見出し画像

雑記 14 / マスクを外して

コロナ以降、今でも律儀にマスク生活を続けている。「コロナ明け」などとも言われるけれども別に根本的な解決がされたわけでもないし、今でも感染症のリスクは常にある。それでも「明け」とか言っちゃうから人間は勝手だし能天気だなぁ、と思う。もちろん生きていかなきゃいけないから、気持ちを作るための言葉なんだけれども。
などというリスクの話やコロナのそもそも論はさておき、四年間もマスク生活をしているともはや顔の一部で、メガネとかに近いパーツになっている。根本に個人主義を抱えるような人間にとってはマスクの存在は精神的にものすごく楽だし、肌の調子は良くなるし、忙しく喋り続けても喉が痛くならないし、良いことずくめだ。ある日、マスクを落としたか何かで素のまま満員電車に乗り込んだら人間の匂いがきつくて驚いた。匂いの情報量が多すぎてクラクラしてしまった。
そんなわけで世間的にはマスクをする人が少なくなろうとも、(接客業なのでやっぱり感染リスクもあるし)マスクをし続けていた。

先日ふと「仕事中にマスク外しても良いかな」という気分になった。「今日のお昼はカキフライにしようかな」くらいの、他のお弁当より200円高いけどカキフライがいいな程度の軽い決心でマスクを外して接客をしてみたら全然喋れないのだ。驚いた。視線をどこに合わせるかも定まらない。落ち着かない。喋っていると無防備な感じがする。レヴィナスの言う『顔』とはこれかもしれない。今目の前のお客様に対し自分は他者性を顕にし、その状態で他者の顔に向き合わされている。マスクというフィルターなしに、剥き出しの『顔』。

家族や身内を相手にしている時は大丈夫だし、気分がオフになっている時は問題ないのだ。おそらく仕事の接客気分をオンにするスイッチ、あるいはペルソナの切り替えがマスクによって行われるように習慣づけてしまっていたようだ。
来客の多い日なんかはこれからもまだマスクをし続けるつもりだけれども、このオンオフスイッチとマスクは切り離した方が良い。その回路は不要だ。
この二、三日マスクなしでやってみたら少し慣れたけど、リハビリに少し時間がかかりそうだ。

そういえばコロナが始まってマスクが必須になっていた頃「これからの10代は素顔を見ずに恋をするんじゃないか」「マスクなしの顔を見せるのはものすごく親密な行為になるんじゃ」「幼稚園でもマスクしてると、この子達は目から意思を読み取る能力が発達するのでは」「同窓会でもマスクしてないと誰か分からなくなるのかもね」などいろんな話があった。
「高校三年間、同じ学校で過ごしたけど結局どんな顔か知らないまま」とか「先生にも素顔を知られてない謎の同級生」とかは本当に発生したんだろうか。大人の妄想よりもずっと凄い事態が学校では起こっていたのかもしれない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?