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「毒」とは「とく」と読んで「説く」から「徳」へ

『身毒丸』 折口信夫(Kindle版)

大正から昭和にかけて民俗学、国文学、国学の研究者として活躍した折口信夫の小説。初出は「みづほ」[1917(大正6)年]。「高安長者伝説から、宗教倫理の方便風な分子をとり去って、最原始的な物語」として伝説の研究の表現のために小説にしたものである。田楽師の子、身毒丸(しんとくまる)の暮らしを描く事で、伝説の原始様式の語りて存在を考える。「死者の書」同様、国文学者ゆえの緻密な考証に基づいた古代生活の描写が素晴らしい。

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富岡多惠子『釋迢空ノート』によると折口信夫の青年期に「釈迢空」と戒名を授けた僧侶との出会いが『身毒丸』を書かせたとある。その真意は別にして、折口の手法は民族学をただ論文を書くということではなく、実践の場として文学で表現していくことだった(折口の「あとがき」参照)。

例えば『万葉集』の実践の場が釈迢空のうた(短歌ではなく、あえて「うた」と表記したい)であり、この『身毒丸』は、説経節(仏教的)よりも浄瑠璃や能というような芸能に近い形、能以前の猿楽のような旅芸人の語り部としての民族学実践の小説なのであった。

それは「身毒丸」という身体を通して、あの世と通じる世界、その秘技は「明かしえぬ共同体」というべき儀式(秘技)があったと思われる。文学では、そのエロティシズムを感じてしまうというところか?「死」と「性」というような。


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