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【連載小説】雨がくれた時間(連載中)

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『雨がくれた時間』を全部まとめたマガジンです。
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記事一覧

【連載小説】雨がくれた時間 13.かけがえのない時間

前回の話はこちら 第12章『告白』 始めの話はこちら 第1章『思わぬ雨』       13 かけがえのない時間 「すまない。驚かせて」  そう頭を下げる澤村の顔は、頬に浮かぶ静かな笑みとは裏腹に少し青ざめて見える。 「本当は墓場まで持ってくつもりだったんだがな……うっかり口が滑った」  覇気のないその笑い声が、無理に明るくふるまう澤村の胸中をそのまま表しているようだった。 「墓場だなんて……なに言ってるんだろうな、俺は」  なにげなく“墓場”という言葉を口にしたことに気

【連載小説】雨がくれた時間 12.告白

前回の話はこちら 第11章『晴れていく迷い』 始めの話はこちら 第1章『思わぬ雨』         12 告白  並んで虹を見上げる私と澤村の間を、涼やかな風がふわりと通り抜けていく。さっきまでの湿り気をおびた潮風とはまるで違う、さらりとした、とても爽やかな風だった。 「どうした?」  誰かに呼ばれた気がしてあたりを見渡していると、澤村が不思議そうにこちらを見ながらそう聞いた。 「今、名前を呼ばれた気がしたんだけど……あなた……じゃないわよね?」 「いいや。風の音じゃ

【連載小説】雨がくれた時間 11.晴れていく迷い

前回の話はこちら 第10章『意外な素顔』 始めの話はこちら 第1章『思わぬ雨』       11 晴れていく迷い 「気は済んだか?」  ようやく笑いがおさまり息を整えている私へ、澤村がそう問いかける。 「うん。済んだ」  自分でも驚くほど弾んだ声はいつもよりかなり高くなっていたが、彼は気にした様子もなく「なら、いい」と静かに言った。ついさっきまで、すねた子供のように膨らませていた頬には、いつもの柔らかい笑みが戻っている。 「見ろよ」  彼はいきなりそう言って、すっかり雨雲

【連載小説】雨がくれた時間 10.意外な素顔

前回の話はこちら 第9章「二つの笑い声」 始めの話はこちら 第1章「思わぬ雨」        10 意外な素顔  改札を抜けると、雨のあとの少し湿気を含んだ風が前髪を揺らす。  ホームの端に目をやると、線路の先を見つめてたたずむ澤村の姿があった。 「すっかり、やんだな」  なにも言わず隣に立つと、澤村は線路の先を見つめたままそう話しかけてきた。 「ほんと。さっきまでの雨が嘘みたい」 「ああ」と頷く彼の首筋に小さな切り傷があるのが目に入る。 「どうしたの?」 「ん?」 「そ

【連載小説】雨がくれた時間 9.二つの笑い声

前回の話はこちら 第8章「彼の理由」 始めの話はこちら 第1章「思わぬ雨」       9 二つの笑い声 「おかえりなさい」  振り返ると、あの若い駅員さんが制帽を取ってニコニコと私に会釈している。  反射的に「ただいま」と答えたものの、それはなにか違うような気がしたからか、その声はひどく小さくなってしまった。  せっかく笑顔で出迎えてくれたのに、こんな返事では申し訳なくて「ただいま戻りました」ともう一度、今度は笑顔ではっきりと言った。 「かなり濡れたんじゃないですか?」

【連載小説】雨がくれた時間 8.彼の理由

前回の話はこちら 第7章「あがる雨」 始めの話はこちら 第1章「思わぬ雨」        8 彼の理由   「そういえば、今までどうしてたの?」  渡されたままだった澤村の傘を閉じながら、なぜあの路地裏から出てきたのかが気になって聞いてみる。  私よりも早くお参りしてくれていたのだから、少なくとも正午前には七瀬家の菩提寺に着いていたはずだ。  その証拠に彼のデニムパンツの裾には、あまり濡れたあとがなかった。きっと寺を出たときもまだ雨は降っていなかったのだろう。なのに、こうし

