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シン・俳句レッスン118

月俳句も嫌というほど作っていたのだが今日からは行分け俳句に挑戦する。

高柳重信の月俳句。

「月光」旅館
開けても開けてもドアがある  重信

月下の宿帳
先客の名はリラダン伯爵

「月光」は旅館の名前だから厳密に言うと月俳句ではないのかな。しかし、次の一句は「月下」だから月俳句に違いない。「リラダン伯爵」とは誰か?

オーギュスト・ヴィリエ・ド・リラダンは象徴主義の詩人である。つまり先客は象徴詩ということかもしれない。「月光」が象徴的にこの俳句を照らしているのである。「開けても開けてもドアがある」というのは辿り着けない部屋か?それは俳人の場所であるはずだ。

まず「月光」と言えばベートヴェンのソナタだった。

月光に照らされ
ひとり

炭坑節  宿仮

聖なる世界から俗世界へ。「月光」はピアノ・ソナタの意味も含んで。

『密告』前後譚―小堺昭三『密告』と西東三鬼名誉回復裁判の経緯

今泉康弘『人それを俳句と呼ぶ―新興俳句から高柳重信へ』「『密告』前後譚―小堺昭三『密告』と西東三鬼名誉回復裁判の経緯」から。 西東三鬼のスパイ事件についてはこの本でも触れられている川名大の本によって知った。しかし、受け止め方は違って川名大は渡邉白泉の俳句に西東三鬼の関与を匂わせたとか。そのことで白泉は俳壇というものが嫌になり復帰しなかったとか書いてたような気がする。その文章が見つからないのだが、たぶん『昭和俳句 新詩精神(エスプリ・ヌーボー)の水脈』に書かれていたような気がする。

ただあの当時は特攻に逆らえる人はいなかったと思うので病む得ない事情もあったのかもしれない。小堺昭三『密告』は新興俳句に襲いかかった不幸についてのルポルタージュならばそれで良かったのかもしれないが西東三鬼というスターをスパイ扱いしたので本意とは関係ないところで騒ぎが置きてしまったのだろう。本意の取り扱いが上手ではなかった作者のせいなのか?なかなかすっきりしないのは、被害者にあった俳人はその当時(戦後か)にはっきりと証言をして決着を付けておくべきだった。嶋田洋一の証言がもうひとつはっきりしないからすっきりとした事実が見えてこない。

ただこの事件について高柳重信は、この本は売文目的であったならばそれに協力した俳人もスパイかもしれず問題は複雑だ、みたいなことを書いていた。妬みや嫉妬心からそのような事件が起きたとする。それは西東三鬼の家族が苦しんだとか、そういうことは本来別問題であるのだが(なぜなら嶋田洋一の家族も苦しんだのだろうから)、そういう嫉妬心とかからこういうことが生まれたのならば、それは悲しむべき事件なのかもしれない。まあ、俳壇にはそんな噂が多すぎのような気がする。それも小野蕪子のような公然と公安のスパイのような人がいたからなのだ。疑心暗鬼にならざる得ないのかもしれない。

この事件について、続報は書いていきたいと語っている今泉康弘だが新しい事実は探れたのだろうか?

高柳重信論

林佳『船長の行方』から「高柳重信論」。

船焼き捨てし
船長は

泳ぐかな  高柳重信

今朝(2024/04/27)の日記にも書いたのだが高柳重信の多行俳句(行分け俳句と言っていたのがこっちの方が一般的のようだ)を研究しようと思ったのである。はっきり言って前衛俳句で憧れるような人は高柳重信ぐらいしかいないだろうと思っているのだ。渡邉白泉もいいけど、途中で引退状態だったし、この前衛俳句が困難な時代に於いてもなお前衛的な俳句をつくり続けた。その一つのスタイルが多行俳句だと思う。それはそう難しく考える必要もなく、短歌での石川啄木がやってみせた多行短歌との関連もあるのかもしれないと思っていたのだ。何よりもリズムの問題として、多行俳句は利点がある。

NHK俳句

第4週は変わらず句会。この回が一番面白い。「辛夷」はけっこう地味な花だと思うが一斉に咲く驚きがある。「辛夷」は花ではなく子供の拳をイメージした蕾の姿だという。

句会の題は「辛夷」。選者は高野ムツオ。ゲストは伊集院光。隙のない句より心にひっかかる句が好きな中西アルノ。選んだのは?二文字「たび」が生み出した時間の流れの効果

花びらのもう触れ合わぬ辛夷かな 矢野玲奈

もうは文字合わせ的。辛夷の花の季節が別れの季節(卒業式)なので高得点。擬人化させすぎという高野ムツオの意見も。辛夷=拳というイメージか?辛夷だけの一句仕立ての句。辛夷の木というと季語ではないという説明。

<兼題>木暮陶句郎さん「鮎(あゆ)」、高野ムツオさん「蜜豆」
~5月6日(月) 午後1時 締め切り~

高野ムツオ「紅梅」五十首

『角川 俳句 2024年4月号』から「高野ムツオ「紅梅」五十首」から。

団子虫冬日塗れの土塗れ

「団子虫」は季語ではないのだけれど冬の虫のような気がする。「土塗れ」とは?「塗れ(まみれ)」と読むのだった。子供の様子かな。

糈米(くましね)も霜を被りて道祖神

「糈米(くましね)」という言葉が魅力的に思えたのは道祖神と通じているからだろうか?

季語なのか?

干柿は祖母の垂乳や食いちぎる

こういう俳句も作っていた。

珈琲を挽けば零れるように雪

ロマンチックである。ただ雪は後に珈琲色になるということも含んでいるのかな。

餡パンに臍の緒はなし雪の暮

「雪の暮」は忙しいから餡パンぐらいしか食べるものがないとか?

抱くなら原子炉にせよ雪女郎

攻めているな。雪女郎にしたのは何か意味があるんだろうな。

雪の富士よりも老母の握り飯

母の追憶かな。

桃の木と墓と冬日に混浴中

故郷に墓参りに行ったということか。桃の木なので季語ではなかった。

能登半島地震七句
堰切つて雪降り出せり能登国

高野ムツオは地震俳人のイメージが強い。

虎落笛(もがりぶえ)魂振りせんと海へ出る

虎落笛(もがりぶえ)は使ってみたい季語だった。

我らには国などなしと寒雀

このへんは攻めているのかな。

寒鴉眼ひらけば飢餓少女

虎落笛新月奏でる山月記  宿仮

付きすぎか?月だからいいとする。多行俳句にするんだった。

山月記
新月愛でる



虎落笛  宿仮

かは化けるということ。

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