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シン・短歌レッス137


『源氏物語の和歌』


おぼつかな誰に問はましいかにして始めも果ても知らぬ我が身ぞ 薫

おぼつかな誰に問はましいかにして始めも果ても知らぬ我が身ぞ 薫

『源氏物語「匂宮」』

本来の題は「匂兵部卿(におうひょうぶきょう)」だそうだ。「匂宮」なのに薫の和歌だった。光源氏が亡くなり、孫世代の話が始まっていく。そういえば自意識が芽生えてくると幼い頃に誰かが語った橋の下幻想(橋の下から拾ってきた)を抱くものなのか?この歌のように思っていた時期もあったのにいつの間にか還暦過ぎて、そういのは関係なく生きてしまったと思うのであった。薫は柏木と女三の宮の間の子で光源氏が実の父親ではないのだが、権力を引き継いでいた。

花の香を匂はす宿に尋(と)めゆかば色に愛づとや人の咎めむ  匂宮

『源氏物語「紅梅」』

「紅梅」は柏木の弟、紅梅大納言呼ばれた按察大納言で匂宮を婿にしたいと贈った断りの返歌だという。「色」に色好みをかけてそこまで噂されるほどの色好みではないという。実は匂宮には螢宮の妻であった真木柱の姫君を狙っていたという。按察大納言は彼女の養父であった。三世代目になるとほとんど系図を観ないと理解不能だった。

桜花匂ひあまたに散らさじと蔽ふばかりの袖はありやは  女童なれき

『源氏物語「竹河」』

玉鬘の娘大君と中君が桜の花を賭けて碁を打ち、負けた大君から桜の歌を唱和していくシーン。玉鬘一家の幸福時代。

(玉鬘の娘:大君)
桜ゆゑ,風に心のさわぐかな.。思ひぐまなき花と見る見る

(大君の宰相君)
咲くと見て、かつて 散りぬる花なれば、負くるを探きうらみも せず

(玉鬘の娘:妹の中君)
風に散ることは 世の常、枝ながら、うつろふ花をたゞにしも 見じ

(中君の女房大輔の君)
心ありて、池のみぎはに落つる花、あわとなりても 我方に寄れ

(中君付きの童:子供の侍女か?)
大空の風に散れども、さくら花、おのがものとぞ かき集めて見る

(大君に仕える童なれき)
桜花、におひあまたに散らさじと、おおふばかりの袖は ありやは

玉鬘邸の中庭で碁の勝負にまけた姉から妹へ桜のうたが唱和されていく。

「竹河」のこの桜のシーンは「国宝源氏物語絵巻 竹河2」に描かれているという。

いかでかく巣立ちけるぞと思ふにも憂き水鳥の契りをぞ知る 大君

『源氏物語「橋姫」』

物語を順番に読んでいれば間違うこともないのだが、この大君は八の宮(源氏の弟君)の姫君で先ほどの玉鬘の娘とは別人なのだ。ここから「宇治十帖」の本編が始まる。それまではイントロのような序曲的なものだろうか?
この歌は妻を亡くした八の宮と悲しみを唱和するシーン。大君も自身の出生を嘆いているのは薫との共通点として惹かれ合うのか?

我なくて草の庵は荒れぬともこの一言は枯れじとぞ思ふ  八宮

『源氏物語「椎本」』

『源氏物語』も後半になると老いや不条理感が多くなり雅な世界よりも隠遁した世界になっていくのだ。そこが単なる宮廷物語だけではなく、その衰退も描いている。それでも俗の心(親心や恋心)はなかなか断ち切れないという。

貫きもあへずもろき涙の玉の緒に長き契りをいかが結ばむ  大君

『源氏物語「総角」』

八宮が亡くなって一周忌の準備に薫が訪れるが薫の目的は大君と結ばれることだった。その拒絶の歌であり、玉の緒の露は涙の比喩的表現。それがこぼれ落ちて結ぶことが出来ないという歌。大君は和歌が上手いようだ。

あり経ればうれしき瀬にも逢ひけるを身を宇治川に投げてましかば 大輔君

『源氏物語「早蕨」』

都に行く中宮に付きそう侍女たちの喜びの唱和だという。大君は自害しておりそれに付き添って川に身を投げたいと歌った弁の尼への返歌となっているという。

霜にあへず枯れにし園の菊なれど残りの色は褪せずもあるかな 今上帝

『源氏物語「宿木」』

今上帝は現在の天皇で朱雀院の息子で明石の姫を中宮にするほどの時の権力者(光源氏方とは対抗する勢力)、その妹である女二宮を降嫁させ薫の妻にしようとする。表向き白菊と詠う(すでに老いの心境)で世に輝く薫の後ろ盾が欲しいというのは光源氏と女三宮の場合と同じだった。都に出てきた中君は匂宮から愛想をつかされる(夕霧の娘六の君と結婚したので)。そのことで薫は中君に近づこうとするのだが、中君は浮舟の存在を匂わせ薫の関心をそっちに向けようとする。このへんは孫世代なので複雑きわまりない関係性になっている。

里の名も昔ながらに見し人の面変はりせる寝屋の月影 薫

『源氏物語「東屋」』

いよいよ浮舟との関係が始まる。「昔ながらに見し人」は大君のことで、その身代わりということになるのだが最初に目を付けたのが匂宮で、彼から隠すために薫が東屋を用意するのだった。浮舟の侍女弁尼は薫の秘密を知る人でもあった。