【連載小説】雨がくれた時間 7.あがる雨

前回の話はこちら 第6章「言えない心」 始めの話はこちら 第1章「思わぬ雨」        7 あがる雨    気がつくと、澤村が少し歩調をゆるめてこちらを見ている。 「今日はどうしたの?」と、彼から視線をそらして言った。 「どうしたって、悟の墓参りに決まってるだろ」あっけらかんと澤村は答える。  うわずった私の声に気づいた様子はまるでなかった。 「そうじゃなくて。どうして来てくれたの? 月命日でもないのに」 「最近来てなかったからな。久しぶりに悟に会いたくなった」  なぜ

【連載小説】雨がくれた時間 6.言えない心

前回の話はこちら 第5章「邂逅」 始めの話はこちら 第1章「思わぬ雨」        6 言えない心   「最近、来てなかったのか? 悟の墓参り」  私のビニール傘をさしたまま並んで歩いていた澤村が、唐突に聞いた。  理由を深く追及されたくない一心で「時間が取れなくて」とだけ答える。 「君にしては珍しいな。どんなに忙しくても三ヶ月に一度は墓参りを欠かしてなかっただろ?」 「なんか、最近バタバタしてたのよね。ほら、結衣がちょうど受験だったし……」 「すまん。休みもほとんどあげ

【連載小説】雨がくれた時間 5.邂逅

前回の話はこちら 第4章「やまない想い」 始めの話はこちら 第1章「思わぬ雨」         5 邂逅    坂道を下り終えた頃、ようやく雨は小降りになった。  うつむきながら歩いていたせいで、路地裏から出てきた人とぶつかりそうになる。  紺色の傘をさしたその人は「七瀬?」と、いきなり私の名前を呼んだ。  その低い声に驚いて傘を上げると、間違いようがないほど聞き慣れた声の主がやはり驚いたようにこちらを見つめている。 「なんで、ここにいるのよ?」 「それ……ひどいな。ジャケ

【連載小説】雨がくれた時間 4.やまない想い

前回の話はこちら 第3章「あなたの返事」 始めの話はこちら 第1章「思わぬ雨」       4 やまない想い  雨はやむ気配がなく、まだ降り続いていた。  透明なビニール傘を滑り落ちていく雨粒のように、すべて流れていってしまえばどれだけ楽なのだろう。  どんなにあらがっても消せないこの想いは、まるで鉛のように鈍く私の身体の底に沈んでいる。それが両足に絡みつき、坂道を下る足取りをずっしりと重くしているような気がした。  突然、冷たいという感覚が右半身をおそい驚いて顔を上げ

【連載小説】雨がくれた時間 3.あなたの返事

前回の話はこちら 第2章「十年の歳月」 始めの話はこちら 第1章「思わぬ雨」       3 あなたの返事    ようやく坂を登りきると、目の前に広がる風景にはっと息を呑んだ。  雨で煙り、ぼんやりと霞のなかに浮かんだ街並みは、まるで一枚の美しい水墨画のようだった。 「きれい……」  雨の中、かなりの段数の階段を登ったせいか疲労はピークに達していたけれど、この幻想的な風景を見ることが出来ただけで、いくらか疲れも和らぐような気がした。  そうやって、しばらくの間ぼうっと眼下の

【連載小説】雨がくれた時間 2.十年の歳月

前回の話はこちら 第1章「思わぬ雨」        2 十年の歳月    雨粒が透明なビニール傘を流れるように滑り落ちていく。  腕に抱えた紫陽花はしっとりと濡れて、みずみずしさを取り戻していた。 「あれから十年も経ったなんて……」  木々に覆われた緩やかな上り坂に、降りそそぐヒグラシの声。この坂道を登りきればあの人がいて、私を一緒に連れて行ってくれる。そんな起こりうるはずのないことを期待しながら、風に揺れる木洩れ日を車窓からただぼんやりと見つめていたあの日が、ついこの間の

【連載小説】雨がくれた時間 1.思わぬ雨

       1 思わぬ雨  雨が降っていた。傘なしでは歩けないほどの雨だ。  家を出たときは太陽が気持ち良さそうに顔をのぞかせていたせいで、折りたたみの傘すら持ってはいなかった。 「天気予報、ちゃんと見てればよかった……」  ――明日は昼すぎから雨になるでしょう――  昨夜、点けっぱなしにしていたテレビからそんなひと言を聞いたと、今さら思い出してため息が出る。 「そういえば……テレビなんて、まともに見たのいつだっけ……」  毎日が目まぐるしく過ぎていって、気がつけば自分の