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コルトレーンとドルフィーの「巌流島の決闘」デスマッチはプロレスだった?

JOHN COLTRANE"Live Trane - The European Tours"(Pablo)

いきなりトチ狂ったように8時間超え、七枚組、全39曲のコルトレーンのライブ・ツアー・アルバムです。おまけに私家録音だから音も悪くてモノラル、同じ曲ばかりのアルバムをどうして聴けるのでしょうか?それはエリック・ドルフィーが参加しているからですね。

コルトレーンが黄金のカルテットを作るまでの様々な試行錯誤、いや試行錯誤はなかったと思います。ただドルフィーというジャズ・ミュージシャンと対峙していく中で突き進むしかなかった。マイルスのマラソン・セッションにも匹敵するヨーロッパというアメリカから遠く離れた場所でのマラソン・ツアーなのです。

こんなコロナ禍の時期にしか全曲通して聴けないと思うのです。いや、今だから聴くべきアルバムがあるのではないか?二人のミュージシャンが真剣にこれからのジャズを語り合った、いや殴り合ったのかもしれない、天才ミュージシャンの「巌流島の決闘」ですよね。

まあイニシアチブは、コルトレーンがリーダーなので、コルトレーンにあるのですが、ドルフィーのソロがその枠を外してしまう。それはドルフィーにとってはいつものことなんですけど、コルトレーンは反応していく。二人の世界にどっぷりフリーに。その世界の中で各メンバーのソロが鍛えられていきます。最終的にはドルフィーは外れてしまうことになるんですが、どういう経緯なのか想像するしか無いんですが、コルトレーンはドルフィーとやりたかった。それは晩年ドルフィーの死後に託されたフルートをコルトレーンが持っていたことから伺われます。ただドルフィーのやりたいことは別にあったのだろうと思います。

61年のフランスでの最初の「My Favorite Things」ですかね。ドルフィーのフルートにコルトレーンのリミッターが外れてしまう。それまで正規版で録音されたドルフィーはコルトレーンのジャズに自分をセーブしていたのがわかります。ライブで一気に解放された。ドルフィーとしてはミンガスのバンドでは普通のことなんです。

ドルフィーとの演奏は、CD二枚(9曲目の「My Favorite Things」)までで、その後はコルトレーンがどのようにドルフィーの穴を埋めるのか、まさに埋めることができない穴なのですが、そこで各メンバーのソロが長くなっていく。コルトレーン1人ではとてもじゃないが体力が続かない。そこに黄金カルテットが出来ていくのですがそれさえもコルトレーンは満足出来ずに、晩年はファラオ・サンダースを加えるのです。


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