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シン・現代詩レッスン7

今日も『春と修羅』から。

春と修羅
  (mental sketch modified)

心象のはひいろはがねから
あけびのつるはくもにからまり
のばらのやぶや腐植の湿地
いちめんのいちめんの諂曲(てんごく)模様
(正午の管楽(くわんがく)よりもしげく
 琥珀のかけらがそそぐとき)
いかりのにがさまた青さ
四月の気層のひかりの底を
唾(つばき)し はぎしりゆききする
おれはひとりの修羅なのだ

本当はこの後に続く行が面白いのだが長くなるので、ここまで。「mental sketch modified」というのが心象スケッチということだった。

「心象のはいいろはがねから」は妹トシが亡くなって喪の気持ちというようなことか。宮沢賢治は「青」の使い手なのだが、それはモダニズムの青で、憂鬱な色というような灰色がかっているのだった。けっして明るい青空のイメージではないのだった。

「あけびのつる」は「あけび」は蔓科だったのか?これも薄紫のような青色だった。

「くもにからまり」というは面白い表現だ。実際の雲には絡みようはないのだが、そこが心象風景なのだろう。蔓科の植物は『源氏物語』の玉鬘でもそうだけど一人立ち出来ないイメージか?ここでは妹なのかな?

薔薇も蔓科の植物だった。ただここでは立ち入り禁止というような境界なのか?「腐植の湿地」はじめじめした死のイメージか。妹の死体も腐っていく。イザナミの黄泉の国のイメージか?

「諂曲(てんごく)」は法華経の仏教用語で人にへつらうの意味。ただここでは一般的なへつらうという意味ではないような気がするのは、次の()内の言葉が心地よい感じがする「諂曲」なのだ。

「いかりのにがさもまた青さ」。賢治の青使いはこんな感じだった。

四月の明るい日常にいる賢治の心象風景はこの青さなのだ。だから「修羅」という言葉が出てくる。

春眠とピンクパンサー

うたた寝の夢心地は灰色で覚束ない
藤棚で揺れる紫を仰ぎ見て
散ってゆく桜の花びらと混じって
いつしかピンクパンサーの夢となっていくのだ
(ラジオからは即興のジャズ・ミュージック)
日差しの強さに灼かれゆく皮膚
四月の肢体を灼け尽くす
汗は吹き出し怒りの唾を吐く
俺は一人の阿修羅なのだ



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