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シン・俳句レッスン17
今日の一句
今日はアキアカネ(赤とんぼ)で10句作ろう。一句は作っていた。
夕雲を引き連れて秋あかね飛ぶ
NHK俳句を見たが内容は忘れてしまった。仕事俳句ということだっけ。「新豆腐」ということだった。
いつまでもあたしぶっているんじゃねえシン・豆腐
中七が壮大な字余り。もう少しまとめるか?
いつまでも新人のつもりシン・豆腐
あと夏井家は一物仕立てだった。
空を飛ぶ仮面の下は秋あかね
一物仕立てになっていなかった。名句を見ても一物仕立てはそれほどない。蕪村のこの句か?
染めあへぬ 尾のゆかしさよ 赤蜻蛉 与謝野蕪村
的確な描写だと蕪村かな。絵心がある俳人。
目もまっか夕焼け見たか赤とんぼ
一応一物仕立てになっているか?ただこの上五「めもまかっか」を人と捉えると二物衝動になってしまう。目が赤い赤とんぼはいるのか?いたが「ナツアカネ」なんだと。
赤とんぼと夕焼けの繋がりはベタすぎて凡人句かもしれない。
中村汀女
4Tの中で一番地味な感じがするけど。男は外、女は家という伝統的な性的役割の中で俳句を作ったいう。その中で妻としてのサクセスストーリーを作ったのは汀女だけだというのは、褒めているのか?他の女性俳人の評価が面白い。星野立子は虚子との濃密な関係を築くファザコン俳句だったと。日常俳句、生活俳句のオーソリティーという感じか?
風呂沸いて夕顔の闇さだまりぬ
秋風の瓦斯が飛びつく燐寸かな
夜濯の終わりたる戸をひそとさし
ゆで玉子むけばかゞやく花曇
夫と子をふつつり忘れ懐手(ふところで)
あはれ子の夜寒の床引けば寄る
咳の子のなぞなぞあそびきりもなや
とゞまればあたりにふゆる蜻蛉かな
最後は蜻蛉の句を入れてみた。汀女は虚子の「台所俳句」の勧めというようなその時代は揶揄される言葉だったが、あえて「台所俳句」に拘った俳句を作り続けた。そこにその当時のセクシャリティがよく現れているという。例えばその正反対の鈴木しづ子の俳句、
花吹雪岐阜へ来て棲むからだかな 鈴木しづ子
は女性のセクシャリティ(性的対象としての体)を語っている。
枯蔓の太きところで切れてなし 汀女
蔦枯れて一身がんじがらみなり 三橋鷹女
汀女の句は「繊細でありなが図太さに驚く」と星野立子が言うように家庭の安泰を詠んでその外に出ることはない。鷹女の句は自立する女の句であるのだ。
赤とんぼ刻んで叩いて唐辛子
台所俳句。あのねのねの「あかとんぼ」だよな。
俺を変えた魂の25句(北大路翼)
石に腰を、墓であつたか 種田山頭火
閑さや岩にしみ入る蝉の声 松尾芭蕉
いきかはり死にかはりして打つ田かな 村上鬼城
墓のうらに廻る 尾崎放哉
水着脱ぐにも音楽の要る若者達 横山白虹
夢の世に葱を作りて寂しさよ 永田耕衣
うごけば、寒い 橋本夢道
山ざくら石の寂しさ極まりぬ 加藤楸邨
死のうかと囁かれしは蛍の夜 鈴木真砂女
綿虫やそこは屍の出でゆく門 石田波郷
枯るる貧しさ厠に妻の尿きこゆ 森澄雄
酒止めようかどの本能と遊ぼうか 金子兜太
自由律俳句から入ったようだ。女性の俳句が一句しかないのは問題だよな。それも「死のうかと」「しようかと」の言い間違いではないかという。けっこう保守性が現れているのではないか?白泉がないのは寂しい。理屈っぽいからかな?
赤とんぼ見て立ち止まる
自由律俳句。
赤とんぼ蝙蝠傘の上をゆく
あまり意味はなかった。蝙蝠がいる季節だから逃げるには高く飛ぶかなと。
赤とんぼ捕まえられぬ俳句道
ちょっと苦労している俳句だった。
やっぱ最初に作った句が一番いいな。夕雲が凡人だけど(写真を)見たままの句だしな。
赤とんぼ特攻するや夕焼け雲
戦火妄想俳句。
このぐらいか?
NHK俳句の投稿だった。
夏井いつきさん「流れ星」、山田佳乃さん「椿の実(つばきのみ)」~8月21日(月) 午後1時 締め切り~
今日まで。「流れ星」は銀とかトラック野郎のイメージか。宮沢賢治かな。
椿の実は「アンコ椿は恋の花」を聴いてからだな。
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