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シン・現代詩レッスン47

中野重治『歌』

敗戦後桑原武夫の『第二芸術』論を受けて書いたのだと思ったが、中野重治が書いたのは戦前からだった。『斎藤茂吉ノート』で茂吉短歌との決別、そのあとに『歌のわかれ』でプロレタリア文学に目覚める。そういうことだから桑原武夫を受けてではないが、内容は似ていると思う。韻文の叙情性よりも散文の論理性みたいなもの。しかし『歌』は「歌のわかれ」ではないのだ。逆説的に歌を歌っている。

歌 中野重治

お前は歌ふな
お前は赤まゝの花やとんぼの羽根を歌ふな
風のさゝやきや女の髪の毛の匂いを歌ふな
すべてのひよわなもの 
すべてのうそうそとしたもの 
すべての物憂げなものを撥(はじ)き去れ 

中野重治『歌』

誰もが知っている室生犀星の抒情小曲「ふるさとは遠きにありて思ふもの/そして悲しくうたふもの」が元にあるようです。それは村の父との対立を描いた『村の家・おじさんの話・歌のわかれ』小説に描かれているような過程を辿っているのでしょう。ただここでも転向したように装いながらも書くことを決意していたりする。

お前は歌ふなと言いながら歌ふ
赤まゝの花やとんぼの羽根は歌わないが
ひよわなものは歌ったのだ
それは人だろうか?
お前自身の弱さを歌ふ
最初からその過ちに気付いているはずだ

やどかりの詩

すべての風情を擯斥(ひんせき)せよ 
もっぱら正直のところを 
腹の足しになるところを 
胸先きを突き上げて来るぎりぎりのところを歌へ  
たゝかれることによって弾ねかえる歌を 
恥辱(ちじょく)の底から勇気をくみ来る歌を 
それらの歌々を 
咽喉(のど)をふくらまして厳しい韻律に歌い上げよ 
それらの歌を 
行く行く人々の胸廓にたたきこめ

中野重治『歌』

プロレタリア文学の転向ということがありながら書くことも歌うことも止めなかった中野重治がいると思う。

逆説的に歌はねばならない歌は
威厳に満ちて威風堂々とするが
お前が歌ったのはそんな歌であるもんか
恥辱のなかでのたうち回る息でもって
喉仏の奥に異物が引っかかりながらも
声に出せない声を絞り出すのだ
その声は自らの胸廓に響いているのだ

やどかりの詩

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