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シン・俳句レッスン31

今日も写真で連句だ。始発の京都行き。どんなドラマでしょう。一句はすでに作っていた。

トレーン呼ぶ京都へ行こう「マイ・フェバリット」

「トレーン」は「コルトレーン」のことだけどここでは列車との掛詞。「マイ・フェバリット」も「マイ・フェバリット・シングス」の略だけど、ここでは京都が私のお気に入りの意味でもある。いちいち解説しないとわからないだろうが良くないな。自信のなさだし、読者を信用していない。

立秋の始発列車は京都行き

そのまま観光PRみたいな俳句だった。連句にもなってないし。

日野草城

日野草城と言えば新婚初夜の連作『ミヤコ・ホテル』が有名だけど、軟弱野郎という批判もあったようで。私は好きです。川名大はその当時に出た歌人の誰よりもモダニズム短歌だったと言っている。今だったら女子高生が詠みそうな句がバンバン出てくるが。

春の夜やレモンに触るゝ鼻の先
秋の夜や紅茶をくゞる銀の匙
春の灯や女は持たぬのどぼとけ
くちびるをゆるさぬひとや春寒き
春のわれをよろこび歩きけり
ところてん煙の如く沈み居り
手をとめて春を惜しめりタイピスト
春の夜や自動拳銃(コルト)を愛す夫人の手
冷房や識らぬ少女と一つ卓に
やはらかきものはくちびるさつきやみ
夕闇に忘れたるごとく病む
小走りに妻の出て行く冬至かな
風立ちぬ深き睡りの息づかひ

けっこう定型化している中にモダンな言葉を入れてくる感じか。春が多いけど晩年は晩年らしい季語で詠んでいるのも好感が持てるのかもしれない。「自動拳銃(コルト)」とか全部ひらがなとか真似したくなる句だった。この人は難しい漢字を使わないし、ひらがなが多いし、読みやすい。

学生街始発待つまで春寒き
春の夜や呑み歩いたたる鬼ごつこ

ちょっと昔を思い出して見た。

藤木清子

藤木清子が影響を受けたのも日野草城だった。日野草城の『旗艦』という俳句誌が当時の若者を引き付けていたという。

ひとりゐて刃物のごとき昼とおもふ  藤木清子
研ぎ上げし剃刀にほふ花曇      日野草城

藤木清子は草城の影響を受けていたと思う。『旗艦』の自由さがそういう俳人を集めていくのだった。

学童の色彩(いろ)なだれ落つ朝の坂
坂のぼる外国人(とつくにびと)に山秀づ
船白く春潮蒼く愁ひなき
春潮はかゞやきボーイ端麗に
街騒は遠し春雪ふる韻き
さくら咲き過去が重たくもたれよる
ひとり身に馴れてさくらが葉となれり
花の風つよければ海碧青に
香水よしづかに生くるほかなきか
からたちのとげび人等たゞに冷たく

宇多喜代子編『藤木清子全句集 ひとときの光芒』

最後の句は「からたちの花」といういかにも剣呑とした花でも棘があるというような句か?

からたちのとげび家毎犬飼へり
からたちのとげび人等たゞに冷たく
からたちのとげのび門ひらかれず
からたちは鋭し夫人うるはしき

宇多喜代子編『藤木清子全句集 ひとときの光芒』

夏の果て始発列車に影過(よぎ)る
今日もまた人身事故の夜明けなり

なんかヤバくなってきたので今日はこの辺で。

NHK俳句
夏井家の俳句術。三大切れ字「かな」「けり」

狼の声も聞こゆる夜寒かな  松尾芭蕉

「狼」は冬の季語、「夜寒」は秋の季語だが「かな」が尽くほうが強調される。「狼の声も」の「も」は他にざわめきがあるのだが、狼の声に絞っている。それが狼の声=夜寒かなという二物衝動の俳句。

夏の果て会話もかき消す始発かな  宿仮 

「も」はいらないよな。

夏の果会話かき消す始発かな  宿仮

ラジオつと消されて秋風残りけり  星野立子

「けり」は気づきの詠嘆。今までラジオで気づいていなかった音が消されることによって、自然の音に気がつく。

ドア閉じてサヨナラの声残りけり 宿仮

映画のような連句が出来た。

<兼題>夏井いつきさん「七五三」山田佳乃さん「冬構(ふゆがまえ)」~9月18日(月) 午後1時 締め切り~ 
https://forms.nhk.or.jp/q/3LT5YFTH

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