前に、日本でも自分の子供に〇〇という名前を付けようとした親御さんがいらして、役所が(おやめになったほうが…)と説得したことがありました。あの件はどうなったのでしょう。
「子の名に使える漢字」は「法務省のホームページ」などに掲載されていますが、(私の知る限り)出生届を受け付ける役所の窓口には事典みたいな本が置いてあり、出生届があると、届出人の目の前で、職員が必ず(一点一画まで正確に)文字の確認をし、問題があれば、その辞典を見せて、届出人に訂正を求めました。時々、辞典に載っていない(つまり使えない)文字があると、出なおされる方も。
使えない文字は、何を言われても絶対に使えませんから、話は単純です。
でも、ごく稀にですが、使える漢字であっても、単語の意味として「子供のためにならないのでは…」という事例があるのです。
「自己責任」という言葉がありますが、「名」でデメリットが生じた場合、子どもにとっては自己責任ですらありませんから、最後の砦である役所は、届出人に再考を促すわけです。
そんな話を思い出してしまった「アドルフ」の映画でした。
でも、子どもの性別が「女」だったらしく、延々と続く議論は無駄に終わったのかもしれません。
追記 ( 「一般論」と「個別論」 )
2020/8/17 13:58 by さくらんぼ
冒頭、このファミリーにピザの宅配が来るエピソードがありました。
応対に出たのは哲学者で文学教授のシュテファンです(メガネの男)。
ところが、彼はピザ屋の店員さんに、「高くてまずい」と、いきなり喧嘩腰で説教を始めたのです。
(何ごとかと)出てきて、「あなた、ピザ注文したの?」と聞く妻。
「してない、隣の家のピザだ」と、(それが何か的に)答える夫。
「誤配なら、どうしてあなたが文句言ってるの」と妻。
「一般論を言ったまでだ」と夫。
そして、映画のラストには、散々名前で議論した子供が、女の子だと分かるオチになっています。
議論というものは、妻の言うように個別論で行うものなのか、それとも(哲学者の)夫の言うように一般論として行うものなのか。
多分この辺りに主題があって、他のエピソードや全体の構成が成り立っているのではと、想像しました。
追記Ⅱ 2023.4.14 ( 「一般論」と「個別論」② )
>議論というものは、妻の言うように個別論で行うものなのか、それとも(哲学者の)夫の言うように一般論として行うものなのか。(追記より)
主題についてもう少し詳しく書いてみます。
夫は議論を一般論としてしたがり、自分が注文したわけでもないピザ屋に文句を言い、(一般論として「アドルフ」という名自体に問題はないと)自分の子供の名に付けようとしました。そして、子どもが善人としての人生を送ることで、それを証明をしようとしていたようです。
夫の論理は学者的であり、それに反対した仲間の論理は政治的だと言えるのかもしれません。
追記Ⅲ 2023.4.14 ( 日本での「名の変更」について )
夫は、どうしても名の実験をしたいのなら、子どもにやらせず、自分でやればよいのです。
例えば、日本では家庭裁判所の許可を得て、市区町村役場に、名の変更の届をすることになります。
ただし、名の変更には正当な事由が必要であり、「アドルフ」にしてもらえるとは思えません。
逆に、「アドルフ」をやめることは、たぶん出来るように思います。
( 最後までお読みいただき、ありがとうございました。
更新されたときは「今週までのパレット」でお知らせします。)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?