シン・俳句レッスン55
見事な鱗雲。鱗雲で金魚の句があったと思ったが忘れてしまった。
これは季語は夕焼けなのかな。金魚大鱗で鱗雲を言い表しているのだった。空に巨大金魚が泳いでいるのは夕焼けのせいだったのか。多分彼岸に向かって泳いでいるのだ。そんな夕焼けに見とれてしまうのだろう。ビルの上にあるのはなんの鱗だろう。ジンベイザメかな?はたして鱗があったか?鮫肌というから鱗はない?
鱗というより模様だな。
「写生って何?」
青木亮人『教養としての俳句』から。「写生って何?」。写生句は苦手だった。ただ最初に上げた正岡子規の句は従軍記者として病になって戻ってきた。それ以前に詠んだ句に郷愁を感じたのだった。
それらの句が子規に意味あるのは戦争という非日常と病という出来事の後に日常性の大切さに気がついたということだ。だから日常詠は誰よりも創る本人の褒美となるのである。それはそうした非日常の世界がやってきたときに心の癒やしを求めるからだろうか?
そういう点で虚子の日常詠の考え方もわからないではない。虚子事態が本来は作家になりたかった人なのだ。しかし残念なことに、漱石のように才能がなかった。漱石が「ホトトギス」で「吾輩は猫である」をヒットさせて、「ホトトギス」は売上を伸ばしたけれども虚子の小説では駄目だった。そこで俳句の投稿雑詠欄を設けたところ、誰もが投稿俳句を詠むようになった。虚子にはそのプロデュースの才能があり仲間が集まった。
虚子の人生に対する諦念と無力さがせめて花鳥風月を詠む癒やしとされているのかもしれない。
写生とは一種の現実逃避とまで言っている。とりあえず手作業していれば悲しいかな、現実は忘れられるというようなものだろうか?そして、それが俳諧という共同体の中で慰め合う場所となるのであろうか?
虚子における写生の敗北主義をみたような気がする。その諦念は大きなものに屈服させらる自身の姿として享受しないわけにはいかない。
俳句いまむかし
『俳句いまむかし』坪内稔典。過去の名句と現代俳句の名句の読み比べ。
秋
よくわからん。盆から正月までこの国では四季ではなく二季があったという。基層に二季の思想が息づいているという。
七十歳の老人をことほぐ俳句だろうか?子規がその半分ぐらいしか生きれなかったのが情緒と感じてしまうのか?
これは文字にすると「秋風」で切りたくなるし、「風鈴は」で切りたくなるのだけど一句を通して音読すると、意味がすーと通じる。母は言霊のように、あの世の人だという。
秋風鈴が死者の訪れなんだという。黒鉄の風鈴を鳴らすほどの確かな訪れか。この句も音韻的に「くろがねの」でオの音の開放感、「秋の」で明るい音に転調して、「風鈴」でひときわ音が高くなり、イ音便の「鳴りにけり」と続くことで音の余韻を伝えているという。諳んじなければわからない句だな。
蝉の擬人化以外に何もないような気がするが口語俳句のおおらかさかな。
何があったんだ!つくつく法師に当たってもしょうがないと思うのだが、言葉の殺気があり、好きかもしれない。池田澄子の句とは対称的だよな。
五七五のリズムで生きてくる句なのか?音韻が気持ちいいかな。
センチメンタルな句だと思うが、そのセンチメンタルのノスタルジーに浸るのが俳句だといわんような句だった。
欲望のままか。お互いに欲望を満たせば平和だ。
こちらも欲望の句だけどエロを含んでいる。
俳句も似たようなところがあると思う。若いうちから俳句なんぞにうつつをぬかしてみたいな。「俳句甲子園」の胡散臭さはその辺にあるのかもしれない。俳句で青春とか詠むなよ。
この瓢には酒が入ってないとやってられんのだろう。ただ芭蕉は米五升を入れて、その身軽さを称えたという。
ただごと歌だな。だからなんなんだよ。恋のロスタイムとか言うんだよな。終わっとけ。
にたような句か。こういう幸福に我慢ならない己の小ささよ。
空間を廻る俳句
夏石番矢『超早わかり現代俳句マニュアル』から。もっとも当たり前の俳句は一行書きである。
一行書きはすべての言葉を最後の「帯よ」へ収束させようとする性質がある。
