J.S.バッハ試論

J.S.バッハ(以下バッハと略す)は1685年ドイツのアイゼナハで生まれライプチヒで没し、一生涯の間ドイツを離れることはなかった作曲家である。そんな三百数年前のドイツで活動した作曲家の音楽が何故現代の日本人を感動させるのか。本論はその、なかなか終わりの見えそうにない問いに一つでも多くの答えの導きの糸を見つけていってもらおうとする試論である。
何故我々現代人はバッハの音楽に感動するのか。それはバッハと現代、あるいは現代日本の文化に共通項がいくつも存在するからである。ここで多少乱暴ではあるが現代日本文化あるいは現代文化とJ.S.バッハの間に存在する共通項を幾つか列挙してみる。

1.シミュラークルの怪物としてのバッハ
バッハは一生をドイツで過ごした。にも関わらず、実に多様なヨーロッパの国々の音楽に触れ、それらを模倣し、自らの作品に組み込んでいる。例えば、イタリアンコンチェルトでは当時のイタリアで流行していたコンチェルト・グロッソ(独奏と合奏の交代による音楽)の形式を取り入れ、明らかにヴィヴァルディの弦楽作品の模倣の跡がみられる。また、フランス組曲やイギリス組曲、管弦楽組曲におけるメヌエットやブーレなどの舞曲は当時ヨーロッパ各国の宮廷などで流行していた舞踏を取り入れている。
また興味深いことに自分の過去作の一部をアレンジし、新作のカンタータに取り入れたり、さらに他の作曲家の作品を借用し、作り替えたりもしている(カンタータ、マタイ受難曲などを参照)。
このように人の作品を借りて作品を作るというのは中世、ルネサンス、バロック時代においては当たり前のことだったようである(因みに現代では著作権の問題があり他の同時代の作家の作品を取り入れることは困難である)。
さて、以上のような他作品を自作に取り入れたり、作り替えたりする状況は現代日本においてもみられる。アニメ、ゲーム、マンガなどのオタク文化における二次創作、いわゆる同人誌である。二次創作というのはオリジナルのアニメなりマンガなりをリスペクトしつつ、そこに登場するキャラクターを自由に動かし、本編とは違った、あるいはもう一つの、あるいは本編の続きのストーリーを作っていくことで生まれるシミュラークル(模倣物)である。オリジナルのアニメを作り替えることでアニメを十二分に楽しもうとする、極めて自己充足的で閉鎖的な創作活動ではあるが、これは極めて近代、現代的な状況である。シミュラークルの現代性はフランスの哲学者、ボードリヤールによって言及されている(動物化するポストモダン(東浩紀)を参照)。
あらゆるバッハ作品をみると、自己のなかでも他者との間でも、一つの作品の中でもシミュラークルが常に渦巻き、うごめいているのがわかる。それはバッハの作品であるようでバッハの作品でないような何者かである。それをここではシュミラークルの怪物と一旦、名付けておこう。バッハは幼い時に彼の兄の所有する膨大な楽譜を夜な夜な写譜していたようだ。ヴィヴァルディやパッヘルベルを初め、当時の名高い作曲家達の楽譜が彼の脳内にトレースされ、それらが時にアレンジされ、あるいは原型を留めたまま、バッハの手を通じて楽譜にアウトプットされていく。
このようにバッハの時代と私達が生きる日本の文化には歴史の平行現象とも言えるものが存在する。それはバッハがドイツを一歩も出なかったことと日本が島国であることの両者にみられる閉鎖性にも関係しているかもしれない。

2.ポストモダンとしてのバッハ
バッハの平均律1-1のような同じ音型が繰り返されていくような作品を演奏していると、雲の形や海岸線の形を連想するときがある。不定形で時間の経過とともにとてもゆっくりとうつろいゆき、遠くからみるとシンプルな形だが近くでみると複雑な形をしているものをフラクタルと呼ぶ。
哲学者、浅田彰はドイツの哲学者ライプニッツのモナドロジーとマンデルブロ集合に共通性を見いだしている。ポストモダンと言い換えても良いだろう。
ライプニッツと同時代に生きたバッハにもポストモダンの性質が備わっていると仮定してみよう。因みにバッハはライプニッツの書物を読んでいたらしいという記録が残っている。

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