シン・短歌レッス95
紀貫之の和歌
『古今集 物名。「物名(もののな)」とは言葉遊びの和歌で、ある物名を掛詞で隠して詠んでいる歌だという。ここでは「をみなえし」だという。これは「折り句」だった。
元来詩というものは言葉遊び的なものがあるということだ。オヤジギャクも詩の萌芽なのだよ。
『古今集 物名歌』
巻頭歌に置かれた藤原敏行の二首。「うぐひす」は単純な鳥だけど「うぐひずとのみ」は意味が複雑だ。「憂く乾ず」というあやふやな言い回し。そんな鳴き声するのか?単に言葉遊びだけの世界なのか?
次もベタな掛詞か?「ホトトギス」が「ほど時過ぎぬれや」の中に隠れている。もうホトトギスの季節は過ぎてしまってだろうか?という意。後半「人をとよむる」が難しい。「とよむる」は響かせるというような。その前の「鳴くなる」も「亡くなる」の掛詞のようだ。そうすると亡くなった人を「とよむる」ということか?藤原敏行の妻とする説もあるようだが、どうなんだろう?
「うぐひす」が春を代表する鳥で「ほととぎす」は夏を代表する鳥の配列。
「浪の打つ」は句跨りで「浪の打つ瀬見れば玉ぞ」。無常観を歌った仏教的な歌だという。在原滋春は業平の三男。
「きちかうのはな」が何のことかわかりにくいが「桔梗の花」ということ。「あき近う野はなりになりけり」。ここまでだとちょっと難しいかな。
文屋康秀の歌は難解。めどはめどの花で「めどはぎ」でそれに接ぎ木した「削り花」を詠ませたと二条の后の詞書がありそれが「めども咲きに」だという。削り花が咲いたということで自分も時代遅れになったがこの身がもう一度咲かないかというような嘆願の歌だという。文屋康秀のこころが隠されていたのだった。
そして、貫之の「をみなえし」の折り句となるのだった。この句は業平の「かきつばた」の折り句を意識したものだろう。紀貫之の業平オマージュ。
葛原妙子
「水中より」はボラとか時々跳ねているのを大岡川で見るがボケっと見ていてもこういう歌は作れないだろうな。「水のおもて」は水面だけどそこから出てしまったという魚の気持ちにならないと詠めない歌だ。ボラは水中の酸素が足りないからという説があるそうだが、はっきりしたことはわからないのだそうだ。水の外に張り付いたような一瞬のときめきか?
「美しき雲」が夕焼け。そこに黒い機関車の絵。それを帝王という。ターナーの絵にありそうな歌だった。
「たれかいま」は短歌のリズムを葛原は乱しているのだった。葛原の歌の面白さはそういう自己のリズムが短歌のリズムに従わないところなのかもしれない。徐々にリズムを乱して、をとめの眸に入り込む、その崩壊感覚。
「青虫」は村上春樹の小説を連想する。春樹の方が後だから、もしかしたらこの歌を読んだのかもしれない。普通繭を作るのは蚕だが、ここで青虫としている。それは糸だろうと解説者。「かすけき切創に」は切り傷のことだ。リストカットのような自傷する姿を比喩としているのだった。
「葡萄」は「聖書」の中にある言葉だという。誘惑の果実がリンゴよりも「葡萄」なのかもしれない。葡萄の重さは、罪なのかもしれない。次の句も「葡萄」は罪の果実のような歌だった。
「いまわれは」の歌は鰈をそのまま手にぶら下げているのだが、それを女王様のように詠んでしまう面白さがあると思う。普通なら生臭い魚であるのに、臭いは感じさせず、「星の斑(ふ)のある」と浪漫的に騙るのだ。鰈もこんな歌を捧げられたら浮かばれるだろうな。
「おほいなる雪山」は蔵王だという。同じ時の歌に「みちのくの岩座(くら)の黄なる蔵王よ耀く盲(みしひ)となりて吹雪きつ」がある。吹雪で視界が定まらぬ様を「全盲」と歌っているのである。塚本邦雄の評。
「美しき把手(のぶ)」という破調から「ひとつつけよ」という命令形に葛原の調べがあるという。そして透視者の眼差し。
