映画愛=ノワールという『辰巳』観賞レポート
『辰巳』(2023年/日本/108分)【監督】小路紘史 【キャスト】遠藤雄弥,森田想,佐藤五郎,後藤剛範,倉本朋幸,松本亮,渡部龍平,龜田七海,足立智充,藤原季節
社会からはみ出したヤクザ映画。中小企業的になった組織の中で生き残りをかける金がすべてであるというアニキと情の中に行き方を見出す辰巳の対立。その中にアナーキーな半グレというヤクザの論理を超えた「殺し」に快感を覚えるサイコパス(殺人鬼)が登場する。
ジャパン・ノワールという宣伝文句。確かに韓国ノワール+東映ヤクザ映画という感じなのか。辰巳の仕事は死体の解体屋で、誰もやりたがらないが死体隠滅のために必要な(?)な役割なのが、底辺労働者のソーシャルワーカーのような位置づけなのか?そのために殺しが組織の中でリスクが大きいことを知っている。サイコパスの半グレは、短絡的にやっつけ仕事のように殺しに快感を覚えていく。その上に組織のアニキという存在がそいつらを利用して生き残りのために情を捨て、金がすべてという対立構造になるのか?
それは殺し=愛ということかもしれない。それぞれの関係性が例えばアニキだったら組織愛、半グレ殺人鬼は快楽愛、辰巳は情愛(それが映画愛につながっていくのだと思うが)というパターンなのか?例えば快楽愛のサイコパス映画は多いけど、この映画にノワールという一本筋が通っている愛があるのだと思う。それが最初は短期間で撮る映画だったのだが、現場でディカッションしていくうちにどんどん面白いアイデアが膨らんでいく映画だったのかもしれない。
辰巳は一匹狼的なアウトロー(現代版健さん)で生存のためなら弟(シャブ中だった)も殺すというクールな思考なのだが、元恋人が殺されその妹が姉の復讐に関わるのに助けていく形になる(その中に愛を見出す)。ヤクザの中の兄弟分もそうだけど辰巳の中の兄弟という情と姉を殺された妹の情(愛)、半グレの兄弟の(感)情と様々に交差していくので、細部のストーリーはわかりにくいかも。ただ単純に復讐譚のノワール映画という系譜にあるのか、そこのところで飽きさせない映画になっていた。
監督のスタイルが中小企業(インディーズ)の「ものづくり」の面白さにあるのか、例えば死体を解剖するシーンとか解剖される人の口から映し出すというような撮影方法。それは日活ロマンポルノで山本晋也監督が女性器から男たちの欲望を映すというようなそうしたアイデアが継承されているような。そうした現場主義の撮影方法がゴダールのヌヴェルバーグではないけど、大手会社の組織にない自由な気風を感じさせるのかもしれない。
映画の手法がただ生き残りをかけるヤクザの組織と重なるような、本質的な愛というテーマは次第に見えにくくなっている社会の中にあって、映画の底に流れている映画愛というもものが人を呼ぶ映画になっているのだろうか(初日で舞台挨拶もあるということで、結構混雑していた。またリピーターの人も何人かいたようだ)?それは大手が作る資本主義の中の映画よりは、映画作りの熱量が伝わってくるのかもしれない。
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