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シン・俳句レッスン57

バッタ。漢字で飛蝗。これはもしかして蝗なのか。

向き合へる蝗の貌の真面目かな  松浦加古

確かに真面目な顔をしている。昆虫はみな真面目な顔をしていると思うが。不真面目な顔とか、魚類だよな。

逃げもせずはぐれ蝗や家もなし

文芸選評

選者佐藤文香、兼題「狐」。「狐」も季語なんだな。冬なんだ。冬ごもりの感じなのか?狐のマフラーとかもあるしな。今だと泉鏡花『小春の狐』だな。

こんこんと月夜は寂しい狐憑き  宿仮

俳句いまむかし

十二月きつねうどんの骨っぷし  中村幸子

「骨っぷし」はよくわからないがうどんのコシのことのようだ。よくわからんがたぬきうどんよりは「骨っぷし」が強そうである。

人の世はかそけし暗し十二月  石原八束

石原八束は1919年生まれの暗い俳句の名手だという。「かそけし」がいい。そんなに暗く感じないけ。他の句も面白い

血を喀(は)いて眼玉の乾く油照  石原八束
くらがりに歳月を負う冬帽子
妻あるも地獄妻亡し年の暮

立つたまま添い寝をさせて大冬木  黒田侑布子

大木に倚りかかって目を閉じているイメージだという。冬木が眠っている句にも取れるのだな。

つなぎやれば馬も冬木のしづけさに  大野林火

「つなぎやれば」の字余りは繋ぐ前は暴れ馬の感じか。

焼き芋のような人だが好きなんだ  山岡和子

口語俳句。他の人の句を映すようになってから文語俳句になってしまったが、文語の方が言葉の切れとか韻文性とかやっぱ伝統なのかなと思ってしまう。こういう口語俳句でもいいんだが、池田澄子みたいだな。

喰い尽くして更に焼いもの皮をかぢる  正岡子規

子規の食いしん坊が出た俳句か?石焼き芋なんかでカリカリになった皮の部分が好きだったと想い出した。皮はカリカリにすると美味いのは鶏皮でもそうだよな。「かぢる」の旧仮名もいい。

焼栗熱しロンドン訛早口に  坂本宮尾

「ロンドン訛」というネイティブらしい発言。ロンドンはイギリスの中心なのにあえて訛か。東京弁というのに近いかもしれない。下町言葉。

栗を焼く伊太利人や道の傍  夏目漱石

ロンドンに留学中の漱石の句。伊太利人は移民だろうな。とりあえず焼栗を売るのか?漱石はそういう移民の栗を食べたのかもしれない。日本だと焼栗は「天津甘栗」なんだと思うが、なんで「天津」なんだろう?中国で最も租界が多い地域だという。「上海」じゃないのか。「上海」だとモダンな感じがするが「天津」だと懐かしさかな。「天津飯」とか『ドラゴンボール』に出てきたし。

テーブルの蜜柑かがやきはじめたり  嶋戸奈菜

「蜜柑」は冬を代表する果物になっている。でも最近蜜柑食べてないな。今の蜜柑は甘いよな。昔はこんなに甘くなかった。オレンジの方は良く買うのだが、蜜柑はネット(網)売りだからかもしれない。一つで安く売れば買う人もいるだろう。家では箱買するほど冬と言えば蜜柑だったが。古くなると黴びて腐っていくのだが。昔は蜜柑箱(木箱)の上に乗って歌真似とかのエピソードがあった。

累々と徳孤ならずの蜜柑かな  夏目漱石

論語の「子曰、徳不レ孤必有レ隣」。なるほどバラ売りはしないわけだな。蜜柑がバラ売りされるようになったら徳も消えているのかもしれない。

人参を並べておけば分かるなり  鴇田智哉

よくわからない句だ。人参の存在感の強さだろうか?じゃがいもや玉ねぎを並べても目立たない。

人参は丈をあきらめ色に出づ  藤田湘子

これは面白い句かも。そんなことはないのだが、強引な論述。

つまりまあ木の役なんだ聖夜劇  山本純子

クリスマスのライトアップを「聖夜劇」と言う優雅さか?SMショーにしか思えなかったが。

樹木さえボンデージのクリスマス  宿仮

子供がちにクリスマスの人集いけり  正岡子規

クリスマスをいち早く詠んだのが子規だという。俳句は流行を追いかける短詩だったんだよな。

はや暮れし日を口実におでん酒  三村純也

「おでん酒」が冬の季語。冬は食べ物の季語が多い気がする。句会の寄り合いで最後は「おでん酒」とからしい。こういうおでん屋さん入ったことが無かった。野毛は「おでん」も有名なのだが、こういう店なんだろうな。

カフカ去れ一茶は来れおでん酒  加藤楸邨

まさにこんなくだを巻くオヤジが句会にはいそうである。坪内稔典はカフカの方を歓迎すると書いているが。俳句だとカフカ的なものは嫌われるような気がする。「おでん酒」も一般の辞書にはなく、俳句特有の季語だという。

隙間風ひとりおでんのカウンター  宿仮

おでん酒だとこんな感じか?酒も飲めないが。

かもめ百放り投げたり冬青空  永瀬十吾

これは上手い句だな。

冬空をいま青く塗る画家羨(とも)し  中村草田男

「ともし」は『万葉集』などに出てくる古語だという。こういうのが草田男だった。ただ人工的な絵画句で青空の広がりとしては「かもめ」の方にあるな。草田男好きじゃないから。

