私がどうやって毎日を「生きて」いる/いたのか ②|青山

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※今回も、青山さんに寄稿をお願いしました。こちらはシリーズ化を考えています。


私がどのように生きていたのか、ということを振り返る際に、学生時代を抜きにすることはできません。

小学校の頃

私は、小さな町の小学校に通っていました。
クラスは1学年2クラスで、1学年は50人くらいでした。

幸いなことに、4年生くらいまでは、「男女の違い」というものを気にする必要がありませんでした。
トイレや更衣室は違いましたが、「まあ違うもんなんだ」という認識です。名簿も男女混合でしたし、一緒に遊んでいました。
「男の子だから」「女の子だから」と言われるわけでもなく、割と好きに遊ぶことができていました。

それが変わったのは、高学年になった時です。
ある日の休み時間、トイレで男の子たちが自分たちの性器の大きさを比べあう遊び(?)をしているところを目撃してしまったのです。
この時、強烈な嫌悪感と、違和感を覚えました。
「私はこの人たちとは決定的に違う何かだ」と。
そして、「このことは決して知られてはならないことだ」と。
この頃は、ジェンダーアイデンティティなどの知識もなかったこともあり、性別違和であることを知る由もありません。
そのまま、中学校に進学します。

中学校の頃

中学校に進学すると、「男女の違い」を嫌でも感じざるを得ませんでした。
髪型や服装、男女で異なる授業内容……。自分が”男子”であるということをまじまじと実感させられました。
ここでも、「このことは決して知られてはならないことだ」という思いがあり、堪えていました。

そしてこの頃から、重度アトピーとの戦いも始まります。
重度アトピーは、乾皮症との併発で、皮膚がポロポロと落ち、その見た目からいじめを受けるようになりました。
また、アトピーは悪化すると、日和見感染を起こしやすくなり、全身皮膚感染症で入院を何度か繰り返しました。

中学3年生になった頃には、限界が来ていました。
性別違和のこと(この頃になって初めて性同一性障害・トランスジェンダーという生き方を知りました)もそうでしたが、アトピーによるいじめが心を抉っていました。
3年生の3学期ごろ、一時的に学校に行けなくなりました。

なんとか高校受験は合格し、高校に入学することになります。

高校生の頃

高校生の頃も性別違和・アトピーとの戦いです。
特に、アトピーによる入院が何度も何度も繰り返されました。
入学して4日目に入院、高校生活のスタートは最悪でした。
学校に復帰した頃には、授業に追いつくことすらままならず、友人関係を構築することも難しい状態でした。

また、この時期からアトピーの見た目からいじめを受けるようになります。
性別違和に関しては概ね隠せていたのだと思います。
それについて何かを言われたことはありませんでした。
しかし、乾皮症・アトピーに関しては、見た目や搔き壊しによる滲出液の見た目、剥がれ落ちた皮膚、そういった部分をみたクラスメイトからいじめの対象になりました。
単純です。「気持ち悪い」から。

1年生の終わり頃から、2年生の半ばごろまで、学校に通えない(通えても保健室登校)の日が続きました。

正直にいって、いまだにあの時のいじめについては許せていません。
これからもゆるすつもりはないでしょう。
現在でも、いじめの加害者に似ている人を見るとフラッシュバックを起こして発作を起こします。
そのくらい、私の心は傷ついていました。

高校時代は、性別違和について隠し通すと言うパッシングはできていたようです。誰からも気づかれることはありませんでした。
これは最悪の高校生活の中でも、幸いなことでした。

大学時代

大学時代になると、幸運なことに自分によく合うアトピーの治療薬と出会います。
重度アトピーの治療に用いられる注射薬で、1筒8万円弱します(薬価)。これを3ヶ月分、6筒まで処方ができ、保険と高額療養費制度を使って月2万円程度の治療費でアトピーをほぼ気にしなくても良い生活になりました。

しかし、性別違和に関しては、精神の限界が来ていました。
大学3年生のとき、教育実習は男性として行いました。
子どもたちは意外と鋭いです。子どもから言われた
「先生って女の子みたいだね」
と言う言葉で、私のパッシングがうまくいっていないことに気づきます。
そして教育実習が終わった頃、うつ病を発症します。

うつ病は二次障害として発症しました。
二次障害とは、別の疾患や障害が原因(一次障害)となって発症する障害のことです。
私の場合、性別違和と発達障害が原因(一次障害)となってうつ病を発症しました。
うつ病になると、体が動かなくなり、大学に行くこともできなくなりました。
好成績で推移していた大学の評価も、大学3年の後期でガクッと落ちました。

性別移行の決断

大学3年生の終わり頃、大学のカウンセラーと相談しました。
「このままでの状態では、卒業が難しいこと」
「家庭の都合で休学が難しいこと」
その上で、どのようにすれば、療養をしながら、大学生活を続けられるかの相談をしました。
何度か相談を重ねていく上で、このような考えが浮かびました

「女性として、大学生活を送ることはできませんか?」

カウンセラー側としてはなんとかして叶えようとしてくださったようですが、最初は大学側と揉めました。
しかし、カウンセラーや指導教官を初め、私のことを知ってくださっていた大学教員の働きかけによって、4年次だけ、女子大学生として学生生活を送ることができました。

これがうまくいったのには理由があります。
まずは性別移行のタイミングで、新型コロナウイルスが流行したこと。
これによって、性別移行の初期をオンラインの授業で済ませることができました。
そして友人の協力。
自分ではなかなか自信が持てなかった性別移行でしたが、友人が外に連れ出してくれたことによって自信を持てたこと。
他にも色々な人が協力してくれたことによって、私は性別移行を完了させることができました。
それが功を奏したのか、うつ病の症状は軽くなり、大学生活を送れるほどまでに回復しました。

現在

そして現在、今は職場の協力のもと、移行先の性別で生活をしています。
しかし、身体への嫌悪感が強い現状では、いつうつ病が悪化するかわからない状況です。
さらに、現在のトランスジェンダーへの差別言説が言説が蔓延している状態によって、私の健康が侵されています。
性別適合手術をしても、うつ病が悪化するかもしれません。
しかし、性別移行をしたときにうつ病が回復したことを考えれば、性別適合手術が私にとっての希望を見せてくれていることに変わりはありません。

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