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映画愛=ノワールという『辰巳』観賞レポート

『辰巳』(2023年/日本/108分)【監督】小路紘史 【キャスト】遠藤雄弥,森田想,佐藤五郎,後藤剛範,倉本朋幸,松本亮,渡部龍平,龜田七海,足立智充,藤原季節

2015年、第28回東京国際映画祭<日本映画スプラッシュ部門>で作品賞を受賞し、同年の新藤兼人賞銀賞を受賞した自主映画『ケンとカズ』で、多くの映画ファンの度肝を抜いた小路紘史監督が、8年の時を経て新たに生み出した待望の新作『辰巳』(たつみ)。

タイトルロールである主人公・辰巳役には、繊細かつ骨太な芝居で、近年では『の方へ、流れる』(22/竹馬靖具監督)に主演したほか、カンヌ国際映画祭「ある視点」に出品され、仏・セザール賞で4部門にノミネートされた話題作『ONODA 一万夜を越えて』(21/アルチュール・アラリ監督)での高評価が記憶に新しい遠藤雄弥。懺悔にも近い悲しみを抱え、希望なき世界を所在なく生きる辰巳の生き様をスクリーンに焼き付ける。
さらに最愛の人を失い絶望のなかで行き場のない怒りを復讐に変える少女・葵役には、松居大悟監督の『アイスと雨音』(18)で初主演を務めて以降、『タイトル、拒絶』(21/山田佳奈監督)、『わたし達はおとな』(22/加藤拓也監督)など、作品ごとに変幻自在の印象を残す注目の若手女優、森田想。森田は2023年に主演映画『わたしの見ている世界が全て』(佐近圭太郎監督)でマドリード国際映画祭外国映画部門にて主演女優賞を受賞するなど、その確かな演技力はもちろんのこと、演じる役柄に気骨と情念を吹き込むことができる稀有な若手俳優だ。
そのほかキャスト陣は、2019年と2021年にNetflixで制作・配信されたドラマ「全裸監督」シリーズ(武正晴監督)にて、ラグビー後藤を演じ大きな注目を浴びた後藤剛範。『ケイコ 目を澄ませて』(22/三宅唱監督)、『福田村事件』(23/森達也監督)、など、国内の映画賞に絡み、映画ファンから注目された話題作への出演が相次ぐ、佐藤五郎。劇団「オーストラ・マコンドー」の主宰で、これまで様々なジャンルの舞台作品を100本以上演出し、本作が映画初出演となる倉本朋幸。その他にも、松本亮や龜田七海、そして、映画『佐々木、イン、マイマイン』(20/内山拓也監督)、『くれなずめ』(21/松居大悟監督)、『空白』(21/

社会からはみ出したヤクザ映画。中小企業的になった組織の中で生き残りをかける金がすべてであるというアニキと情の中に行き方を見出す辰巳の対立。その中にアナーキーな半グレというヤクザの論理を超えた「殺し」に快感を覚えるサイコパス(殺人鬼)が登場する。

ジャパン・ノワールという宣伝文句。確かに韓国ノワール+東映ヤクザ映画という感じなのか。辰巳の仕事は死体の解体屋で、誰もやりたがらないが死体隠滅のために必要な(?)な役割なのが、底辺労働者のソーシャルワーカーのような位置づけなのか?そのために殺しが組織の中でリスクが大きいことを知っている。サイコパスの半グレは、短絡的にやっつけ仕事のように殺しに快感を覚えていく。その上に組織のアニキという存在がそいつらを利用して生き残りのために情を捨て、金がすべてという対立構造になるのか?

それは殺し=愛ということかもしれない。それぞれの関係性が例えばアニキだったら組織愛、半グレ殺人鬼は快楽愛、辰巳は情愛(それが映画愛につながっていくのだと思うが)というパターンなのか?例えば快楽愛のサイコパス映画は多いけど、この映画にノワールという一本筋が通っている愛があるのだと思う。それが最初は短期間で撮る映画だったのだが、現場でディカッションしていくうちにどんどん面白いアイデアが膨らんでいく映画だったのかもしれない。

辰巳は一匹狼的なアウトロー(現代版健さん)で生存のためなら弟(シャブ中だった)も殺すというクールな思考なのだが、元恋人が殺されその妹が姉の復讐に関わるのに助けていく形になる(その中に愛を見出す)。ヤクザの中の兄弟分もそうだけど辰巳の中の兄弟という情と姉を殺された妹の情(愛)、半グレの兄弟の(感)情と様々に交差していくので、細部のストーリーはわかりにくいかも。ただ単純に復讐譚のノワール映画という系譜にあるのか、そこのところで飽きさせない映画になっていた。

監督のスタイルが中小企業(インディーズ)の「ものづくり」の面白さにあるのか、例えば死体を解剖するシーンとか解剖される人の口から映し出すというような撮影方法。それは日活ロマンポルノで山本晋也監督が女性器から男たちの欲望を映すというようなそうしたアイデアが継承されているような。そうした現場主義の撮影方法がゴダールのヌヴェルバーグではないけど、大手会社の組織にない自由な気風を感じさせるのかもしれない。

映画の手法がただ生き残りをかけるヤクザの組織と重なるような、本質的な愛というテーマは次第に見えにくくなっている社会の中にあって、映画の底に流れている映画愛というもものが人を呼ぶ映画になっているのだろうか(初日で舞台挨拶もあるということで、結構混雑していた。またリピーターの人も何人かいたようだ)?それは大手が作る資本主義の中の映画よりは、映画作りの熱量が伝わってくるのかもしれない。

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