ストーリー・テラーぶりを発揮した服飾デザイナーの作家のデビュー作
『シャギー・ベイン』ダグラス・スチュアート,(翻訳) 黒原 敏行
サッチャー政権下のイギリス労働街の家族の物語。息子から見たアル中になっていく魅力的な母親(エリザベス・テーラー似)のヤングケアラーの話だという。デビュー作でいきなりブッカー賞受賞の英米で話題の本でストーリーも今の世界を捉えている。労働者階級が右傾化していくなかでの男尊女卑の社会、DV、その闇を抱えてのアルコール依存症になる母と介護する息子という構図。
文章は読みやすい現代文学。描写も的確で会話も面白い。会話が適当に入ると読みやすいのだよな。まだ家族構成の部分だが、カトリックの家系の美人アグネスは、前夫の間に二人の子供を産んだあとに、プロテスタント系のタクシー運転手に惹かれていく。それでシャギーを産むのだ。当時民族間の争いも激しく(今も続いている)、アイルランド系のカトリックとプロテスタント系のスコットランドの民族間対立(イギリスの支配階級の下での労働者間の敵対行為)があるのだが、わかりやすいのはサッカーのチーム対決というような。フーリガンというサッカーファンのサポーターの暴動はニュースになるが、その下のあるのはこうした民族対立なのだ。
そう言えばワールドカップも知らない内に始まるな。ナショナリズムが培われていくのはこういうスポーツで、特にサッカーは労働者のスポーツとされるから対立が激しくなる。
プルーストの10p.ぐらいがダグラス・スチュアートの100p.ぐらいの読みやすさ、物語の推進性が全然違う。それは著者のダグラス・スチュアートのデビュー作であり、自らの体験を服飾デザイナーのごとく読ませどころを意識した構造だからだ。『シャギー・ベイン』は読みやすい。『失われた時を求めて』は過去の世界へ行ったり来たりの回想の物語の中に芸術論が入ってくるので錯綜としているのだが、『シャギー・ベイン』は直線上にストーリーが展開していく。その中に魅力的なキャラクターを散りばめる。前半は若かりし頃のエリザベス・テーラー似の母。そして母親に寄り添う息子のシャギーは、美人な母が自慢なのである。ただ男好きと酒飲みというところは別にして。
アルコール依存症の母を持つ少年の物語。シャギーはアグネスに気に入られがいために女の子のような性格になっていく。アグネスのような派手なファッションの母親が好きなのだ。それがエリザベス・テーラーという言葉に表される。プイグ『蜘蛛女のキス』を思い出させた。蜘蛛女はゲイである囚人だがテロリストの男を介抱する話なのだ。そして、彼女は色々な映画スターの話を聞かせる。その夢の部分と監獄という囚われた世界。シャギーも母との夢があるのだ。それは当たり前の生活という些細な夢だがそれが叶わない。それはアルコール依存症という監獄の世界だったから。シャギーは母親の庇護を必要としながら面倒を見なければならないヤングケアラーなのだ。この問題は今の日本の姿でもある。兄は家出して独立するのだがシャギーは出来なかった。それは共依存という関係だったからだと思う。
その閉じられた世界で夢見る物語があるので、けっこう悲痛な話だが読み進められる。そして、これは家族の「愛の物語」なのだ。
アグネスは浮気をして、タクシー運転手のシャグと出会うがシャグは身体目当の男で、シャギーを産むとアル中のアグネスと早くも別れたいと願う。アル中だったのが先かシャグの居ない寂しさの為にアル中になったのかよくわからないのだが、本来は外交的な性格であるアグネスは外で働きたかったのだ。しかし専業主婦であることを望むシャグはそれを許さなかった。派手好きだからそういう場所が好きな女だと思ったのだろう。結果的にアグネス寂しさから酒に逃げるようなアルコール依存症になる。
シャグはアグネスと別れたい為に炭鉱の団地「ピットヘッド」にアグネス一家の部屋を借りる。その引っ越しのシーン。炭鉱町の低所得階級の団地という感じで、近所の人はみな親戚関係のような血の繫がりがある人ばかりだが、アグネス一家は余所者、お高く派手好きなアグネスに夫を取られるのではないかと警戒される。アル中なのでその点もあまり歓迎されない様子が描かれる。シャギーは近所の悪ガキのイジメにあう。それはシャギーが男らしくないからだ。
その最たるイジメが洗濯槽の中に入れられ洗濯機を回されるという酷いもの。そういう暴力的描写がなかなか上手いと思う。その前にもジャグのアグネスに対するDVの描写の酷さとか、実際にそういう家庭を経験していたのだろう。
そして、クリスチャンであるアグネスの父親が見かねて39歳のアグネスをお仕置きするシーンもある。それまでほとんど甘やかしてきたが、最悪の娘になってしまったからだ。お仕置きというより感情の発露だ。カトリックの出自なのにプロテスタントの男に惚れる娘に我慢がならないのだ。それはカトリック社会の世間性ということもある。このカトリックとプロテスタントの対立する街は、サッカーのチームの対立構造でもあるのだ。
