見出し画像

映画の大河ドラマに消える

『情熱の大河に消える』(2019年|ペルー|100分)監督:エドゥアルド・ギジョッド 出演:ステファノ・トッソ、バニア・アシネ

情熱的で型にはまらない文学生ハビエル・エロー。父親には、詩人となることに反対されていた。やがて、世界青年フォーラムに招待され訪れたパリでマリオ・バルガス・リョサと出会い、キューバ革命について意見を交換する。ラテンアメリカの不平等を克服するには革命しかないと確信した彼は、ゲリラ・グループに参加することを決意するが・・・。
・17 Festival Images Hispano – Américaines観客賞(フランス)
・Festival Cinema Hispanique観客賞(フランス)


ペルーと言ってもピンとくる人は少ないだろう。ある程度年配の方ならフジモリ大統領のとこ?『KAMIKAZE TAXI』で似たようなセリフがあった。

ペルーもブラジルのように日系人が多く住むようなところだ。戦時中に南米移民として行ってたからだろう(アメリカ大陸の移民が多くて、アメリカとの関係も悪くなった)。

ペルーというとあとは「コンドルは飛んでいく」のようなフォルクローレだろうか?『KAMIKAZE TAXI』でもケナーの笛で吹くアンデスの風をイメージした音楽が印象的だった。その映画では反乱軍ゲリラはセンデロがひきいる少年兵だと描かれていたが。

この映画の詩人ハビエル・エローが政府軍に殺されたのはそれ以前の話でマヌエル・プラード政権下で映画の中でもハビエル・エローの家は上流階級であり階級差が激しい社会であったようだ。

そしてキューバ革命で南米で革命運動が盛んになった時期であり、ハビエルはソ連へ留学して革命運動に目覚めていくのだが、パリでバルガス・リョサに会っていた。そのバルガス・リョサが大統領選に出馬したのが前述のフジモリ大統領と選挙で争ったのだった。リョサはマルケスに比べてイメージが良くないのは、エイズで亡くなったレイナルド・アレナスがリョサとの諍いを描いていたせいかもしれない。リョサは保守系色が強いのかな。

話をハビエル・エローに戻すと若くして詩が注目されて、ラテン・アメリカのランボーと言われたようであるが、二十歳には詩を止める宣言をしていたという。それより社会活動(革命運動)に引かれていったのか、そこのところをもう少しわかりやすく描いてくれれば良かったのだが、彼が何故、詩より政治に向かったのか分かりにくかった。ペルーの民衆のことを考えてということだろうが、彼は上流階級で裕福な暮らしをしていたのだ。パリにいるバルガス・リョサは自由を求めてということだから、そんなところだろか?
ただその頃はまだ詩を書いていたように描かれるのだが。

この映画よりドキュメンタリー(『ある詩人の旅路』)の方を見れば良かったとちょっと後悔している。そこには彼が詩より革命運動に入って行った理由が語られているかもしれない。

映画の題はキューバから母に書かれた手紙の詩からだと思う。この川が太平洋に流れて僕の汚れた目をあらってくれるだろうか?というような詩だったと思う(うろ覚え)。彼の詩は日本では翻訳されてないのか、検索しても出てこない。映画はいきなりキューバから政府軍との抗争シーンになっていくのでよくわからないところがあった。彼の詩が映画に花を添えていたのは良かったのだが。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?