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戦後のドイツ女性の生き方は日本と重なる

『マリア・ブラウンの結婚』(1978年/西ドイツ)監督:ファスビンダー 出演:ハンナ・シグラ、クラウス・レーヴィッチュ、ギゼラ・ウーレン

ニュー・ジャーマン・シネマの担い手として、戦後ドイツ映画界を牽引したライナー・ベルナー・ファスビンダー監督が、その名を一躍世界に広めた代表作。第2次世界大戦末期からドイツが復興の兆しを見せ始めるまでの約10年間にわたり、運命に翻弄されるヒロインの悲劇を描いた。

戦時下で結婚式を挙げたマリアとヘルマンだったが、ヘルマンはすぐに東部戦線へと送り出される。戦争が終わってもヘルマンは戻らず、マリアは夫の戦死を知らされる。やがてマリアは黒人兵士ビルと結婚し、平穏な生活を手にするが、そこへ死んだと知らされていたヘルマンが戻ってくる。

1980年に日本初公開(フランス映画社配給)。2012年、ファスビンダー監督没後30年の特集上映「ファスビンダーと美しきヒロインたち」でニュープリント版が上映され、2023年の特集上映「ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー傑作選」でも上映される。

扇情的なポスターだが戦後のドイツで女性が生きていくためには自分の身体を売り物にしなければならないという映画だったのか?確かに最初の黒人相手のクラブホステスはそんな様相だったが、そのあとに英語を学び、フランス人との間では通訳としてキャリアを重ねてきたのである。

それを考えると女性の自立していく過程を描いたとも言えるかもしれない。オープニングがドイツの敗戦の爆発でラストもガス爆発だった(事故?)。ラストの爆発は不明な点が多いのだがテロを象徴していると考えてもいいような気がする。

それはこの映画が西ドイツの敗戦の歴史を描いているのだ。それは日本の戦後とも非常に似ている。まずアメリカの統治時代があり、そこの米軍御用達のクラブでホステスとして働く。そしてアデナウアー内閣の経済発展と軍備拡張。日本だと高度成長期の佐藤内閣の感じだろうか?その時代はすでにホステスではなくてフランス人の通訳としてアメリカ人と交渉しているキャリアウーマンなのだ。そして、ラストはドイツがサッカーで優勝しふたたび男たちが自信を取り戻したときに、テロのような爆発事故が起きるのである。

つまりドイツの政治的流れに否を突きつけたのがマリア・ブラウンではないか?マリア・ブラウンが結婚したのはドイツの軍人だった。彼は戦争に敗れ行方不明になっていたが戻ってきても牢屋にいれられて仕事についてないのだ。戦後の彼にはマリア・ブラウンのように仕事をする能力がなかった。男性性の喪失の時代だったかもしれない。そしてドイツが再軍備化と共に男の存在が大きくなっていくのだった。ラストは不動産がマリア・ブラウンの持ち物でさえなく、彼女の働きは無駄になるのだが、それは男社会が再び蘇ったからではないだろうか?日本の今の状態のような保守化が進んでいた。それにノンを突きつけるラストじゃないかと思うのだ。

一人の女性の生き方によってドイツの戦後史を見せたのだが、それは彼女の望む社会にはなっていなかった。今ならフェミニズムやメルケルが出てきて社会も変化したのだが、その前段階の女性にとっては反動の時期だったのかもしれない。政治的にも軍備拡張の対決路線で対話していくという姿(マリア・ブラウンは対話路線なのだ)がなし崩しに崩れていく時代がファスビンダー時代だったのではないか(ベルリンの壁崩壊前の時代)。日本はまだまだ反動の時代が続いているが。


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