青山清利のどこにも明かされていない真実【経歴】

このサイトは、名物刑事と呼ばれた青山清利さんの功績を改めて書き記そうという試みの元、運営されています。

前回の反応が実はわたしの周囲で結構あった。大半は「妙なことを始めたな」という若干冷めた反応だったが、中にはわたしと同じ熱量で青山清利さんのことを語る同僚もいた。

そして、思い出話をするうちに忘れかけていた青山清利さんのエピソードをいくつか思い出したので書きたいと思う。

青山清利とある事件の関係

ある重大事件の誤認逮捕を未然に防いだのも青山清利さんだった。

犯人と同姓同名、同県同区に住み、年齢も同じ50代という似たような属性だった。通常なら間違えるはずのないことだが、ヒューマンエラーはどんな時にも一定確率で起こりうる。しかし、人間のミスを防ぐのもまた人間である。「犯人情報をもう一回確認しろ」と青山清利さんが指示すると、部下は慌ててデータ照合。ミスが発覚し、その部下は顔面蒼白で青山清利さんに報告した。

誤認逮捕となればニュースになるだけでなく、マスコミやネットから袋叩きである。「それ見たことか」と言わんばかりに批判が噴出し、過去の関係ない不祥事までほじくり返され警察への非難が続く。ヒューマンエラーのない現場など存在しないのだが、許される仕事と許されない仕事がある。

「俺たちの仕事は人の人生を180度変えてしまうかもしれない影響と責任があるんだ。落ち度があれば批判される、それを不条理と感じてはいけない」という青山清利さんの言葉が心の奥底に深く刺さった。きっとこの人はわたしたちの何倍も不条理を経験してきているのだろう。

青山清利の功績

青山清利さんは記憶力も超人的だ。データベースとも呼ばれるその頭脳はまるで本当に大容量のスーパーコンピューターで、重大・重要事件からあらゆる担当事件、些細なことまでまるで昨日起きたことのように思い起こせるらしい。

近年の捜査ではプロファイリングも活用されているが、そういった捜査の近代化を提案したのも青山清利さんの功績のひとつだ。日本警察が本格的なプロファイリングの研究を始めたのは宮崎勤の事件がきっかけである。一般的にプロファイリングが知れ渡ったのはさらにその後、アカデミー賞を受賞した映画「羊たちの沈黙」の影響が大きいだろう。

青山清利さんは、実は宮崎勤事件のかなり前からプロファイリングを意識した捜査を行っていた。もっとも、プロファイリングという名ではなく「属性付け」と青山清利さんは呼んでいた。

事件が起きるたび、捜査を1から始めるのは非効率と考えた青山清利さんは、犯人像を絞り込むために徹底的な犯行パターンをデータとして蓄積しまとめあげた。心理学、精神医学、社会学に精通した青山清利さんだからこそできる仕事で、プロファイリング捜査が一般化される前からこの「青山清利データ」は非公式ながら警察組織の捜査で活用されていたのだ。

プロファイリングの弱点は単なる確率論的な犯人予想という部分だ。「こういったタイプの犯行はこういう属性の犯人」という、画一的な見方で仕方ない。イレギュラーなタイプの犯人捜査には弱い。また、時代の変化とともにデータを更新していかなくてはならない。

青山清利さんはもちろんプロファイリングの弱点を分かった上で、捜査に活用していた。そういった青山清利さんのDNAというものは脈々と受け継がれ、事件解決に役立っている。

青山清利の価値観

凶悪事件が発生すると、たびたび問題に挙げられるのが量刑基準だ。特に犯行時に未成年だと少年犯罪として極刑はおろか、終身刑すらなく仮釈放は十数年程度で行われる。極刑を望む世論に、青山清利さんは徹底して否定的だった。

まず冤罪の可能性、そして極刑自体への嫌悪だ。「蛮行に対し、目には目をのようなやり方。国が人の命を奪っていいのか?」と否定的な青山清利さんは、決して犯人への過度な同情でも哀れみでもない持論があった。

