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シン・短歌レッス82

古今集の和歌

鈴木宏子『「古今和歌集」の想像力』のさらに続き。

「恋3」は「初めての一夜とその前後」と興味深いトピックだった。その中の分類も細かく編集されているのである。

Ⅰ逢わずに帰る        (616番~626番)
Ⅱ「なき名」が立つ(627番~631番)
Ⅲ初めて逢う一夜
     「よひ」  (632番~633番)
                  「よなか」 (634番~636番) 
     「あかつき」(697番~643番)
                   「あした」 (644番~648番)
Ⅳ「浮き名」を恐れる (649番~669番)
Ⅴ「浮き名」が立つ  (670番~674番)

これほど分類して編集するのだから、紀貫之のオタク・グループのコレクション好きが伺われる。「なき名」は「噂」。宮廷内というせまい世界だから「噂」はすぐに立ってしまうのだろう。それにお付きの女房たちがそういうのが好きそうだ。紫式部もそういうアンテナがあったのだろうと思われる。そして、紀貫之が和歌が上手かったのも経験よりは、研究の成果だと思うのだどうだろう?

忍ぶれど恋しき時はあしひきの山より月の出でてこそ来れ  紀貫之

『古今集 恋三633』

「忍ぶれど」は恋の歌の模範になったという(『百人一首七』の「忍ぶれど色に出でけり~」もこの歌の影響だという)。

恋ひ恋ひてまれに今宵ぞ逢坂の木綿(ゆふ)つけ鳥は鳴かずもあらなむ  詠み人知らず

『古今集 恋三634』

「木綿(ゆふ)つけ鳥」は「鶏」のこと。関所で鶏の尾に白い布を付けてお祓いをしたとか。次の歌ではすでに夜明けだった。『鬼滅の刃』の鬼かよ。

秋の夜も名のみなりけり逢うといへばことぞともなく明けぬるものを  小野小町

『古今集 恋三635』

長しとも思ひぞ果てぬ昔より逢う人からの秋の夜なれば  凡河内躬恒

『古今集 恋三636』

凡河内躬恒(おおしこうち の みつね、名前が覚えられん!)の歌は小野小町の返しなのだが、勝手に想像して詠んだ歌だという(おたくがやりそうだ)。

「あかつき」の別れの歌は、「しののめ」「あかつき」「明けゆく」「起く」「別れ」などの言葉を含む。

しののめのほがらほがらと明けゆけばおのがきぬぎぬなるぞ悲しき  詠み人知らず

『古今集 恋三637』

「しののめ」は「東雲」という漢字を当てることもあり、東の空が明るくなること。『古今集』の恋人たちは、朝に急き立てられように別れていく(鬼だな)。それは『源氏物語』にも伺われる。例えばシェイクスピア『ロミオとジュリエット』のバルコニーのシーンも朝になると別れのシーンだった。

「あした」の歌群には恋歌の真打ち在原業平が登場するのだ。在原業平や小野小町のスターを登場させることで華を添えるスター・システムだという。

君や来し我や行きけむ思ほえず夢かうつつか寝てか覚めてか  詠み人知らず
(返し)
かきくらす心の闇に惑ひにき夢うつつとは世人さだめよ  在原業平

『古今集 恋三645-646』

これは『伊勢物語』69段の歌だという。それには詠み人知らずは恬子内親王(てんしないしんのう)=斎宮の禁じられた恋だった。この歌は『寝ても覚めても』の元ネタだったのだ。


「あした」の歌の最後は再び「月」が登場する。

さ夜ふけて天の門(あまのと)わたる月影に飽かずも君を逢ひ見つるかな  詠み人知らず

月影に幻を見るのだ。すごい編集だ。紀貫之たちの編集は映画オタクそのものだな。

そして、噂が広まっていくのだった。

花すすき穂に出でて恋ひば名を惜しみ下結ふ紐の結ぼれつつ  小野春風

『古今集 恋三653』

君により我が名は花に春霞野にも山にも立ちみちにけり  詠み人しらず

『古今集 恋三675』

「うたの日」

お題「キリスト教」難しいな。「耶蘇教」か?
『百人一首』

祈りつつひとり寝の夜十字架は傾いたXとかを知る

Twitter社のことです。♪一つだった。社会詠は駄目なのか。まあ、Twitter社とはわからないのかもしれない。

映画短歌

『遠いところ』

『百人一首』

ウチナーの外れまでは難(かた)ければ海を超えて子とともに死す

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