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#ネタバレ 映画「阪急電車 片道15分の奇跡」

「阪急電車 片道15分の奇跡」
2011年作品
チグハグは調整される
2011/5/15 13:38 by さくらんぼ

( 引用している他の作品も含め、私のレビューはすべて「ネタバレ」のつもりでお読みください。 )

お風呂に飛び込んで湯があふれても、時間がたてば元の落ち着きを取り戻します。世の中がどんなアンバランスな状態になり、トラブルが発生していても、時がたてば落ち着くところに落ち着くものなのです。

でも、もっと早く解決したいのが人情です。そこで、そのための装置が登場します。それが「電車」なのでしょう。電車は沢山の人を乗せて、時刻表どおりに、決められた線路を、駅を、走ります。その姿からモラルの象徴としての記号になります。

ですから、本当は主人公が電車に乗って、ぼんやり車窓を眺めているだけで、問題解決のヒントをつかんでも良いのですが、つまり無機物から悟りを開いても良いのですが、それでは映画的につまらないので、ここはひとつ人間を絡ませてみようということになったのでしょう。

映画に出てくる善人は、行きずりの他人だからこそ、直感で率直にアドバイスできたのでしょうね。

残念なのは、現実には、大人になるほど、知恵がつくほど、他人に関わらない人たちも出てくることです。人生相談が出来るほどの見識をもっていながら、親切なアドバイスはしない。「あなたの忠告に従ったら損害をこうむった」と逆に因縁をつけられるのを恐れるからです。アドバイスさえしなければそのリスクはゼロになりますから。

それも哀しい決定ですが、そもそも大人であるならば、いかに他人から忠告をされようとも、最終決定は自己責任でするのが常識であり、それが出来ない人はまだ子供である、ということすら知らない大人が居る事も悲しい現実です。

おもしろい映画でしたが、ラストに時江がババタリアンたちにお説教するところが微妙にカットされる演出になっていました。ここは映画「セント・オブ・ウーマン」の様にキチッと観せてカタルシスの落とし前を付けて欲しかった。そうでなければ完全カットにして欲しかった。ときどき説教の声がもれ聞こえてくるが、断片的にしか聞こえないという、どっちつかずのセンスが残念でした。

余談ですが、なぜ犬は噛みついたのでしょうか。犬は時江と恋人どうしでした。そこにお見合い相手が登場したので、犬なりに直感で嫉妬したのですね。これも三角関係のトラブルです。冒頭の三角関係とも符合したシナリオでした。

★★★

追記 ( ゴジラvsキングギドラ )
2011/5/17 9:47 by さくらんぼ

>おもしろい映画でしたが、ラストに時江がババタリアンたちにお説教するところが微妙にカットされる演出になっていました。

翔子は結婚式に白いドレスを着て行き、彼らに、嫌味な思い出、を植えつけようとしました。

そのとき翔子がもらってきた引出物も、皮肉なことに、結婚式の思い出を忘れないで(引出物の意味合いは色々ありますが、この映画で語られているものを類推)、という意味でした。

幸いにも途中で割れた様なのでゴミ箱行きとなり(中身は花瓶か)、思い出戦争も終焉をむかえます。

ところで、陶芸教室にでも通っていたのでしょうか、時江も花柄の花瓶らしきものを自作し、息子夫婦にいくつも(しつこく)贈っていました。これも同様に、私を忘れないで、というシグナルだったのでしょう。

時江と息子夫婦の関係については映画では直接には語られていませんが、時江が孫に接する態度が幾度となく描写されており、それを観ればおおよそ類推できます。

時江が孫に接する態度には厳しさがありました。態度に棘も感じられます。もちろん子供に躾は大事ですが、基本的に棘は不要です。棘は拒絶のシグナルと誤解されます。時江のそばにいると私なら自信をなくしてしまいそうです。自信を無くした子供は、やがて、おばあちゃんを避けるようになります。それどころか子供は一生涯、自信の無い人間として生きることになりかねず、何十年の内には、取り返しのつかないほど大きく人生の軌道が曲がってしまうことになりかねないのです。

祖父母は、普通は孫を盲目的に可愛がり甘やかすものです。その孫にも棘をむけるなら、自分の息子には、さぞかし刺々しく躾をしたことでしょう。それで息子は優しかった父親の死をきっかけに逃げていった。息子はトラウマを抱えている可能性大です。

