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シン・俳句レッスン101

沈丁花

室町時代には中国から輸入されていたとあるから和歌があるかもしれないな。近代短歌しか見つからなかった。

沈丁花いまだは咲かぬ葉がくれのくれなゐ蕾匂ひこぼるる 若山牧水

『朝の歌』

これを俳句にすると。

沈丁花蕾匂ひや逆上がり  宿仮

逆上がりの鉄棒の匂いとか女の子のパンツとか幼き日の恋とか。

文芸選評

震災特集。高野ムツオだった。先日東日本大震災の句集を借りたのだけど、なんかピンと来なかったのが正直なところ。当事者ではなかったから。震災の記憶も薄れていくよな。それを忘れないという意味もあるのだろう。

大震災揺れる心はXデー  宿仮

ネットで情報集めていたのだが、あの頃はTwitterだったな。

大震災揺れるTwitterXデー  宿仮

ちょっと意味がはなれてしまうな。Xを入れるのは無理だな。

大震災揺れるTwitter悲鳴かな  宿仮

客観的すぎるか?文字は悲鳴でもないしな。

大震災揺れる文字ばかりTwitter  宿仮

大震災揺れる言霊Twitter  宿仮

このぐらいか。もうTwitterもないからいいのかもしれない。 

現代俳句の海図(岸本尚毅)

現代俳句の保守化を象徴する俳人かな。理論家だけど飄々てして伝統俳句を読む。岸本尚毅はNHK俳句でも教え方が上手いような気もしたし、優れている俳人だとは思うが、いまいちそっちの方面には行きたくないと思ったのは、伝統俳句の枠から出られないからだろうか?

個人より結社みたいな、俳句が個人表現であるよりも関係性の文学であるという、その中で個人としての岸本尚毅は何を求めているのだろうか?

焼藷や空に大きく太子堂  岸本尚毅

『瞬』

よくわからないよな。二物衝動。焼藷が俗で、太子堂が聖なる空間。空は空虚ということか?空なる思想。虚子論を書いたのが『現代俳句の世界』「虚無を飼いならす」。現実の社会から断ち切れた俳句だという。時代を映すことがない俳句。浮世離れの俳句。俳句で自己表現をする意思がないとまで言っている。

鶏頭の短く切りて置かれある  岸本尚毅

『鶏頭』

植物の鶏頭だから素通りしてしまうような句か?本当は鶏の頭だったりして。高校のときに解剖の実験をやったな。その時の机に置かれているイメージ。あるいはシェパードを番犬に飼っている人が近所にいて鶏の頭を餌として与えていたとか。実際に見たわけではないが信じていた。やたら吠える犬だったのか。いつの間にか空の檻だけがあったような。

虚子の「虚しさを虚しさのまま包み込む俳句」という。仏教の「空」の観念だな。

冬空へ出てはつきりと蚊のかたち  岸本尚毅

『鶏頭』

ほんとわからん。冬の蚊なのか?冬空に飛んでいたのかな。それを叩いたら蚊のかたちだけが残ったという虚無感。叩かないで飛んでいる姿を見たということだった。叩き殺したら仏教に反するな。人間が出来ている人なのか?

海上を驟雨きらきら玉椿  岸本尚毅

『鶏頭』

驟雨が季語か、玉椿は比喩なんだろうな?「玉椿」は椿のことだから季重なりなんだが、比喩だからいいのか?日本書紀には「海石榴」の字を当てることから海上なんだろうか。雨が玉椿が落ちるようなイメージか?「きらきら」の当たり前のオノマトペを使って当たり前じゃない句を詠んでいるという。

てぬぐいの如く大きく花菖蒲  岸本尚毅

『鶏頭』

花菖蒲が描かれているてぬぐいではないのか?比喩が驚かされるという。マジックみたいな感じか?

