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シン・短歌レッスン157

今日は作品批評(というか感想文レベルだが)。


NHK短歌

今週は特集で『光る君へ』とのコラボ。もうこういう商業的なことが耐えられない。『源氏物語』にポストコロニアルの視点がないと単に天皇制支持になってしまう。天皇制といわないまでも「男尊女卑」の文化の継承に過ぎないのだから。そのアナウンサー役が俵万智のような気がする。

「光る君へ」ファンのみなさん、6月に放送した「短歌で『光る君へ』を10倍楽しもう!」の第2弾を放送します。今回は、いよいよ執筆の始まった『源氏物語』を中心に、ドラマのなかで紹介された和歌を読み解きます。

見てもまた
逢ふ夜まれなる
夢のうちに
やがてまぎるる
わが身ともなが 光源氏

世語に
人や伝へむ
たぐひなく
憂き身をさめぬ
夢になしても 藤壺

『光る君へ』では不義の子を産んだまひろに対して道長が事実を知るのが『源氏物語』を読むことによってなのだが、それを物語にしたので現実はただ過ぎ去っていくのみと解釈された。この物語がまひろの深層心理であり、それを告白したので解決されたという構図だろうか?

この和歌の中で夢=物語としてみて、藤壺の歌は逆のことを言っている。現実的に噂になるスキャンダラスなことがおめえはわからないのかアンポンタン!(宿仮訳ではそういうことである)。だからまひろが物語に解消していくのは光源氏寄りなのであって、紫式部が言いたかったこととは違うと思う。

寄りてこそ
それかとも見め
たそかれに
ほのぼの見つる
花の夕顔 光源氏

まひろが告白を聞いて代筆業をやっているのだが、まさにこのシーンはキリスト教の告白を思わせる(それが構造として精神分析に繋がっていく)。そして和歌を詠んだのだがこの歌だという。光源氏はキリストか?

袖ぬるる
こひぢとかつは
知りながら
下り立つ田子の
みづからぞうき 六条御息所

六条御息所の和歌が上手いとされるのは何故か?それは心情をあからさまに言わずに物で喩えているからである。そこで和歌が上手いでは六条御息所の気持ちを汲み取ったことにはならない。何故ならそこには「男尊女卑」に耐えなければいけない女しかいないからだ(俵万智の感想としてこの歌は重すぎるから光源氏に嫌われるとか、もっと尻軽女になれと言うのか?)。だからもののけとして狂気の姿を表すのだった。

からころも
君が心の
つらければ
たもとはかくぞ
そぼちつつのみ 末摘花

この歌が駄目なのは「からころも」の枕詞が古臭く、枕詞の使い方もまちがっているとか。本来「からころも」は断つ、切るに掛かる枕詞であるというのだが。それならばそれらの言葉を省略した詩なのではないか?文法的に正しければいいというもんでもないのだろう。それらの言葉が省略されていたとすれば君(光源氏)の心も理解出来る。ただそれが逆なんだよな。あまりにも自意識が強すぎて自分中心に考えてしまう末摘花だった。

俵万智がいうように『源氏物語』では和歌が重要な手立てになっているのだ。

あな人の
花や蝶やと
いそぐ日も
わがこころをば
君ぞ知りける 枕草子

この歌は『枕草子』からの引用なのか?中宮定子から清少納言に送られた和歌だという。あきらかにこれは恋文だろう。定子は男嫌いになって、同性愛に走ってもおかしくない。それは清少納言という才女に惚れるならここには愛という同等の考えがある。

黒髪の
みだれも知らず
うちふせば
まづかきやりし
人ぞ恋しき 和泉式部

和泉式部出ていたのか。見逃したな。泉里香という女優だった(知らないな)。俵万智の目がらんらんだな。恋の欲望の歌。「まづ」とはなかなか言えないらしい。今度つかってやるぞ。

白露も
夢もこの世も
まぼろしも
たとへていへば
久しかりけり 和泉式部

俵万智の解釈では幻想歌人どもよ、そんなもんは私の恋に比べれば大したものではないというように喧嘩を売っているという解釈だがそうなのか?逆の意味だと思っていた。その秘密は詞書にあって、この歌は男に送った恋文だということだった。しかし、それは男との恋が儚いものであるとするならば、また和泉式部もそういう幻想和歌を読むと思う。それが和歌の伝統ならば。現に和泉式部日記は、そんなことを綴っているのでは。そうかその前の『蜻蛉日記』に対することを言っているのか?『蜻蛉日記』の作者も出てきたよな。俵万智は和泉式部好きということがよくわかった回だった。

岡井隆

岡井 隆【著】/小高 賢【聞き手】『私の戦後短歌史』。岡井隆へのインタビュー。「戦後の短歌史を語るということだが岡井隆の短歌史のような感じだ。

父と戦争
父も「アララギ」の歌人であり技術畑の経営者だというインテリ。ファザコン。母の存在が薄いと思ったら母は精神を病んでいた。典型的な家父長制家族と思われるが、そこの長男で大事にされた。後に弟は労働組合で妹は大学紛争で反抗するという。その間に挟まれる形でマルクスを吸収し、思想的に父に反発する。しかし「アララギ」では短歌活動を止めなかったようだ。近藤芳美との出会い。

文化の厚みと戦後アララギ
「アララギ」は結社として歌壇の中心であったしインテリも多かった。そのなかで近藤芳美と知り合い若手中心のグループが出来ていた。それが「未来短歌会」だった。

狼煙のろし を見よ

松下竜一『狼煙を見よ:東アジア反日武装戦線“狼"部隊』から「第1章 死の機会を逸して」。東アジア反日武装戦線“狼"部隊の中心人物大道寺将司についての本で大口玲子の短歌でその本を知って読みたくなったのだ。ちょうど岡井隆とバランスが取れると思ったのである。大道寺将司も牢獄歌人だと思ったら俳人だった。


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