若者に媚びる短歌界
『短歌 2022年8月号』
【特別座談会】流行る歌、残る歌
必ずしも流行る歌が残るわけでもなく、残るからいい歌でもないという。斎藤斎藤氏の残る歌の3つの条件。
一発で耳に残る歌。
構造がしっかりしている歌
人間の普遍的生活様式に根ざしている歌
上の歌はスマホ時代の歌というのだが、よくわからん。でも、俵万智がいるところで、俵万智の歌をあげているのが
俵万智の短歌なら他に誰もが知っている歌よりもあえてこの歌を上げるのって悪意を感じてしまう。
そして、俵万智も穂村弘の短歌として上げたのが
もっと他にありそうなのに、それぞれの好みの違いを見ると面白い。
大森静佳は三人に選ばれていて俵万智だけ選んでないけど後から大森静佳『手のひらを燃やす』はめちゃいいと言っている。軽いな。
【U-25短歌選手権】
短歌は年代で区切るのが多い気がする。若者に広めることが短歌の生きながらえる道だと思っているのかもしれない。その弊害で実は分断しているのではないかと思うのだ。まあ短歌だけじゃないけどより分断が見える化しているのは、こうした商業誌の分断工作のせいだと思うのだ。はっきり言えば若者に媚びている。短歌も感性のあり方が上手いのだろうけど没個性のような感じを受けてしまうのはその小さな差異がよくわからないのだ。意味不明の内輪短歌が多いような。全然駄目な歌は作らないけど没個性的な。慣れもあるのかもしれない。最近は古い方の短歌に慣れつつあるような。
「かなしみの歌びとたち 第三十二回 前川佐美雄の振幅を読む(下)」坂井修一
この連載は短歌史なのだが、興味深く読んだ。小林秀雄『様々なる意匠』を引用して、近代日本の精神文化が森鴎外のような外国思想を取り入れながら日本精神の意匠(ブランド)を立ち上げようとする歌人たち。小林秀雄はそれを魔術的なものとしているのだが、裏を返せばまがい物で崇高な言葉もないとする。そして、坂井修一もその意見に賛同してもっと深い洞察が必要だというのだ。まったくそうなんだろうけど今の若者短歌とは逆の方向性な気がする。今は短歌界は過渡期なのかもしれない。
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