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シン・短歌レッス108

西行


山深みけぢかき鳥の音はせで物恐ろしき梟の声  西行


「梟」の恐怖についての歌だが、梟は最近ではペットで飼われていたり癒やしの鳥として梟喫茶なるものがある現実との落差。「山深み」という始まりは、西行の歌友寂然とのやり取りで、西行が「山深み」という歌を送ると「大原の里」と返ってくる歌が10首ずつも『山家集』に載っているという。実際にはさらにあったのかもしれない。こういうやり取りはいいなあ。ただ出家したんではないのか?と言いたくなるが。

このへんが梟が怖いとか言う西行の弱さなんだろう。武芸に秀でているが、こうい弱さを漏らすことで返って好感が持てるのかもしれない。

山深みさこそはあらめと聞こえつつ音あはれなる谷川の水  西行
あはれさは高野と君も思ひやれ秋暮れがたの大原の里    寂然

『山家集』

寂然の方が大人の歌のように思える。「高野」は高野山に暮らす西行の自然と寂然の里の暮らしとの対比が伺われるという。お互いに私の方が寂しいという承認欲求の歌だという(それを楽しんでいる)。今も昔もかわらないのだった。

苗代にせき下されし天の川止まるも神のこころなるべし  西行

『山家集』

待賢門院の女房たちと吹上に行った途中で暴風雨に出会ったので歌を捧げて雨を止ませたという西行の歌僧としての神通力を示した歌だと言われる。能因の歌に雨乞いで雨を降らせたという神通力を示した歌を踏まえている。

天の川苗代水にせき下せ天降ります神ならば神  能因法師

『金葉集・雑』

和歌がただの詩ではなく神との交信であったことを示す歌だという。

力も入れずして天地を動かし、目に見えぬ鬼神もあはれ

『古今集・仮名序』

末法には神仏への祈願も届かないとされていたが、西行の歌の力を示す神話としての伝承された歌だという。

世の中を厭ふまでこそ難(かた)からめ仮のやどを惜しむ君かな  西行

『山家集』『新古今集・雑』

西行が雨が降ってきたので遊女の宿を借りようとして断られた時の歌だという。僧侶なんだから雨ぐらい自分でなんとかしろよ。神に通じていてという話はどうなんだ。遊女に対してたしなめるよりも自分が見本としろよと言いたくなる。まあ、西行だからということか?面白いのはこの歌に対して遊女妙が返歌をしているという。もっともな歌だった。お前そんなこと言えるのか?みたいな。

家を出づる人として聞けば仮の宿心止むなと思ふばかりぞ  遊女・妙

『山家集』

このような遊女と僧のやり取りは後の伝承物語にも影響を与えたという。西行が歌を詠んだから遊女の地位も上がったというような。物は言いよう。

うなゐ子がすさみに鳴らす麦笛の声に驚く夏の昼臥し  西行

『聞書集』

西行の「戯(たわぶ)れ歌」の十三首の最初の歌。僧侶でありながら子供のような無邪気な歌を詠む姿が西行らしいのかな。ここには武士である威厳もないな。これは後白河院の『梁塵秘抄』の今様に通じるものがあるという。

遊びをせんとや生まれけむ 戯れせんとや生まれけん 遊ぶ子供の声聞けば 我が身さえこそ動(ゆる)がるれ

『梁塵秘抄』

年たけてまた超ゆべしと思ひきや命なりけり小夜の中山  西行

『新古今集・羇旅』

西行が年老いてからの奥州の旅で詠まれたうた。西行六十九歳の作。「小夜の中山」は歌枕になり、芭蕉の句に小夜の中山を詠んだのがあったことを想い出した。「西行の山をたづねて、人の拾はぬ蝕栗なり」。

命なりわづかの笠の下涼(したすず)み  芭蕉

岩戸あけし天つ尊のその上に桜を誰か植ゑ始めけん  西行

『御裳濯河歌合』『西行上人集』

『御裳濯河歌合』の巻頭を飾る、天照大神の岩戸神話に基づく歌。桜を誰が植えたのだろうかの答えは同じ『御裳濯河歌合』の4番目の左の歌にあるという。

なべてならぬよもの山べの花はみな吉野よりこそ種はちりけめ  西行

『御裳濯河歌合』

このことから吉野が桜の名勝地であるとされた。西行は天岩戸のモチーフを月の歌でも残している。

天の原同じ岩戸を出づれども光異なる秋の夜の月  西行

『山家集』

また、『御裳濯河歌合』でも月を大日如来の衆生済度の請願の歌を合わせている。桜や月を愛でる西行の謝意が伝わる。

神路山月さやかんるちかひありて天の下をばてらすなり  西行

『西行法師家集』

深く入りて神路の奥を尋ねればまた上もなき峰の松風  西行

『西行法師家集』『千載集・神祇』

『御裳濯河歌合』の最後を飾る歌。「大日如来の垂迹を思ひて」の詞書。「深く入りて」は修行で入山すること。「峰の松風」は法華経を詠む声が峰の松風と響き合っているの意味。