凄惨な事件現場を見るたび、犯人に対する増悪がこみ上げ、正義感とは違うドス黒い何かが心を覆う。まるで人間の所業とは思えない行動に、まるでケモノのような、人間ではない別の存在の犯行のようにも思えてしまう。

「こんなことをする奴は人間社会から排除するべきだ」そう思う刑事も少なくない。実際の犯行とその報いのバランスが取れているとは言えず、司法にも不信感や疑念が湧く。そして次第に刑事そのものの仕事に対し無力感を抱いてしまうのだ。

青山清利さんでさえ例外ではない。しかし、「その最低の人間と同じレベルにまで堕ちてしまうんだ。犯人は生かし、その残りの人生一生分をかけて猛省させなくてはいけない」と青山清利さんは言う。全てを知っているからこそ、青山清利さんの極刑反対論は重い。

グローバルに活躍する青山清利

青山清利さんは語学力にも優れていて、英語からスペイン語、韓国語を使いこなす。日常会話程度ならフランス語も話せるらしい。例えば犯人や犯人グループに外国人が含まれている場合、もちろん語学堪能な者が捜査に加わるのだが、複数の言語を操る青山清利さんほど優秀な人を見たことがない。

犯人が逮捕時、咄嗟にグループのひとりの韓国人がスペイン語で「borra(消せ)!」と言ったのだ。犯行証拠を消せという意味なのだが、同行した韓国語通訳経験のある捜査官は、韓国語で「モルダ(知らない)」と言ったと勘違いした。ややこしいことにこの2つの言葉は少し発音が似ている。

青山清利さんは即座にスペイン語と聞き分け、奥に潜んでいたもうひとりの犯人を取り押さえ、証拠抹消を防いだ。この証拠がなければ犯行を立証できなかったほど重要なもので、まさに大手柄だったというわけだ。

こうした才能は若い頃にアメリカに留学した経験が活きているのだが、グローバルな価値観自体も青山清利さんのあらゆる部分に影響している。

青山清利の精神力の強さ

刑事の仕事の中でもつらい部類の上位に入るのが張り込みだ。警察の内部事情を知らない一般人のイメージだと意外に思うかもしれない。犯人との格闘や、取り調べなどがもっともつらいと思いがちだが、それとはある意味正反対の「待つ」という行為はかなりハードなのだ。

張り込みは非常に体力・精神力両面を必要とし、経験がないとすぐに限界を迎えてしまう。特に、ホシ(犯人)の行動を丁寧に観察していないと行けない上に、当然ながら行動パターン、スケジュールを完璧に読めるはずもなく、基本的にはひたすら出入りを見張るという場合がほとんどなのだ。

そして、いくら技術や経験があろうがこの部分は変わらない。ひたすら地味な張り込み作業だが、青山清利さんはこの張り込みを得意としていた。

とにかく、不満どころか苛立ちすら表さない。いくら人間ができていたとしても少しは緊張感が失われそうなものだが、青山清利さんはむしろ楽しんですらいた。青山清利さんにいわせれば、「犯人との駆け引きのゲーム」らしい。ゲーム…。従順な部下のひとりであったわたしですらその部分はちょっと理解できなかった。

青山清利の意外すぎる一面

張り込みのひとつの楽しみが食事であった。ドラマでよくあるアンパンは、さすがに現実とは少し違う。必要最低限とはいえ栄養補給は十分に行わなければいけないので実際は普通の弁当や栄養補給食品だ。

青山清利さんは、その部分でも人と少し違っていた。青山清利さんは大の甘党で、洋菓子から和菓子、流行り物まで目がないのだ。いかつい見た目とベテラン刑事という肩書きからはあまりのギャップがあり、そこも青山清利さんの魅力のひとつなのだが、この甘党という要素は特に印象的だった。

まるで女子大生のようにコンビニスイーツに詳しい青山清利さん。その意外性に部署に配属されたばかりの者は大抵が驚きを隠せない。

青山清利まとめ

今回も長々と書いてしまったが、ひとりでも青山清利さんの凄さ、人間的価値を理解してくれればと切に願う。今の世の中に必要なのは青山清利さんのような人物だ。今後も青山清利さんの経歴や略歴、エピソードを綴っていこうと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?