ひとり残された時江は、自分は息子を愛していたのに何故捨てられたか分からず、途方にくれながら、私を忘れないで、と花柄の花瓶ラブレターを贈り続けたのでしょう。でも、おばあちゃんは、在るがままの息子を愛してはいなかった、少なくとも息子はそう感じていたのです。映画「英国王のスピーチ」に観る親子の悲劇がここにも垣間見えました。当然、お嫁さんにも嫌われていたことでしょう。

そして、この映画のラストは時江vsババタリアンの決戦になります。時江の本性がここに爆発します。この口火を切ったのは孫娘でした。本人は気づいていないかもしれませんが、これは孫娘からおばあちゃんへの巧妙な報復攻撃だったのかもしれません。

そうすると映画「ゴジラvsキングギドラ」の様なバトル・シーンをズバリと描写しなかったのは、それが時江の欠点でもあったから、だったのかもしれません。それを開けっぴろげに描写したのでは、奥ゆかしいドラマとして身も蓋も無くなってしまうのでしょう。されとて完全カットでは観客にシグナルが伝わらなくなってしまう。そこで、あの様などっちつかずとも思えるような微妙な演出になったのかもしれません。あれで棘が消えますから。

ちまたに昔ながらの頑固親父や何とか婆さんがいなくなりました。彼らも家庭内では家族にトラウマを植え付ける問題児であった可能性もありますが、家庭外で時江の様に本性を発揮くれれば社会貢献にもなるのではないかと、そんな事もこの映画は裏側では語っていたのでしょうか。

追記Ⅱ ( お座りになりますか? )
2016/2/17 15:15 by さくらんぼ

ある日、子供の手を引いた若いお母さんが電車に乗ってきました。すぐさま中年の男性が子供に席を譲ろうとしました。そのときお母さんは、お礼を言いつつも「子供は座らせないことにしていますので…」と断りました。ご承知のように子供を座らせることについては議論があります。私もお母さんと同じく、原則立たせて良いと思います。

でも男性は、収まりがつかなくなったのか、「子供は座らせるべきだ」と主張し続け、他人様の育児方針に介入して、強引に座らせてしまいました。座るか立つか、どっちが正解にせよ、子供の前でメンツをつぶされるお母さんの立場も考えてほしい。

また先日は、中年のご夫婦が乗ってきました。連結器近くの優先席には20歳ぐらいの女性が座っていました。と、その数秒後、空席を探していたらしい中年男性が隣の車両からやってきてそこに遭遇し、「この人たちに席を譲りなさいよ! 気が利かないなぁ、最近の若い奴は」と急に大きな声を上げたのです。

中年男性は無意識に、自分が座れない苛立ちを中年ご夫婦に投影して怒ったのですね。ご夫婦が立っていたのはわずか数秒間だったことも知らずに。私は恐縮する中年ご夫婦と、唖然として席を立った若い女性の、両方が気の毒でした。

私にもありました。大きなキャスター付きの荷物(アーチェリーの道具)を持って乗車し、電車の壁際へ行こうとしたら、「荷物が大変そうだから座ってください」と若者に席を譲られたのです。

私は大変恐縮しつつもお断りしましたが、遠慮だと思われたみたいで、風のように隣の車両に行ってしまわれました。私はもっとハッキリと「立っているのが好きなんです」と言うべきだったかもしれません。

ほんとうに私は子供の頃から立っているのが好きなのです。昔は映画立ち観も珍しくありまあせんでした。映画「マトリックス」などは風邪気味だったのに壁にもたれて全編観ました。趣味と健康を兼ねてアーチェリーや、公園での気功やウオーキングもしています。筋力トレーニングのつもりで、あえてカバンは重くしています。

最近は健康的な「立ってするデスクワーク机」にも注目しています。レビュー書きに欲しいなと。若い頃に仕事で似たような机を使っていました。高さ調整ができ、ひじ掛け、背もたれ、足乗せもある、少しスツールに似た細長い専用チェアー(キャスター付きカウンターチェアーと言うのかな)もセットで使い、立ったり座ったり、自由に仕事が出来る環境で、最高に快適でした。

「年上や子どもに席を譲ったり、若者に席を譲らせることは、無条件の正義である」みたいな考えは、ときにKYであることも知ってほしいのです。「座ってください!」ではなく、「お座りになりますか?」の世界観が良いのではないでしょうか。みんなが気持ちよく電車に乗るためにも。

「デスクワークは体に悪い―長時間座ると死亡リスク増大」(NAVERまとめ)、も一見の価値ありです。



(  最後までお読みいただき、ありがとうございました。

更新されたときは「今週までのパレット」でお知らせします。)


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