かつてラララ科学の子たり青写真  小川軽舟

これは高度成長期の「アトム」を信じられた頃の手塚治虫俳句だな。今は『プルートウ』の時代なのだ。

青写真映りをり水はこぼれをり  高浜虚子

虚子だけどいい句だと思う。対句表現が効いている。一見季語がないように感じるが「青写真」が季語だった。誰が決めてるんだよ!「青写真」は子供の遊びの日光カメラだった。今は「青写真」というと別の意味になると思うが。

身体をめぐる俳句

夏石番矢『超早わかり現代俳句マニュアル』から。

肉体

自分自身の肉体を拠り所にする俳句。

筋肉が筑地の春を知ってゐる 摂津幸彦

いきいきとした肉体を俳句の中で描くのを得意としたのは西東三鬼だった。

手品師の指いきいきと地下の街   西東三鬼
黒人の掌(て)の桃色にクリスマス

戦後俳句では金子兜太の俳句。

曼珠沙華どれも腹出し秩父の子  金子兜太

ナルシスの泉

自らの肉体に美を見出すとナルシストになる。

一月や裸身に竹の匂ひして  和田耕三郎

哀愁の凝視

身体を凝視することはいつも肯定的だとは限らない。

手を汚しいずこへ帰る秋の暮  徳弘純

三橋敏雄は『真神』で肉体の哀愁を描き出した。

手を筒にして寂しけれ海のほとり  三橋敏雄

驚異の舞台

肉体のある部分は幻想の引き金ごなる。

眠りゆけばわが肉体も銀河領域  小海四夏夫
真水すくう双手に蝶の湧くばかり 大西健司

孤立する肉体。スポーツなど。

木枯らしの橋を最後の走者過ぐ  沢好摩

病気

滑稽な異常を自覚する俳句。

風邪病んで活字遠のくリラ明かり  能村研三

俳句では風邪の句は多い。類語も「咳」や「くさめ」や「水洟」とあり、風邪にかかった人間をユーモラスに描く。

美しい異常

神経や精神を病むことは、美化されがち

くちなしや気病みむすめの喉細く  大屋達治

死の幻影

境涯俳句となっていくのか。

かくも長き長き臨終 また夏の詩  折笠美秋

高柳重信は、行分け俳句で病者の観念世界を描いた。

臨終の
涙痕の
つめたい 狼
がば と 狼   高柳重信

エロス

人参を煮てゐるわれの片想い  和田耕三郎

追憶の恋

置き去りにせし恋ありし遠花火  正木ゆう子

エロスは幻想的になりやすく生々しさに欠るようだ。

俳句の身体性は五七五の定形の音数律が一句の中に枠をはめて広がって行きにくい。どこかナルシズムに陥ってしまうようだ。

橋本多佳子

『橋本多佳子全句集』(角川ソフィア)から。

『海燕』

橋本多佳子は杉田久女から俳句の手ほどきを受け山口誓子に師事した。杉田久女が虚子に師事して崩壊していたのに比べて、山口誓子というのは良かったのだと思う。ただ山口誓子は自身のエピゴーネンとして観ていたところがあるかもしれない。それは初句集『海燕』は山口誓子が選句して、序も付けていた。その中で俳句の中に「女の道」と「男の道」があると述べている。虚子が女流俳人としてターゲットにしたのがそのような「女の道」だったかもしれない。そこで杉田久女という才能が挫折していくのだ。その二の舞いを踏ませまいとしたのか。橋本多佳子は女性ながら「男の道」を歩む俳人として期待している。

そのひとつに「メカニズム」という言葉がある。それは自身をメカニズムとした目で捉えるということだろうか?女の身体としての句ではなく「メカニズム」とした俳句が選ばれたのである。ただ橋本多佳子のあとがきによると亡き夫の思い出と共にという言葉を残していた。

わが行けば露とびかかる葛の花  橋本多佳子

「葛の花」と道(男道か)で連想させるのは釋迢空の短歌だった。

葛の花踏みしだかれて色あたらしこの山道を行きし人あり  釋迢空

ただ「露とびかかる」は「露」に幻想的な浪漫を感じる。

鹿啼きてホテルの夜の炉がもゆる  橋本多佳子

「和歌」を踏まえて句だろうか?

若布(め)は長けて海女ゆく底ひ冥きかりき  橋本多佳子

「冥き」は小池昌代のエッセイ「断崖を垣間見る」で蛍の句で取り上げられた

蛍籠昏ければ揺り炎えたゝす  橋本多佳子

があった。『源氏物語』の「蛍」を連想させる句である。ただその中に揺れ動く光は我が身の情念を感じさせる。先の若布の句でも、女の情念が伺えるような気がする。

蛍火が掌をもれひとをくらくする

昏いのは掌の中に蛍がいるからだった。

曇り来し昆布干場の野菊かな  橋本多佳子

樺太旅行の句。樺太は山口誓子の故郷だが、この句は白秋の「昆布干場のタンポポの花」という歌の影響だという。野菊に自身を投影させているのだろうか。そこの情景も「曇り来し」なのだ。

もう一句『海燕』で上げているのは

秋空と熔岩野(らばの)涯なし歩みゐる  橋本多佳子

夫の死後に転機となった句だという。そこにひとりで生きて行こうとすつ決意が感じられる。

海燕するどき尾羽も露滴(た)りつ  橋本多佳子

句集のタイトルとなった句かもしれない。

機関止みふぶける船に艀を寄す 橋本多佳子

山口誓子の影響を感じさせる句だろうか。

夏暁(あけ)のオリオンを地に船着けり


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