『悪は存在しない』は「悪人正機説」映画か?
『悪は存在しない』(2023年/日本/106分)【監督】濱口竜介 【キャスト】大美賀均,西川玲,小坂竜士,渋谷采郁,菊池葉月,三浦博之,鳥井雄人,山村崇子,長尾卓磨,宮田佳典,田村泰二郎
「悪は存在しない」というタイトルから親鸞の「悪人正機説」を連想した映画だった。それは自然描写を和歌のように感じたのであった。木々の梢や鹿の鳴き声や月の姿。それらはまさに西行の和歌であるような(ちょうど西行に取り憑かれていたからかもしれない)。吉本隆明『西行論』である。
それは西行が源信(恵心僧都)『往生要集(地獄絵図)』から法然・親鸞の浄土真宗の間にいた僧だということ。つまり日本社会の過渡期であり、この後に実朝の「ほろび」の歌が出てくるのである。
映像が和歌的な世界観であるというのは、ヴィム・ヴェンダース『PERFECT DAYS』のミニマルな世界観と似ているが、それを道徳という小さな共同体の世界ではなく自然という大きな共同体の滅びの姿として描いたのかなと思うのである。
まったく見事としか言いようがないのだ。鹿を撃つ銃声とか、見えない部分の映像かな。鹿の声とか(俳句の季語である)。『ディア・ハンター』の裏側の世界なんだと思うが鹿が人間を襲わないと言い張る主人公が、最後は人間を襲ってしまう野生というものなのかとも思った。人間の欲望で作られていく映画なのだが、逆説的に「悪人正機説」になっていく世界観なのかと思った。
「グランピング」というのは最近のトレンドなのか以前観た『ほつれる』のなかでも出てきたおしゃれなキャンプという田舎の都会化のようなパッケージキャンプなのだが、そのトレンドを芸能事務所の社長がコロナ対策として新規事業化させていく欲望社会の構図なのだが、そのほころびがこの映画で表現される。
例えばドラマ『北の国から』で倉本聰が北海道富良野を拠点に新規事業をする。あの時代はイケイケ社会だったたが今は様々な地域住民との衝突がある。最初はそんな映画なのかと思っていた。
濱口監督が倉本聰のような俳優道場のような映画を撮っていた。『ハッピーアワー』はこの監督の優れた映画手法がメタ的に発揮された問題映画だとは思う。それは映画が新興宗教のように感じられる映画でそれが路線変更だったのか、村上春樹とか売れ線脚本映画になっていくのだが、この監督の本質はこの映画あたりにあるのではないかと思う。
つまりそれは問題提起映画であり、それはヴィム・ヴェンダース『PERFECT DAYS』のアンチテーゼの世界観。個人主義ではいられない共同体問題としての映画なのかなと思う。
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