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シン・俳句レッスン84

今日も前回の続きで七福神で俳句。七福神で俳句上達祈願というところか?

今まで詠んだ七福神俳句。

毘沙門天禅問答か冬の空  
寄り添うや布袋尊のもとへ寒彼岸
さえずりや恵比寿まふ春三つ星
龍天に登る弁天様の使いかな
水温む今日も元気な寿老人  宿仮

大黒天袋の中に娘あり

大黒はちょっとこれでは失礼かなと思って、また後で考える(俳句上達祈願なんで失礼のないように)。

写真は福禄寿。あまり馴染みがない。これ神社はなくて通りに置かれているだけのホームレス七福神みたいだった。

福禄寿がオリオンの三つ星だったんだな。

福禄寿宿はなくとも春三つ星  宿仮

これでよし。恵比寿は別に考えよう。

さえずりや花と鳥あふ恵比寿まふ  宿仮

これでいいか。大黒が残った。

大黒天大風呂敷広げて七福神  宿仮

袋を広げたら七福神が出現したという落ち。でも六福神か?

ちょっと待て、中七が決まらんな。

大風呂敷広げ見せたり大黒天  宿仮

これでいいか?額縁に飾って置きたいぐらいだ。

毘沙門天禅問答か冬の空  
寄り添うや布袋尊のもとへ寒彼岸
さえずりや花と鳥あふ恵比寿まふ
龍天に登る弁天様の使いかな
水温む今日も元気な寿老人
福禄寿
宿はなくとも春三つ星
大風呂敷広げ見せたり大黒天  宿仮

俳句の達人(藤田湘子)

やっと知っている俳人が出てきた。藤田湘子は俳句初心者が最初に手にする入門書『20週俳句入門』の先生だった。

全然、教えに従ってないが。ただいつまでも同じ場所に留まっていては駄目だというのは頷ける。たえず新しさを求めることも必要だ。一日10句を10年続けたそうだ。これはやってもいいかも。受け入れるところは受け入れる。

『俳人風狂列伝』(山頭火)

『俳人風狂列伝』石川桂郎より。山頭火は境遇が不幸過ぎるというか、それで酒に溺れてしまう俳人というイメージ。山頭火の自由律は酒よりも水を求めるものが多いというのは、なんとなく惹かれる。ダメ人間なのだが、放哉よりは努力しようとはしていたみたいだ。あまりにも境遇が不幸すぎるのか?

病めば梅ぼしのあかさ  山頭火

お粥の中に梅干し一つということらしい。


俳句いまむかし

坪内稔典『俳句いまむかし ふたたび』から。

草餅の一人ひとつでは足りぬ  小西昭夫

だから何?みたいな俳句だな。

かろうじて鶯餅のかたちせる  桂信子

鶯餅の形なんてあるのか?色だと思った。鶯型なんだろうか?うぐいす粉をまぶすとあった。昔はそうだったんだな。今は蓬で作るきなこ餅か?

鶯が来ている!冷たい化粧水  池田澄子

口語俳句の第一人者。!マークとかもありなんだ。冷たい化粧水は糞かな?
口語俳句だけど芭蕉の「鶯や餅に糞する縁の先」を踏まえているようだ。

鶯や朝の湯婆(たんぽ)を捨てに出る  安藤橡面坊

俳句よりも俳号がすごいな。橡面坊(とちめんぼう)とはどういう意味なんだろう。料理?パスタらしい。

椿咲くたびに逢いたくなっちゃだめ  池田澄子

このぐらい自由に口語を使えればいいのかもしれない。どうも最近文語的になってしまう。

落ちざまに虻伏せたる椿かな  夏目漱石

ほんとかね。俳句には上手に嘘を付くということがあるみたいなんだが。

バスの窓春の光のあたる席  鶴田静江

情景が見えてくるような句だからいいのかな。旅気分。

ゆきつくづ江南の春の光かな  松永貞徳

「春の光」という季語がいいんじゃないだろうか?冬の光とか、夏の光は?
森田童子の歌にもあったな。俳句は俗語(日常語)で作る詩とか。「江南」が俗語だとかわからん。

あたたかやどこへ行くにも胎の子と  日下野由季

これは女性しか作れない句だな。

あたたかや皮ぬぎ捨てし猫柳  杉田久女

ドキってする句だよな。三味線にでもされるのかと思ったら柳だった。「猫柳」も「あたたか」も春の季語で季重なりということだが。猫柳は、季語に思えないけど、植物はだいたい季語になる。


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