風になびく富士の煙の空に消えて行方も知らぬわが思ひかな  西行

『新古今・雑』

西行が亡くなる前に詠んだ歌で自讃歌(自嘆歌)。かつては恋の歌として富士を詠んだが、ここでは「無常の風」が富士の煙を空に消してしまうのを心と重ねているのだ。西行の歌の特徴として「わが思ひ」とか「わが心」を多く歌ってきたのだった。それらは富士の煙と共に消えていく運命にあるのだが歌は残ったのだ。


定形短歌との戦い──塚本邦雄を継承できるか?──

小林幹也『定形短歌との戦い』から「異質なリズムを求めて」。小野十三郎の「奴隷の韻律」と言ったことは塚本邦雄の作風に影響を与えた。短歌の韻律五七五七七が古来から天皇制の中で詠嘆しながら、センチメンタルな集合性がやがて戦時の翼賛体制のようなものを求めた反省からである。

ただ五七五七七だけがそうなのかと言えばそれは詩であっても小説であっても同じであり、単にそのリズムだけではないような気もするのだが、民謡がリズムを合わせて労働歌として作業効率を進めていったのも事実としてあるが、農業のリズムに漁業のリズムが入ってきたというのは最近見た映画で感じたことだった。違ったものリズムがズレを生み出すことによってもまたリズムを感じることであり塚本邦雄はそれを求めたのかもしれない。

日本脱出したし 皇帝ペンギンも皇帝ペンギンの飼育係も  塚本邦雄

『日本人霊歌』

五七五七七の定形を崩すリズムだが、「皇帝ペンギン」という言葉をリフレインさせることでリズムを生んでいる。最初のペンギンは奴隷のように飼育されるものだとしたら後のペンギンは飼育係の上に立つものである。それは「皇帝」という言葉に導かれて、権力機構を暗示している。

幼稚園塗繪の時間百人が必死に瀕死のライオンを塗る  塚本邦雄

『魔王』

「必死に」と「瀕死」が韻を踏む。そこに駄洒落ではないものがあるという。先程の皇帝ペンギンの歌と共に考えれば、幼稚園というシステムの中で塗絵という教育的な時間でライオンの枠内で色を塗るのである。そこに滑稽さを感じると共にあるシステムを暴き出そうとしている。

これは駄洒落ではないもの、例えば正岡子規が紀貫之の『古今集』を批判したときに、掛詞や縁語と言った駄洒落とも取れる中で本質的なことは何も言ってないとした。しかし塚本はそこに美意識や中世和歌の中心となるものを見る。それが塚本邦雄の古来の和歌研究と自身の短歌制作があると思うのだ。ただの駄洒落と見た正岡子規に対して、塚本邦雄は違うものを提出した。

遁走曲(ふーが)若衆、風雅和歌集 人生をかへりみれば水の底  塚本邦雄

『風雅黙字録』

ボードレールの笑いの本質について。

滑稽というものは、笑いの原動力は、笑う者の裡に存するのであり、笑いの対象の裡にあるのでは断じてない。 ボードレール

「笑いの本質について、および一般の造形芸術について」阿部良雄訳

ここで駄洒落的だと笑ってしまうものには笑わせておけばいいのかもしれない。少なくとも塚本邦雄の中には短歌に対する真面目なリズムの問題があったのだ。

ヴァンサンカンと晩餐館の駄洒落など嗤いつつ二十五歳も過ぎつ  塚本邦雄

『汨羅變』

うたの日

「令和6年の抱負」だった。塚本K点超えだな。

『百人一首』

一番をまだやってなかったんだ。最後にと思ったのだが、一年の始めだから一番にするか?

仮免の仮庵(かりほ)の庵(いほ)の歌詠みはいつに塚本K点超えか

これでいいかな?フリガナつけないと読めないかな?夢は大きく。♪一つだった。無理な願いなのかな?

映画短歌

『すずめの戸締まり』

『百人一首』

サヨナラと戸締まりするや空っぽの人もうらめし二人の世界

尾崎紀世彦の歌だった。

ラストは。映画『ゴジラ-1.0』にする。

『百人一首』

日本を破壊せし怪ゴジラにも悪をしのび昔なつかし

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