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シン・俳句レッスン14

今日の一句

薔薇や松には種類ごとに立派な名前が付いていた。この黄薔薇も英国人名(皇帝か?)の名前が付いていたが忘れた。それだけ大切に育てられた家庭菜園の花なのだろう。ガーデニングということか?

公園のガーデニングに黄薔薇咲く

一句仕立てだな。二物衝動に出来ないものか?

黄薔薇咲く英国皇子は浮気者

西東三鬼

近代感覚と卓抜な技法の駆使というサブタイトル。近代的感覚は、多彩な表現技法を使った新詩精神(エスプリ・ヌーボー)という。

フランス語を使えば新しいと考えるのが文芸批評家なんだが、最近のコトバで言えば「シン・俳句」ということだろう?

具体的な作品だと、

水枕ガバリと寒い海がある

それと西東三鬼は戦火想望俳句でも名句を残した。

兵隊が征くまつ黒い汽車に乗り

のちに「征く」を「ゆく」に改められたのは「京大俳句」弾圧事件のあとに特高の目をカモフラージュするためだったという。それは同様な光景を読んだ井上白文地の句。

征く人の母は埋もれぬ日の丸に

という句があるように、西東三鬼は模倣癖があり、それを高屋窓秋に咎められたという。

けうよりの妻(め)と来て泊(は)つる宵の春  草城
けうよりの春婦に床板(ゆか)の靴みだれ    三鬼

短歌には本歌取りの手法があるが、これは「ミヤコ・ホテル」というサブタイトルを「星(スター)ホテル」という模倣しているのはちょっとわかりすぎたかな。

高屋窓秋だと。

闇の闇月落つ海は黄に染まり   窓秋
胎児聴く戦車ガーガーと闇の闇  三鬼

俳句は17音だからそのうちの5音だと3割を超える引用はやりすぎだ。それに最重要語でもあるし。無季俳句は季語だと思えばいいのか?

それでも西東三鬼は独自の「シン・俳句」を確立した俳人とされたのである。

また西東三鬼は女性関係も奔放な男でありエロス的な句も多く残した。

湖畔亭にヘヤピンこぼれ雷匂ふ

文体面では山口誓子の即物的な文体の影響が強い。

右の眼に大河左の眼に騎兵  西東三鬼

戦火想望俳句でも山口誓子の即物的な句があるが、三鬼は戦場を描いたが戦争は描けなかったという批評がまかり通る(川名大は否定)

占領地区の牡蠣を将軍に奉る  西東三鬼

俳句的脳回路の作り方

二講義目は北大路翼『生き抜くための俳句塾』。実作風に。

1、読みたいモノを思い浮かべる。
 黄薔薇。黄薔薇を思い浮かべ(写真がある)あとはストーリーを肉付けしていく。黄薔薇が咲くまでのストーリーか?漫画を描くイメージだから写真なんて安易な方法はいけないのかもしれない。まずは絵を描く練習かも。

2、連想にはルールがある。最近、やってみたいのがブレイン・ストーム(脳の撹拌)というテクニック。高屋窓秋の俳句スタイル。これがなかなか難しいから、北大路翼の連想ゲームというテクニック。まずは常識を疑え!薔薇を貴族的なものと考えた時点で負けだ。

黄薔薇咲くみなしごハッチと呼ばれたよ

3、言葉の展開法。黄薔薇を花としてではなく別のものとして認識する。乗り物だったら、黄色いミニ・クーパーだろうか?語感で捉えるのだが、視覚が一番言語化しやすい。

黄色い薔薇、小さな薔薇、2つの薔薇、虫食いの薔薇。(視覚)
うるさい薔薇、しずかな薔薇。(聴覚)
ザラザラした薔薇、つめたい薔薇、刺々しい薔薇。(触覚)
甘い薔薇、すっぱい薔薇(腐りかけか?)。(味覚)
臭い薔薇、いい匂いの薔薇(臭覚)

意図的に作ったというより、北大路翼の本を真似ただけだった。
これらを組み合わせていく。

「うるさいすっぱい黄薔薇」と「うるさい甘い黄薔薇」ではイメージが違う。前はネガティブ、後はポジティブなイメージ。北大路翼は歌舞伎町っぽさを作るのだという。

じゃらじゃらと黄金の黄薔薇立つてゐる

黄金と黄薔薇が重なっていた。これは北大路翼風。オリジナリティが必要なのだ。無職性かな?

虫喰いの黄金の黄薔薇立つてゐる

それは鑑賞眼も鍛える。

手にみかんひとつにぎって子が転ぶ  多田道太郎

小さな水々しい蜜柑か?書かれてないことを過鑑賞と非難されるが、過鑑賞の薦め。余白でストーリーを勝手に作っていくのは俳句の訓練になる。

4、モノからシーンへ。

散文の5W1Hを機械的に当てはめる。

いつ、真夜中に
どこで、学校で
誰が、先生が
何を、黄薔薇を
何故、哀しいので
どのように、泣きながら
どうした(動詞)、捨てた

これらをすべて入れると散文になる。

真夜中に学校で女教師が黄薔薇を哀しいので泣きながら捨てた。(死んだN君の机にあった黄薔薇だというストーリー)

要素同士のカテゴリーは横の繋がりであり共感性を呼ぶ。要素内の独自の主張は縦のカテゴリーであり絶対性(神の視点)である。難しいかな。俳句は共感を呼びこみながら省略していく韻文の文学。

日が暮れて萎れた黄薔薇捨て去りし女教師

短歌みたいだな。女教師はいらないか。

教壇の献花一輪黄薔薇散る

いまいちなのは黄薔薇のせいか。

教壇の献花一輪さるすべり

白いさるすべりになると飯島晴子の真似っ子になってしまうがイメージとして、飯島晴子に感応させた。

さるすべりしろばなちらす夢違ひ 飯島晴子

実作。一句が出来るまでの思考パターンのまとめ。

陽は落ちて先生の机黄薔薇散る
陽は落ちて老婆のベッド黄薔薇散る(「誰が」の変化)
陽は落ちて風呂場の老婆黄薔薇散る(「いつ」から「どこ」への変化)
陽は落ちて風呂場の老婆柿を食う(単語の変化)
柿食えば風呂場の老婆溺れゆく(語順の変化、本歌取り、遊んでしまう)
陽は落ちて教壇の薔薇退任す(抒情句的に)

こんな感じか?これだと自分が退任してしまうな。姉さん先生と入れたかったが字余り過ぎた。

夏休み教壇の花散りにけり

もうそのまんま拓郎の歌になってしまった。黄薔薇は消えているし(黄薔薇は絶対に揺るがさない意志が必要だった。季語を立てるとはそういうことかも。黄薔薇は季語か?)。

難しので「ブレイン・ストーム(脳の撹拌)」はこねり過ぎると良くないという結論。二物衝突を突き詰めた方がいいような。

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