一字空けがすべての言葉が最後の言葉へと集約されるわけではない。一字空けがバラバラなものとして表現されている。一字空けの一行表記は富澤赤黄男がすでに採用している。
多行表記の俳句空間。
最後に掛かる重量は軽くなるが切り離されてはいない。各言葉は協奏的な働きをみせる。
多行書きの第一人者、高柳重信がいた。
モチーフとしての空間
空間性が表現されるのは都市空間である。それは人工的な空間として都市があるからだ。
人工的に創出された都市空間は意外な出会いや出来事の舞台となる。
また都市空間はワンダーランドめいた未来空間でもある。
俳句史を眺めていくと1940年頃までの作品は希望に満ちた都市空間が広がる(ただその影に不安がある)。
戦後1950年から1960年代になると、都市が個人を置き去りにしていくのがますます強調される。
都市に戸惑う人間から都市をすでに存在するものとして受け止めざる得ない人間となっていく。
田園都市生活者の俳句。このへんは新興住宅地の感じだろうか。小市民的である。
自然のむき出しの姿よりも自然を人工の空虚と見る。
地名はその地名の歴史性、過去の厚みを連想させる。
歴史性よりも文字からのイメージする土地の句。
外国・異国の俳句
エキゾチックなイメージ。オリエンタリズムか?
異国への想像力を解き放った句
宇宙
宇宙は漠然としてつかみづらい。
異界
一行棒書きは一種の求心的空間特質を持つ。都市は多様に描きやすいが外国・自然・異国・宇宙になるにつれ立ち位置の問題で空想的になってリアリティがなくなる。立ち位置を定めどこまで空間を広げられるかということだろうか?
山口誓子
山口誓子は都会を俳句に読んだというので何かつかめるものがあるかもしれない。テキストは『山口誓子 自選自解』
山口誓子は東大法学部だったのか?厳しさではなく、暗記科目だったので「さびしさ」と表現したという。それで俳人という別方向の道を歩んだのか?炭は現在は使われないけど、寒い下宿部屋だったようだ。
挫折というより病気だったのだな。
山口誓子の代表句か?入沢康夫がこの句の解釈で友人と言い争ってから俳句から離れたと書いていた。友人は「宗谷の門」で切れて荒波と詠んだとか。「宗谷の門波」とは宗谷海峡の波のことだと自解。入沢康夫はそう読んだのだが、友達の読みのほうが正しいと思ってしまったという。樺太から本土へ移住するときに渡ったのだろうか?その時は希望に燃えていたのかもしれない。過去の情景を詠んだのだが船の姿はなく俯瞰した客観性の句だという。
そうだ。山口誓子は連句だった。これは「凍港」シリーズだったのか?「舊」は旧の旧字体。「ありとのみ」は「在るとのみ」なのか?「蟻と蚤」ではないのか?ただ在るだけの街の意味なのだそうである。
幼少の頃の樺太の思い出。「没(い)るなべに」は共にいるということだ。「鍋」をやっているわけではない。
中学ではスキーが正課だったという。運動会などで来賓が来ると炭俵をそのまま焚火にして暖を取ったという。冬の厳しさだけど暖かさを振り返るのか?
中学時代の温かい思い出があるだろうか?
女先輩だったら恋になったのに。
いまいちか?
都会性がないな。最後は少しあるか?恋が凡人か?
思ったより故郷句が多い。橇行(きょうこう)は橇行くやとも読めるがあえてルビを振ったのは、音韻的に冬の厳しさを出したのか?犬橇のような。
映画のイメージ。
住吉神社と大阪の住宅地の両方の意味だという。巫女さんが処女(おとめ)のイメージなのか。「はも」は万葉調だという。強い感動の詠嘆の係助詞。「わも」と発音。山口誓子は都会的だと思っていたがそうでもなかった。でもこれは田園的風景か?
祭なんかの出店のかき氷だろうか?やっぱノスタルジーな思い出かな。匙なめてがアルミニウミの匙で昔のことだという。
日よけの覆いのキネマのような。中国映画で観るような街頭映画みたいな感じかキネマの雰囲気と衢(ちまた)の古色鬱然とした雰囲気なのだそう。
このへんまで。今日は句会のためのアイデアとしての「シン・俳句レッスン」。ノスタルジーばっかになった。
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