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今年一番の問題作だろう

『赦し』(2022/  日本)監督アンシュル・チョウハン 出演尚玄MEGUMI松浦りょう生律徹藤森慎吾真矢ミキ

解説/あらすじ
かつて17歳の少女だった夏奈は、同級生の少女を殺害した。あれから7年、20年の刑を受けた夏奈に再審の機会が与えられ、釈放される可能性があると連絡を受けた被害者の父・克と、別れた元妻・澄子。二人はともに法廷に赴き裁判の経過を見守ることになるが・・・。当時の裁判では殺害にいたる経緯を話すことなく、検察の請求のままに刑が確定した夏奈。再審請求は、被害者の親二人の心を大きく揺さぶっていく。7年が経っても決して薄れることのない彼女への怒りと憎しみは、周りを巻き込みながら大きく変転をしていくのだった。加害者の夏奈だけではなく、まるで囚人のように「娘を殺されたこと」への怒りから逃れることのできない、かつての親たち。そこから人はどうやって一歩進んでいくのか?

coco映画レビュアー

異様なポスターで注目せざる得ない視線の先は我々が問われているのだ。インド出身監督アンシュル・チョウハンは前作『コントラ』も衝撃作だったが内容的にはそれ以上かもしれない。少年犯罪の被害者両親と未成年裁判による裁判の不合理な判決。少年犯罪の刑罰については問うのが難しいと思う。少年裁判はまず更生を願う。しかし被害者の心情が大きくマスコミに取り上げられていつしか心情的な裁判に傾きつつあるのだと思う。酒鬼薔薇事件による裁判への批判や少年法への批判でこういう問題はもっと明らかにされていいと思う。

それでこの映画だった。監督がインド人監督とあることからも日本の裁判制度の問題提起となっているように思える。日本だけではないが訴訟社会というアメリカ型の司法制度の問題点(賠償で罪の償いは出来るのか?)さらに少年法の問題。日本の映画でここまで問うた映画はあっただろうか?韓国ではTVドラマ化された『未成年裁判』があった。ドラマ的にはエンタメ仕様だが正面からこのテーマでドラマを作れる韓国エンタメ界なのだ。

なによりもインド人監督が一つの答えを出しているのを評価したい。被害者家族の気持ちとして、同情的にならざる得ない日本の社会性も描かれているように思える。子供は親のものであるという。それは日本に限ったことではないのかもしれない。先日見た被害者と加害者家族の対話の映画、『対峙』も殺人事件が家族に及ぶ映画でもあった。この場合加害者の息子は自殺していて、加害者側も被害者側も息子を喪失した家族として和解の糸口が見出されたのだ。

『赦し』では、加害者の少女が生き残っていた。さらに彼女への被害者少女のイジメがあったと思われる。そして加害者少女の家庭環境や被害者少女の家庭環境(事件後は夫婦は別居状態で夫婦の間に裁判の影響もあった)。この状態から一つの解決の方向に持っていくのは難しい映画のように思える。特に父親の感情は今の日本社会の裁判制度のあり方のように思えた。

監督は父親を和解へと進めたが無論それには多くの意見があってもいいと思う。ただそのことに一つの道を示してみせたのだ。それをどう問うかということだろうか?自分は監督の道を支持したい気持ちなのは、子を持つ親ではないからなのかもしれない。娘の人生と親の人生は別と考えるべきだと思うのが未成年に対する親の責任というのもあるだろう。だとすれば加害者少女の母親の自殺ということも考えなければならない問題だろう。現に加害者の親がマスコミらに叩かれている現実があるのだ。自殺した親がいたという話もあったかと思う。これはなかなか難しい問題でもある。

映画では、松浦りょうの表情が素晴らしい。一見社会に敵意ある視線なのだが、そのように置き去りにされた少女というべきか?彼女の孤独がそのまま表情に出ていると思う。こういうヒロインはまず日本映画では撮らないだろう。

父親の心変わりもよくわからないところがあるのだが、そこ先は復讐法で少女を殺すか、こんな社会は駄目だと思って自決するしかないだろう。またMEGUMIの母役も複雑な心境を描いていると思う。女である部分と母親という役割と。

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