中野重治『歌』
敗戦後桑原武夫の『第二芸術』論を受けて書いたのだと思ったが、中野重治が書いたのは戦前からだった。『斎藤茂吉ノート』で茂吉短歌との決別、そのあとに『歌のわかれ』でプロレタリア文学に目覚める。そういうことだから桑原武夫を受けてではないが、内容は似ていると思う。韻文の叙情性よりも散文の論理性みたいなもの。しかし『歌』は「歌のわかれ」ではないのだ。逆説的に歌を歌っている。
誰もが知っている室生犀星の抒情小曲「ふるさとは遠きにありて思ふもの/そして悲しくうたふもの」が元にあるようです。それは村の父との対立を描いた『村の家・おじさんの話・歌のわかれ』小説に描かれているような過程を辿っているのでしょう。ただここでも転向したように装いながらも書くことを決意していたりする。
プロレタリア文学の転向ということがありながら書くことも歌うことも止めなかった中野重治がいると思う。