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新しそうでいて過去の遺産で食いつないでいる文学

『新潮 2022年 1月号』

◆現代語訳「紫式部日記」(160枚)/古川日出男
あなたはいまからわたしの記録をのぞこうとしています。ブルーで、グルーミィな物語作家(フィクション・ ライター)であるわたしの。謎めく書物の完全翻訳!
◆Neon Angels On The Road To Ruin(110枚)/阿部和重
イーロン・マスクが君臨するこの世界で、石油文明とともに滅びゆく男は最後の賭けに出た! 虚実の境目を疾走する小説の最前衛。
◆新連載
精神の考古学/中沢新一
記号まみれの世界から抜け出す鍵は、新石器革命以前の「大段階」 にある。精神の古層に潜り史観を拡張する、巨大スケールの人類学!
■追悼・瀬戸内寂聴 1922-2021
◆追悼――瀬戸内文学の再評価に向けて/平野啓一郎
◆魂の原郷/横尾忠則
◆赦しのオーラ/島田雅彦
◆祝福/柳美里
◆瀬戸内寂聴の生涯――追悼にかえて/竹内紀子
◆星座のひとつ(再掲載)/瀬戸内寂聴
99歳で旅立った小説家の 「あの世」 からのメッセージ
◆新連載リレーコラム
街の気分と思考/川上弘美・塩田千春
■特別原稿
◆噓つきにも詐欺師にもならずに――『一般意志2・0』について/東浩紀
◆死までの遠近――ジョブズ、私の友人、ハイデッガー/平野啓一郎
◆「詩」というもの/谷川俊太郎
◆谷のタブちゃん/村田喜代子
◆特別対談
数学と生命の関係をめぐって/鈴木健(SmartNews)+森田真生(独立研究者)
国際的ニュースアプリを生んだ未来構想者と「計算する生命」 の著者が討議する新世界像。
◆TRY48/中森明夫
第2章・寺山修司、『デスノート』 のLの葬式を開く

目次・Amazon情報

中森明夫『TRY48』(連載)

第2章・寺山修司、『デスノート』 のLの葬式を開く

前号に引き続き、中森明夫『TRY48』を読みたくて借りたのだが、連載第2回は筆力が落ちているように感じる。寺山修司が『あしたのジョー』で力石徹の葬儀をプロデュースしたように『デスノート』のLの葬儀をプロデュースする。そのまんまの展開。

精神の考古学/中沢新一(連載)

中沢新一が『チベットのモーツァルト』で鮮烈なデビューしたときに、批評をした吉本隆明が「精神の考古学」と名付けたことにより、それを発展させていこうとする現代思想本。

オウム真理教事件があって、吉本隆明もバブルなイメージになり今は亡き後で、それは今必要なことなのかと思うが、本人としてはオウム事件で中断させられたことを今もう一度確かめておきたいということなのであろう。

「アフリカ的段階」という半農半猟民族であった移動しながら生活したアフリカの祖先(先住民)たちの神話から多神教的な人間と神(自然)を結びつける精神が培われてきたことは一神教の文明社会とは別の精神史があるという。

それはトーテミズムのシステム。自然と人間の間に動物神を置くことでレンマ的知性と呼ばれるもの、頭で考えるのではなく身体的な知性というようなものか(『群像』の連載「レンマ学」の続きだった)、レヴィ=ストロースがオーストラリア先住民の中に見出した人類学の精神だろうか?

その「アフリカ的段階(精神)から「アジア的段階」に移行するに従って農耕民族として定住・一神教化していくのがヨーロッパや日本にも伝わってくる「資本のピシュス」(資本論の自然の贈与を中心とした思考)からマルクス『資本論』(というより吉本隆明の進歩史観かな?)へと移行していくことになるのだろうか?

大雑把に見るとそんなアウトラインだと思うが、今の時代にそれをやってもあまり注目されないと思うが、脚光を浴びないからこそ静かに論考できるのかもしれない。

現代語訳「紫式部日記」(160枚)/古川日出男

グルーミィなブルーという紫式部の現代的解釈でカタカナ(外来)語の多様によって、和テイストの源氏物語が洋食テイストになっているのだろうか?イギリスの王室社会と錯覚しそうな日記である。和洋折衷のお菓子的日記か?

紫支部を「シングル・マザー・ライター」と書くのは、現代の「シングル・マザー・ライター」が憑依したという現代語訳としての翻訳を憑依として読んだら、こういう形になるのかもしれないと思った。そのことによってお産は生命がけの行為でもあるし、シングル・マザーとしての孤独さがブルーな気分にもさせ、その中で親友と言ってもいい「小少将の君」との関係性が同性愛にもならずともシスターフッド的な様相なのかと思う。そこに重点が置かれて私のカワイイ人となっているような。

問題の和泉式部と清少納言批判だが、和歌やエッセイとしては褒め称えているが人間性の部分で批評しているのだが、そんな人間性の部分では己のことを顧みないわけにはいかない。それが『源氏物語』だけのために必要とされている自分の立場と日記での雑念(ノイズ)的な想念がパンク(と本人は言う)のようなUKロック的な文体なのかと思った。

天使も踏むを畏れるところ(十八)/松家仁之(連載小説)

皇室関連の小説で、三島由紀夫が皇太子御成婚のときの投石事件の小説を書いていたというところを読んで気になって読み始めた。

松家仁之によれば、三島の小説は投石少年と皇太子の距離が人間的に相対することにショックを隠せないのだが、実際にはすぐに取り押さえられてお互いに見つめ合うなんてことは三島由紀夫の想像力以外の何もでもないとする。

その後も皇室を巡る事件(二重橋事件とか)の中でTV報道されていく皇室と隠蔽されるべきとする皇室(戦時のような皇室像)との間で揺れていく世相が描かれていく。それは日本の皇室のモデルをイギリス王室に求めるところとあるとする。松家仁之は未読な作家だったが、編集者として新潮クレストを立ち上げた人だとあった。題名もE.M. フォースターの小説になぞらえているのかな?天皇制のタブーに挑戦する連載とか?

Neon Angels On The Road To Ruin(110枚)/阿部和重

英語タイトルといい、イーロン・マスクの世界戦略といい最初はとっつきにくい作品だと思ったが、このスタイルが今流行りなんだろうかとネットで検索しながらどうにか終わりまで読めた。世界システムとして身動き出来ない構築された社会があるとして、そこから逸脱しようとする泥棒稼業。ガソリン・スタンドの職場を失った50前の男が再就職に誘われたのが車泥棒だった。

タイトルはランナウェイズのハード・ロック・ナンバー。イーロン・マスクもツィッター買収までのテスラという電気自動車開発者として顔で、自動車産業の日本の立ち遅れとハイテク産業の遅れが背景としてある。ハイテク車のオーナーの暗唱番号が「イクイク」だったりして、笑える。

その社会で切り捨てられる者の哀れさの描いたコミック・ノベル的な作品。ディックの「電気羊~」に譬えたレビューがあったが確かに末端の使い捨て感とシステムを支配している力と描いた佳作。

ランナウェイズのタイトル曲がよくマッチしていると思う。



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