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言葉だけでは伝わらないもの

昨日帰ってきました。たまの旅行は気分リフレッシュします。でもその非日常もすぐにこの街のどんより感に染まってしまう。何が違うのでしょう。人かな。香川にも腹立てている人はいたけど、なんか違うんだよな。昨日、夕飯がつくるのを面倒でファミレスに入ってのですが、いつも以上に混雑で(そうだ、土曜日でした)。隣の席で文句を言っている。支払いでパートのおばさんがもたついて、こっちもイライラしてしまう。ストレスが多すぎ。

香川はうどん県だけで、その辺のセルフうどん店でも美味しい。そこはネットに出るほどの有名店ではあったのですが。朝の6時45分から店を空けている。早めに出たので6時半ぐらいから待っていたら、掃除に出てきたおばさんがもうすぐに空けますからと。こっちの責任だから気に待つのは気にならなかったのですが対応が良かった。帰りも「気をつけて」と。まあ、遍路笠持っていたのでそれとなくわかったんだろうけど。

お遍路中は、読書出来なかったというか本も読む気持ちにもなく、毎日自然と歩きで考えることがなかった。それも非日常だから、いかに普段の生活が日常から逃れるために映画や読書をしていたかよくわかりました。観光客だからこの糞暑い日中から寺巡りなんて、優雅なことなんだと。

電車の中で電話する人がいたけど、それほど気にならなかった。向こうは日常ですから。多分、こっちでは電車なんかで電話してようものなら白い目ばかりでしょうね。そういえばコロナ禍ということも忘れていましたけど、昨日帰りに横浜でおばさんが咳き込んでいたら、みんな避けていたので、そういう世界でストレスを感じないわけがない。

香川の電話がいきなり「警察に突き出したろうか?」と言っているので何ごとかと思ったらスイカ泥棒でした。まあ、香川にも泥棒がいないわけがない。でもなんかほのぼのしてしまう。そういえば正岡子規にスイカ泥棒(畑の泥棒)の俳句がありましったっけ?

下士来たり西瓜泥棒敬礼す  渡辺白泉
先生が瓜盗人でおはせしか  高浜虚子

正岡子規の俳句は見つからなかったけど虚子が詠んでいたのですね。俳句にもなる畑泥棒。このぐらいの余裕が必要なのでしょうか?

帰りの電車でうとうとしながら吉村均『空海に学ぶ仏教入門』 (ちくま新書)を読みました。今回のお遍路でいろいろわかったことがこの本に書いてあってなるほどと思いました。

空海の密教が書物や言葉で教えるのではなく、実際に行動で覚える灌頂(かんじょう)という卒業試験のようなものがある。映画『空海』でも最澄が比叡山に早く戻りたいのに空海に灌頂を求めるシーンがありました。でも空海はまだ三年はかかるという。それで弟子を置いていく。それが空海と最澄の袂を分かつ原因になりました。この本の中では空海が師の恵果和尚を批判することを言ったとか。師の教えは何より大切なもので、それを批判することがなによりも許されないことだったとか。

話が外れました。要するに空海の密教が言葉よりも身体でおぼえさせていくというのは、お遍路で空海の道を辿りながら無心になるというそういう体験なのでした。実際に行く前はガイドブックを読んだり体験談を読んでもいざ行ってみると様々な困難が待ち受けている。それを一人一人が状況に応じて対処していく。密教ではそれを師について習うわけです。一人でも可能なことはないのですが、それだと間違った方向に行ったときに自分では判断が出来なくなる。それが密教の方便という各自にそれぞれの道があり、画一的な教育では身につかない仏教なのです。

例えば煩悩の階段を登って煩悩を消滅させても、それは一時的な解脱で涅槃に通じる道ではないと言います。八十八ヶ所めぐりも空海の辿った道を辿りながら、空海の仏教も辿ることなので、本当はスタンプラリー的なものではないのですけど、今は観光でそうなっているところがある。それでも日常から非日常への解脱でいろいろ体験することになる。

まあそういう苦行を否定して、他力本願なのが親鸞の浄土真宗などが後から出てくるのですが。仏教の教えとしてはそのもは変わってないそうです(言葉では伝えられず師に習う)。ということを体験してきたのに、帰ってきたら忘れてしまう。それだけ俗世間の欲望が深いわけでなかなかそこから解脱はできないということがわかりました。

それを安易にすると統一教会とかご利益ばかりの手段がご利益を狙った教祖に騙されることになる。統一教会と現政権の繋がりはある程度この双方の利益を満たすもので、そうしたものはもともと人間の欲望として渦巻いているのだと。だから何ということはないんだけど、惑わされることが多いのが日常だということがわかっただけでも進歩ですか?ソクラテスの「無知の知」という根本思想もそういうことだろうと思います。

ということで言葉による日記は、言葉以上のものを求めて日々鍛錬なのだと考えることで自ずから道が見えてくるかも。

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