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私たち自由共和党が過剰なコロナ対策に反対する、その本質

一連のコロナ政策に反対する立場の自由共和党とその代表である私。

大事なのはその本質。なぜ私たちは、世論の大勢に反し、一貫して反対の声を上げて来たのか。

今回、世界のかなりの国で過剰なコロナ対策が行われたが、そうなった真の原因はポピュリズム。政治が世論の流れに乗って、良い悪いではなく、政治的得点になる方に転んで行ったのだ。

例外的に理性的な決定がなされたのは、ハタからみても大人の論理性が染み通っているスウェーデンや、徹底した個人の自主決定権を尊重するアメリカの共和党州くらいだった。

コロナ問題は、そこで行われている政治が付和雷同が基本なのか、そうではなく理性や個人の尊重が根底にあるのか、を徹底的にあからさまにしたのだ。

その意味で、最も徹底した対策が行われたのが全体主義に傾倒する中国であったことは象徴的であった。

さて、日本では、現在はまだ政治的課題の中心はコロナだが、もうすぐ曖昧な感じでフェードアウトして終わっていくだろう。

問題は次にまた別の形で大きな困難を国が迎えた時だ。

このような時は過去にもあった。国内における経済格差と、海外への利権拡大が閉ざされた明治から昭和にかけての日本だ。

その時にはポピュリズムが天皇の政治利用に向かい、統帥権干犯➡︎大勢翼賛➡︎太平洋戦争一直線、となってしまい、結果日本は文字通り存亡の危機に瀕し、コロナなど比べものにならない多くの命が失われた。

ところで今、天皇を旗頭に据えたかつての日本を取り戻そうとしている新興政治勢力が、たまたま支持を得る手段として、間違ったコロナ政策に反対し、憤りを持つ人たちの支持を集めている。だが、本質的問題は、彼らが表舞台に出た時、私たちをどこに導こうとしているかだ。

私たち自由共和党が皆さんに問いかけたいのはまさに本質。

・個人の自由やその選択の尊重を考え方の基礎とするのか、

・個人とは別の、例えば天皇中心のかつての日本社会を目指すのか。

その相違は小異などではなく、とてつもない断絶であり、その差がそのまま全体主義との親和性の差に繋がる。

本質を見つめていかないと、本当に取り返しがつかなくなるのだ。


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