青大将実梅を分けてゆきにけり  岸本尚毅

「実梅(みうめ)」と読むらしい。青大将も季語のような気がする。実梅も季語だよな。

写生句の極地だという。ここでの季題は「実梅」で花鳥諷詠。それが写生の言葉と対立・緊張関係にあるという。それが客観写生。わかったようなわからないような。作ってみればいいんだな

紅梅やメジロ散らかす紅の跡  宿仮


雉子鳴くつめたき富士と思うかな  岸本尚毅

『瞬』

これは実際に聞いたのかな。小林恭二『俳句という遊び』で最高点の一句だという。よくわからん。今日本を借りてくるか。

盆の波ゆるやかにして響きけり  岸本尚毅

『健啖』

師事していた師波多野爽波が亡くなったときの句のようだ。波多野爽波から有馬朗人に師事したという。挨拶句への開眼とあるな。そう言えば句会でも挨拶句が多かったような。それが座の俳句ということか?

その中に君居らぬこと秋霞  岸本尚毅

田中裕明の「ゆう」に参加して、亡くなったときの句だった。

現代俳句史

小林恭二『俳句という愉しみ―句会の醍醐味』から「幕間 御岳炉話」。

女性俳人。いるにはいるけど影が薄い。それは俵万智級のメジャーな俳人がいないからかな。最近は夏井いつきか?彼女の話題が出ないんだよな。どこか避けている感じがする。私もそれほど好きではないが、俵万智が避けれないように彼女を避けていては駄目だと思う。

女性俳句が華やかだったのは四Tの時代だと思うがそこに杉田久女が入らなかったのが女性俳人が一段下と見られたのではないか?

四Tは虚子の息のかかった俳人であり、虚子によって潰された杉田久女から虚子と対抗する勢力が出ていないのではないか?宇多喜代子は新興俳句系で、池田澄子が口語俳句で活躍するぐらいだった。あと夏井いつきと櫂未知子ぐらいか?歌人に比べると圧倒的に少ない気がする。

最近は女性俳人もいるけど影響力がある人といえば夏井いつきぐらいになるのかな。前衛俳句系がいないんだよな。結社主義が強すぎて女性の党首がいないような。神野紗希ぐらいか。輝いているのは。それでも歌人にくらべると微々たる者だと思う。全然脅威にならないのだった。短歌は男性歌人が脅威する事件が度々あるのだ。中条ふみ子の登場とか。

まあ、小林恭二も伝統短歌組だから、この分析も結局結社主義の座の文芸ということに落ち着くのだ。その中で師弟関係が強固にある。例えば小澤實=藤田湘子、岸本尚毅=有馬朗人。今を代表する二人の俳人。三橋敏雄のラインで池田澄子を呼ばなかった。宇多喜代子とかな。大木あまり一人というのは駄目だよな。居なくても呼び込まなきゃ。その辺が小林恭二の保守性か?

そして新興俳句と前衛俳句は別なものとみているのだった。戦後に金子兜太らの社会詠俳句が前衛俳句という位置づけなのかな。この辺りの区分がわからなく成ってきている。短歌では戦後の桑原武夫「俳句第二芸術」論の危機意識から前衛短歌が出てきたが俳句はポシャってしまった。金子兜太がいまいち前衛という感じがしない。やっぱ高柳重信だよな。高柳重信の後が続かなかったのが痛いのかもしれない。自由律の方へ行ってしまったのかな?

塚本邦雄がいなかったというより葛原妙子がいなかったというのが大きいじゃないかな。塚本邦雄は高柳重信でもいいんだと思う。葛原妙子から俵万智みたいな流れのような気がする。厳密に言うと穂村弘なのだが。そこから東直子とかまた違う感性が出てくるのだ。

まあ藤田湘子とか有馬朗人がここに出てくるほど伝統俳句系が強いということだ。

『天の川銀河発電所』(小川楓子)


色鳥来さてもみじかいスカートだな

下心の明るさとある。逆上がりの句と通じてないか?

永日のきみが電車で泣くからきみが

幼い日の幻影っぽい句だった。金子みすゞとかの系統?

寒いなあコロッケパンのキャベツの力

春キャベツとか入っている旬のブランド・コロッケパンのような気がする。

コロッケパン食べこぼして減点一  宿仮

図書館でいつもコロッケパンを食べるのだが(安くて腹持ちする)、ぽろぽろこぼれるんだよな。

沈丁花蕾匂ひや逆上がり
大震災揺れる言霊Twitter
コロッケパン食べこぼして減点一

今日はこのぐらい。

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