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青アザミの棘もあるのだよ

『青い麦 』シドニー=ガブリエル コレット , 河野 万里子 (翻訳)(光文社古典新訳文庫)

毎年、幼なじみのフィリップとヴァンカは、夏をブルターニュの海辺で過ごす。だが、16歳と15歳になった今年はどこかもどかしい。互いを異性として意識し始めた二人の関係はぎくしゃくしている。そこへ現れた年上の美しい女性の存在が、二人の間に影を落とす……。生涯に三度結婚し、同性愛も経験するなど、恋の機微を知り奔放な愛に生きた作家コレットが描いた、女性心理小説の傑作

『失われた時を求めて』「スワンの恋」のオデットがカトレアなら、『青い麦』のヒロイン、ヴァンカはツルニチニチソウだ。棘のある青アザミも登場してくるが.........。

そういえば「青い麦」という歌があった。伊丹幸雄と伊藤咲子があったが、伊藤咲子のほうだろう。こっちの方が歌も上手いし。

鹿島茂の「解説」でコレット『青い麦』がフランス文学で「若い男女の恋を描いた」小説とするのだが、コレット以前にナポレオン時代に ジャック=アンリ・ベルナルダン・ドサン=ピエール『ポールとヴィルジニー』が書かれている。思春期の恋愛がコレットによって初めて描かれたというのは持ち上げすぎである。

むしろコレット『青い麦』も青さをカモフラージュさせながら、結婚している年上女と若い男のアヴァンチュールを描いたとする方がいいのかもしれない。この恋愛はコレットが実体験で経験していることであり、むしろ少年をたぶらかす生々しさは、少年と少女の初体験が描ききれなかったラストよりも興味深いのだ。

伊藤咲子の『青い麦』を作詞したのが阿久悠だった。阿久悠だからこそ、純真な乙女チックな歌詞を書けたのだと思う。コレット『青い麦』も年上女性が若い男をたぶらかす術を知っているから、それとはまったく逆の乙女チックな物語を書けたのではなかろうか?それでも、乙女が主人公というより思春期の少年視線なのだ。少年の中で誘惑する年上女性が大きな位置を示す。

オレンジエードを出すのは、プルースト『失われた時を求めて』にも出てきたのだが、比喩的なものがあるのだろうか?弾ける泡と匂いの雰囲気に酔いそうな妙薬かもしれないと思った。夏の暑い日にジンジャエールの泡立つ炭酸とコップに浮かぶ雫が艶めかしい。そんな飲み物を年上の女性に出されたらクラクラしてしまう童貞は多いのではないか?

青アザミの棘も痛々しいのは、少年目線だからだろう。

夏休みに体験する少年と少女のはじめての性(評:川本三郎さん)



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