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シン・現代詩レッスン29

テキストは『文選 詩篇(1)』から「献詩」曹植「躬を責むる詩」。そもそも漢詩に興味を持ったのは中国ドラマを観ていて、やはり漢詩がでてくるのである。中国ドラマでは『光る君へ』で和歌が重要なポイントになっているように漢詩も重要なポイントになっているのである。そもそも日本の歌物語(『源氏物語』のような)も中国の古典の影響を受けているのであった(『白氏文集』とか『文選』などはテキストして引用されたりした)。そのことからも『文選』を読もうと思ったのだが、なかなか面白さを理解できなかった。

それが『三国志 ~司馬懿 軍師連盟~』を観ながら実際に魏の武帝(曹操)の子曹丕・曹植の名前を知って詩を読むとかなり面白い詩だったのだ。曹丕と曹植は武帝の権力者争いをして敗者となったのが弟・曹植であった。権力者の反乱分子なら処刑されることが当たり前なのだが、母の温情によって救われる。

その後で父と兄に対して「始末書」のような釈明をしなければならなかったのだ。それが「躬(み)を責むる詩」だった。父と兄は不信感だらけなのだ。政治的理知を持っていたのが曹丕であり(ドラマでは冷酷さになる)、そうした政治力よりも感情が激しかったのが曹植であったという。その性格は詩にも出ていると思う。つまり理知(命運)によるよりも感情面で墓穴を掘ったが、そこは父の寛大さと兄の徳によって許しを得たいという四字九十六連の詩。その前に序詞もあり、経緯の説明と反省の弁が書かれている。漢詩は難しいので訳文による。

我が身を責める詩  曹植

ああ、気高き父君、これぞ武皇帝。
天より命を受け、国じゅうに安寧をもたらされました。
赤い御旗が振るわれた所、隅々まで平服するに至りました。
徳はあまねく行き渡り、地の果てまで帰順したのです。
殷にまさり周をも超え、尭にならぶほどでありました。
天の祝福を受けて我が天子がお生まれになり、二代に渡って聡明であらせられます。
武はとはいえば凛々しく、文はといえばみやびやか。
漢王朝より帝位を譲られて、よろずの国々に君臨されます。

なかなかテーマが難しくて続けられなかった。ちょっと大きすぎるのかもしれない。あまり日常問題を吟ずる詩でもなかった。自殺する遺書みたいなものなのだろうか?しかし、自死できない生の欲望があるのである。その欲望が感じられるから興味を引くのかもしれない。辞世の句ではないのだ。謝罪の詩はそうした己を説明しなければならない。

我が身を責める詩  やどかり

ああ、虚構だけの父、嘘八百の母
そんな息子に生まれた我は
天からも見放されている
天にもの申せばツバが返り
血の贖いは汚辱となる
日本臣民としての覚悟のなさは
父母の尊敬のなさである
古くはイザナミ・イザナギがいたとして
神々が我の両親でもあらずに邪教の子
むしろ流されたヒルコを姉と崇めなければならない
僕らは遺書を何通書いたのだろうか?
それが繰り返されるリスト・カットにしても
そうして置き去りにされて国はますます虚構化していく

思っていたイメージと展開が違ってしまった。もうちょっとリアルな始末書風にしたかったのだが、遺書風になっていた。最初の題名で引っ張られたかもしれない。


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