台所短歌なんだが、一般的な台所短歌にならないところが葛原妙子所以の葛原妙子なのだが、三句目が無いのだ。しかしこの欠落の三句目が大きな意味を持つことはその空白から明らかである。別に三句目なんてなくとも歌として成立するのだ。凡人は数合わせだけで短歌だと思ってしまうのだ。
「鵯」はひよどり。鴨と読んでしまいがちだが後句の「銃声」に引かれてしまうのだが。「鵯」を撃つのは害鳥としてだろうか?「鳴き声」を「胸かきむしる」としている。
「明るき昼」は難しい言葉が含まれているな。「しじま」は静寂、明るい昼間の静寂に誰もいない、「ふとしも」はちょっとはという意味らしいけど、ここでは違う感じだ。ガラスの壺は涙すということだけど、外気が暑くて水滴が付いているのか、それともないものが見えたのか、解釈はないものが見えたということなのだが。自分が泣いているということもあるな。
「みどりふかし」は妊娠中の歌なのだろう。結句が難しい。「さめをらむか」とか覚めるだろか?の意味か?胎児を透視しているとかエコーかよとおもってしまう。
「美しき信濃」美しきと言ってしまうのはどうなんだろなと思う。通常はこういうあやふやな言葉は使わないようにといわれるのだが。前半は凡庸だよな。そこに突然「いくさ敗れ」と来てこうもりはこうもり傘を差して行くというのは、意味が捉えづらい。こうもり傘に何か貧しい印象があるような感じか。美しい秋の情景には相応しくない姿なのか?
「胎児は」の歌はお腹の中を透視する力があると信じられているようで、そこはオカルトチックなのだが、透視ではなく想像力だろう。葛原妙子だからと言って神がかり的に見るのは良くない。
NHK短歌
川野里子先生。「カタカタ語」を使おう。カタカナ語の響きから連想される「重さや」「軽さ」「色」から自分の心を引き出す。
『角川短歌 2023.4月号』がちょうどカタカナ特集だった。
ビジネス用語
「クレーム」はわかるが「バックヤード」がわからん。なんかスカしている感じはするが。
意味を知ると哀しさが溢れてくるな。
上句は愛おしいのに下句は計算高いのか?でもこれはなかなかの社会詠だな。
「Todoリスト」が英語混じりのカタカナ語。Todoリストはグーグルのアプリだった。便利そうだけど使いこなせないような気がする。
経済用語はパス(使いそうもない)
エンタメ用語
こんなのは使えない。「オーガニックな静寂」ってなんだよ?
ほとんどそういうことだが凄い破調な感じで最後の「魑魅魍魎」という言葉は決まっている。
これはオタクしか使えないな。流行り廃りもあるだろうから。後から読んで(70歳ぐらい)恥ずかしくならないのだろうか?
スポーツ
スポーツ用語はけっこう使えると思うのだが、こういう使い方ではなく。比喩的に使う場合は照れないことだな。最後はほとんど恥ずかしいが。
ネット
今だからまだ通用するが、Xに変わったから「ツイート」も死語になる可能性もあるな。それで冒頭「死後」をかけているのなら、なかなかなのかもしれない。
なんか無理している感じありありだな。「宇宙船」が古い感じ。
やっぱ穂村弘は上手いな。ただし、2021年には「ダイレクトメール凍って」は圧縮しての意味に解釈されたらしい。それも凄いな。
ファッション
このへんを研究していきたいな。
こういう奴。カットソーをTシャツとか言わない。
ボタンダウンぐらいなら使えそうだ。
音楽
うたの日
今日は「のに」か「何」。難しいのでNHK短歌見てから。短歌を考えていて寝てしまい夜の部へ。「イく」か「のか」。よくわからんけど、「イく」は逝くか?
『百人一首』
時間切れだった。「のか」
『百人一首』全然入ってない。
♪一つ。評価が低いな。あやうくどんまいじゃないか。
映画短歌
『マリア・ブラウンの結婚』
『百人一首』
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