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戦争エンタメという浪漫小説

『地図と拳』小川哲 (集英社)

【第168回直木賞受賞作!】
【第13回山田風太郎賞受賞作!】
「君は満洲という白紙の地図に、夢を書きこむ」
日本からの密偵に帯同し、通訳として満洲に渡った細川。ロシアの鉄道網拡大のために派遣された神父クラスニコフ。叔父にだまされ不毛の土地へと移住した孫悟空。地図に描かれた存在しない島を探し、海を渡った須野……。奉天の東にある〈李家鎮〉へと呼び寄せられた男たち。「燃える土」をめぐり、殺戮の半世紀を生きる。
ひとつの都市が現われ、そして消えた。
日露戦争前夜から第2次大戦までの半世紀、満洲の名もない都市で繰り広げられる知略と殺戮。日本SF界の新星が放つ、歴史×空想小説。

直木賞のエンタメ小説であるのだから辛口批評してもどうかと思うのだが最近この手の本が多く、それは変に浪漫主義的に描かれていて実際の歴史を知るには有効なのだろうか?と疑問に思うのだ。

それは日本の戦争アニメにいも言えることだがよく見るとそこに反戦思想が描かれているとは思うのだが、そこに出てくる戦争理念のようなもの、例えば国家というより仲間の死に対して過剰に浪漫的に描かれて、戦争賛美になっていないかと考えてしまう。

ちょうどこの本を読みながらNHKの『進撃の巨人』を見ていたのだがそこに描かれる浪漫主義的な闘争の姿が戦争を憎むが仲間との繋がりによって戦争を肯定せざる得ないという状況に追い込まれるのである。それは大好きな「エヴァンゲリオン」でもそうなのだが、「逃げちゃダメだ」と言いながら少年が天才的なロボット操縦士になってくドラマはそこにヒーローという英雄物語を描いてしまう。

ここではそういう直接的な戦争機械に組み込まれる人物はいないけど、むしろ抗日ゲリラの戦士たちのロマンチシズムが描かれているのだが、実際はその先に数多くの犠牲者がいたという戦争の姿であって、そこに浪漫主義を持ち込むのは危険だと思ってしまう。

この作品で言えば「地図」という理念的な問題、例えばそれは甘粕らを讃歌する安井憲兵のような人物の理念は五族協和として、それはこの物語の中心人物の七色の建築都市にも当てはまると言えないか?そんなものを満州という日本の戦争理念に利用されるだけのものではないのか?実際はエネルギー確保のための戦争だったわけだが、それを理解するよりも地図の理念(浪漫主義)に惹かれていくように思える。

例えば私が感情移入する人物は孫丞琳(ソンチョンリン)であるのだが、彼女が犠牲的なヒロインとして父殺しの神話で持って描かれるからである。そこにナショナリズムの要素がないわけではない。結局それは無駄なことだと気がつくのだが、それは最後まで読まなければその無駄な戦いということはわからないのだ。

エンタメだから面白くするために戦闘シーンが描かれ、また戦争事実も描かれるわけだが、ここに活躍する人物が浪漫主義的であればあるほど英雄的で、それは戦争理念として構築されないかと危惧するのだ。

ロシアがウクライナの侵攻によって、例えば『同志少女よ、敵を撃て』と重ねることがあるだろう。ただそれは狙撃兵としての少女に感情移入させやしないかということなのだ。実際は絶滅戦争という浪漫主義的に描けない戦争世界がそこにあるのだ。

巻末の参照文献は、大いに参考になるので、この本を読んで感動したのなら、そこまで読んでもらいたい。まずそういうことの入門書になるのなら大いに価値のある本だと思う。いささか長すぎる長編小説だとは思うが。


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