見出し画像

映画と原作は別物

『スキャナー・ダークリー』 [DVD](監督)リチャード・リンクレイター (出演)キアヌ・リーブス, ウィノナ・ライダー 

(あらすじ)近未来のアメリカ。政府が腐敗した社会には、「物質D」と呼ばれる右脳と左脳を分裂させてしまう恐ろしいドラッグが蔓延。人民の権利はことごとく踏みにじられていた。キアヌ・リーブス演じる覆面麻薬捜査官は、「物質D」の供給源を探るため、自らジャンキーとなりドラッグの世界へと深く潜入していくが、やがて捜査官の立場で、ジャンキーとしての自分を監視する事態に陥る。そして、彼の中で捜査官とジャンキーという2つの人格が分裂し始め、徐々に、しかし確実に崩壊していくのだった。

1977年出版のディックの原作より2006年のこのアニメ映画の方が現代に近い分、映像はネット監視だしストーリーも整理されて映画向きになっているがディックのSFにあるジャンクさには欠ける。それにジャンキーたちが小説より大人になっていて、そのへんで違和感を感じたが映画を先に見る人はこっちのほうがいいかもしれない(わかりやすい)。

あと現場にフレッドとアークター二人同時にいるのはまずいと思う。一方は幻視であって、実際には観察者とおとり捜査官の二人であるべきなんだ。だから同時に二人存在するのはあり得ない。現場に二人いたら観察者と三人になってしまう。後から確認したということなのか。このへんはけっこう混乱するように書かれているから映画のほうが正しいのかもしれない。

ここからはネタバレになるから、これから見る人は注意して下さい。

あとドナがおとり捜査官っていうのは映画だけだよな。それも辻褄が合うがおバカなドナじゃないのか?もっと精神年齢が低くて18歳ぐらいなヤンキー娘なんだと思う。それでアークターとドラックを楽しむのはドラック文化のあの時代だったから。

原作では、アクターを更生施設に送っていく帰りにコカ・コーラのトラックに銃をぶっ放し、カー・ラジオからはキャロル・キングの「つづれおり」が流れていたというシーンがあるのだ。あそこはクライマックに値するシーンで、一つの時代の終わりを象徴しているのだ。ジャニスとジミヘンの(ドラック文化)時代の終わりとキャロル・キング(内省の時代)の始まりと。これをカットするのだから映画と原作は別物だ。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?