シャギーの姉は家を出るために結婚したのだが、そこも似たような環境だった。誰もが脱出を試みるが、別の形の不幸を招くのだ。兄は秘密の隠れ家を見つけて、オカマのシャギーにイジメられないような歩き方を教え友だちを作れという。そんな兄も友だちがいそうもないのだが。ただ母親からは自立していくのだ。兄がシャギーに再三言うことはアル中は治らないということだった。早く大人になれという。それは母を見捨てること。
アグネスはAAに行くようになって酒を止めようと決心する。夜勤のガソリン・スタンドで働くようになってアイドル的な存在になり、束の間の幸福時代。そして新しい恋人が出来るのだ。この辺りは幸福感に包まれる章だった。悲劇的な展開から幸福期にというストーリーは上手いと思う。さすがに服飾デザイナーだけある。ストーリーテラーとは、そういうことだった。このあと一気に絶望に落とすのだなと思うけど。そういえばシャギーにもガールフレンドが出来るのだった。そういうエピソードが面白く上手く繋げている。
祖父の死とその秘密。アグネスは病院でも危篤の父を前に煙草を吸いビールを飲む。アグネスの母リジーは危篤の夫とセックスまでする病院にとってはハチャメチャな見舞客たち。
アグネスの父ウィリーは戦争体験があって、エジプトに出兵していた留守にリジーが他の男との子供が出来てしまう(食べる為だと)。帰還後その赤ん坊がいるのを知って殺してしまうのだ。アグネスは幼少期にそれを見ていたがファザコンだからウィリーの味方で母のリジーを攻め続けた。そして、本人も浮気性になるのだが、母の当てつけもあったのかもしれない。家族の悲劇が解消されずに次の世代が負債を負う。イギリス社会そのものだろうか?今の日本も似ている。
そんな暗い過去を引きずりながら生きてきた家族だった。リジーはウィリーの病死の後に、自殺(アグネスはカトリック教徒は自殺しないと言い張る)。ますますアルコールにのめり込んでゆくアグネスだった。唯一の飲み友だちの女が男を紹介してくれるが、それは酒を飲みたいが為で男はアグネスの酒乱ぶりを見せられ帰ってしまう。その前にアグネスはタクシーの中でレイプされたるのだ。めちゃくちゃな家族だった。
500p.まで。この作品も映画化してもらいたい。長いけど、人物描写は映像化で縮められるので、メインストーリーだけで泣ける。再びアル中に戻ってしまったそれ以降のドラマがいい。自殺未遂を起こして、長男も家を出ていく。それでシャギーに俺みたいな大人になるなと言い残していく。そして、早く自分の人生を見つけろと。それがこの語り手の人生とだぶるような。ここはクライマックスと言ってもいい。
母親が自殺未遂して精神病院に入れられて、一時父親である子沢山の家にあずけられるのだが、兄弟たちからイジメを受ける。
それは家を出たアグネスの長男との大きな違い。シャギーに対する兄弟愛と腹違いの兄弟たちのイジメが対照的に描かれる。
そして精神病院を抜け出した(退院したのか?)母がシャギーを連れ戻すシーンが凄かった。酔っぱい女の怖さか?そんな母と暮らした新しいアパートに腹違いの兄弟が迎えに来る。たぶん父の命令だ。父親はシャギーのオカマっぽさは母親のせいだと思っている。そんなシャギーは玄関越しに尋ねてきた兄弟にキスするよう要求するが、汚物の雑巾を口に突っ込むのだ。そんなときにもゲイである自分を意識するのだが。
母がパーティーに行って食べるものがなく、タクシーで母を探しにタクシーに乗ったときにタクシー運転手がシャギーに対していたずらをする。そのときに母は帰らないので兄のアパートに行くとき、タクシーの支払いを身体ですると言うのだった。母親と同じ過ちを犯そうとする。まだ少年なのに。すでにゲイの意識が芽生えてきていたのだろうか?
最終的には女の子の友だちが出来るのだ。彼女の母もアル中で同じ境遇にいた。誰とも寝ると噂の女の子だがシャギーとは友だち関係だった。お互いに遠慮なく母親のアル中を話せる間柄だった。
そしてついに母の死。それ以外の結末はないのだが。シャギーは母が死ぬことでやっと離れられたのだ。それまで自分が母の面倒を見なければという強迫観念。それは共依存だった。実際にまだ自立する年ではないシャギーは母親と暮らすしかなかった。兄のアパートにいたこともあったのだが母がやってきて、また大喧嘩が始まるのだった。兄はすでに母親は治らないと諦めていたから、自立しか道がなかったのだ。
シャギーがそんな兄にどうして面倒を見てくれなかったのかと問い詰めるシーンがある。ただ兄も自分だけのことで精一杯だった。長女のアグネスは結婚という形で出ていったが、兄弟を助けることはなかった。そんな兄弟愛と母性愛との違い。しかし、それも母の死と共に終わり、彼も兄の援助を受けながら独り立ち出来たのだ。後半のこの兄のシーンは感動するのは同じ体験を著者もしているからだ。
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