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言葉について

こんちには!
画家として活動している、あおやまゆうです。

自己紹介や説明を要する時には画家、と名乗りますが、色々自分で行っているので一言で説明するのは難しいような気がします。
今回はそのことに関係するかもしれない話。

わたしは個展などで絵を展示する際、言葉も一緒に添えています。

この言葉たちは、自分にとっては詩と呼ぶにはちょっと足りない、ような、絵の補助のような、でも絵と一緒に見てもらえたらわたしの気持ちが少し伝わるかな、と考えて添えています。
わたしは口下手、というか、大抵の場合自分の伝えたいことをうまく伝えられないことが多いので、先手を打ってるというか…

なので、この言葉を好きだと言っていただけることはとても嬉しい!と不思議!が混ざって感じます。
あくまで補助のような、独立して言葉だけを考えたことがなかったので、やっぱり不思議です。もちろん嬉しいですが。

だけど、自分の中で当然すぎているわたしの絵の根本の部分、愛の話を、言葉を添えることで説明することを疎かにしてしまっていたなと気付きました。
この愛情の気持ちを、そんな簡単に説明できないから絵を描いていたはずなのに!
その感情の話無しでは、見え方が全く異なってしまう。

今年、大阪のアトリエ三月様で個展を開催させていただきました。
その時にオーナーの原さんに沢山いろいろなお話をしていただいて、聞いていただいて、自分の足りない部分が今はすごく見えています。
そういう部分をもっと絵を見てくださる人に説明できるようにならなければいけないタイプなのだと思う!私は。

ぜひ原さんの書いてくださったnote読んでくださると嬉しいです。

今わたしが色々語るよりよっぽど分かりやすい言葉で書いてくださっています。
そのまんまです。
会期中のyoutube生放送とかもぜひ見てほしいです。


少し脱線しましたが!
最初の話、わたしは絵描きで、画家と名乗るけれど、
絵を描き、言葉を添え、アクセサリーを作り、宣伝し、販売し、事務的な作業も全て個人で、ひとりで行っています。
もちろん確定申告も、画集や名刺やパッケージのデザインも。

最早なんでも屋なのでは?
全て自分のことしか出来ないけれど。

ずっと、どっちつかずな、体の中に意思が何個もあるような気持ちでいたことに今更惑わされてしまったことに気付きました。
どのこともちゃんと出来てない気がする、冷たい目で見ている気がする。
言葉の扱いに固執するのだって、その一部。
職業の名前にこだわるのだって、そのせいだと思ったんです。
わたしは絵を描く人。
そして言葉も書くし、アクセサリーも作る。
アクセサリーは元々絵を見てもらうためのキャッチーな導入として作り始めたけれど、手を抜いたことはなし、今でも品質向上のためにいつでも工夫してる。
絵だけで戦えない自分をずっと引け目に感じていて、ずっと恥ずかしく思ってた。

今、わたしはそういう人なんだって、そう納得できるように、やっとなれました。


自己紹介文とステートメントをずっと書いては書き直し続けています。
自分を客観的に説明するのは難しいですね。
昔は絵だけ見てもらえればなんでも分かってもらえると盲信していたので、改めて考えています。
伝えなきゃ伝わらない。
言葉にしていないことが、伝わってると思うなんて驕りだし、心の内なんて見えもしない。

これからはわたしの中にある好きの塊を沢山紹介してお話していくので、気が向いた時に見てもらえると嬉しいです。

ときどき大仰な言葉まわしになってしまうのは大目に見てね!


長くなってしまったので、今日はこの辺で。


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