年経とも変はらむものか橘の小島の先に契る心は 匂宮

『源氏物語「浮舟」』

匂宮は薫を装い東屋で浮舟の契る。浮舟は匂宮に別の場所に連れ出されたときの歌。浮舟は二人の男に引き裂かれて入水するのだった。その前に匂宮に出した返信。

橘の小島の色は変わらじをこの浮舟ぞ行方知られぬ 浮舟

『源氏物語「浮舟」』

「浮舟」の名前の元になった歌だが、「うきふね」に「憂き舟」が掛けられいた。

あはれ知る心は人に遅れねど数ならう身に消えつつぞ経る 小宰相君

『源氏物語「蜻蛉」』

塚本邦雄によると「蜻蛉」と「蜉蝣」は区別すべきで、平安時代は同じ「薄羽蜉蝣」を「蜻蛉」と一緒にしていたからという。「蜻蛉日記」はトンボの意味ではなく「蜉蝣」なのだが、そういうことだった。現在では「かげろう」で変換させると「蜉蝣」はでてくるが「蜻蛉」は出てこない。あきらかに歴史上の誤字が当たり前のように流通したのは、本の題名だったりしたからだろうか?まあ、本のタイトルなら文句を言う人もいないのだろうが「蜻蛉」を変換できなくて困った。過去ログをみたら「蜉蝣」になっていた。

小宰相君は女一の宮の侍女なのだが薫が密かに思いを寄せる人とある。薫も浮舟のことは諦め他の女に手を出すのか?変わり身が早いのは源氏の血筋か(光源氏とは繋がってないから頭の中将の血筋なのか)。小宰相君が第三者の立場から「あはれ」と詠むのは読者心理なのだろうか?

憂きものと思ひも知らで過ぐす身を物思ふ人と人は知りけり 浮舟

『源氏物語「手習」』

入水したと思ったら横川の僧都(恵心僧都がモデルという)に救われて、この歌はその妹の尼君の元にいるときに中将某の恋文の返事だという。その中将に襲われそうになったので、今度は姿を消して出家したという。

法(のり)の師と尋ぬる道をしるべにて思はぬ山に踏みまどふかな 薫

『源氏物語「夢浮橋」』

薫が横川の僧都を尋ね思はぬ浮舟に再開したときの歌。浮舟の返歌はなく、『源氏物語』最後の歌として「山に踏みまどふ」まま留まったのだ。

NHK短歌

毎月第3週は大森静佳さんが選者の「“ものがたり”の深みへ」。今回のテーマは「鏡」。ゲストは文芸評論家の三宅香帆さん。司会はミュージシャンの尾崎世界観さん。

ゲストが文芸評論家の三宅香帆さんだった。高橋源一郎の批評が思っていることと違ったので好きではない。noteに掲載されていてコメントしたけど無視された。まあ慶応系列の批評系だから。江藤淳とか福田和也とか保守系のような。

鏡か。三面鏡の葛原妙子の短歌

つくつくぼふし三面鏡の三面の
     おくがに啼きてちひさきひかり 葛原妙子

三面鏡で投稿したんだけど、さすがに葛原妙子が出てしまうと駄目だな。母の三面鏡というような短歌。

化粧する三面鏡ににらめっこ笑えない母睨む鬼の眼

「ポーの一族」は読んでないからわからん。吸血鬼の同性愛的な話?

<題・テーマ>川野里子さん「氷」、俵万智さん「色」(テーマ)
~6月17日(月) 午後1時 締め切り~

<題・テーマ>大森静佳さん「こわいもの」(テーマ)、枡野浩一さん「おめでとう/おしあわせに」(テーマ)
~7月1日(月) 午後1時 締め切り~

短歌における批評とは

『短歌における批評とは』村井紀「歌会始めと新聞歌壇」から。

「歌会始め」は伝統ある歌会だと思っていたが始まったのは明治の近代化の一つとされる。つまりそれは国民側からの天皇制の神格化を望んだ行事であり現在でもそのように天皇制の中で臣民として歌を捧げるという行事になっているのである。そう思うとそれに加盟し実際に選者となる歌人たちは天皇制を支持しているのか?そのへんがあいまいなままに歌の伝統として格式付けられているのである。そのことを問題とする歌人はあまりいない。

例えば明治ならば正岡子規や与謝野鉄幹による皇室短歌の伝統を批判する運動はあったのだ。それが「短歌滅亡論」として、歌人たちの中にはそのまま、伝統和歌の宮廷の系譜(流派)に従っては駄目になるという危機意識があったのだ。それが国民という新聞が新たに名付ける政治的運動として、なし崩し的に天皇制と結び付けられていく皇国主義となっていくのだった。

そのような「歌会始め」や「新聞歌壇」からは優れた歌が選ばれながらもただ消費されるだけになっている。歌人はそれらとは別の場所で生存しているのであり、それらのシステムは歌人を存続させる下位システムとしての役割しか果たしていないのである。短歌や俳句の文芸が一般的な芸術と違うのはそういうところなのだろう。つまり短歌の中にある天皇制をそれまで問題としてこなかったのである。

村井紀は折口信夫の歌論をも否定していくのだがなかなか難しい問題をはらんでいるのは、新聞や大手マスコミがそうした短詩を芸術としてではなく、消費される言葉として、利用しているからだろうか?現在のキャッチコピー化短歌はまさに消費文明を担っていると言えるのかもしれない。それとは別のところで天皇制も機能しているのだが。


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