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お遍路日記

第一章 ご来光始発列車の瀬戸の窓

お遍路の四国に行くには、快速マリンライナーで瀬戸大橋を渡っていく。岡山から始発列車に乗ったときから、車窓は「世界の車窓」だ!思わず一句詠んだのが、第一章のタイトル。これも弘法大師のお陰なんだろうか?

その前日、旅にトラベルはつきものというが、出発するときからトラブルの連続。前日から金剛杖は電車内に持ち込むのは時期的に銃刀法違反などの文句がでるのではあるまいか、お遍路グッズだから大丈夫なのかと気にしてる間もなく外は大雨。とりあえず傘をささずには出かけられないので傘を持っていくことに。この傘が大いに金剛杖となって活躍してくれるのだ。

お遍路や金剛杖を雨傘に  宿仮(やどかり)

そもそもお遍路は「青春18きっぷ」を使って、無職な身分なので時間はあるが出来るだけ経費をかけない旅行のつもりだった。還暦過ぎてから「青春18きっぷ」。各駅停車に年の差なんて関係ない。様々な人が乗ってくるから非日常の旅の面白さが味わえる。しかし、この日は大雨で沼津からの徐行運転。通勤・通学の時間帯であっちこっちからため息が聞こえてくるような暑苦しさ。日常生活を脅かす非日常の世界。そういえば今はコロナ禍なんだっけ?

そしてとうとう浜松で大雨のために走行不能。ちょうど昼時だったので駅から出て昼食にすることに決めて電車を下りる。こういうときに便利だった「青春18きっぷ」は、途中乗り降り自由なのだ。これも弘法大師のお陰?

浜松でコンビニでおにぎり買ってネットカフェで時間潰し。宿泊はすべてネット・カフェで済ませようと思っていたので、今夜の泊まる場所を決めておくことに。時間が遅くなりそうなので、四国は夜間になってしまう。宿泊場所を探すのは無理があると思い、本州岡山のネットカフェに一泊することに決める。岡山は、親戚の親戚がいたので2回ぐらい行ったことがあるので、駅周辺の地理は不安はないはず。それでも30年前だったから、ちょっとは迷子になりながらもどうにかネットカフェで宿泊。チェーン店なのでどこも仕組みが同じ。地元のおばさんが無人レジなので困っていた。

ネットカフェの快適さは、チェックイン、チェックアウトが自由で持ち込み可能なところ。まあネットカフェの食事はたいしたものがはないので。それと飲み物も自由でパソコン使い放題、シャワーもあると単身者には文句し。何よりも安い。

そして、夜明けと共に出発。まだ岡山駅では陽が出ていなかった。記念に桃太郎の銅像の前でパチリ!

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その時詠んだ一句。

お遍路にイヌ・サル・キジはお断り  宿仮

お一人様お遍路旅はそれでも同行二人(弘法大師がもれなくついてくる)と言う。

第二章 煩悩の階段マニア弥谷寺 ~第71番弥谷寺(いやだにじ)~  


遍路道で出迎えてくれたのは蓮の花。昨日のトラブルが嘘のような極楽な朝。

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注意深い読者なら弥谷寺の番号に気がつくと思います。何故第71番なのか?四国八十八箇所お遍路ならば順番通り第一番霊山寺(りょうぜんじ)から始めるべきではないのか。そう思ってしまうのは真面目すぎる方なんで世の中抜け道というのがあるんで、今回は八十八ヶ所すべて回るのは無理だということで色々調べてみたら香川県にある寺だけを廻る「七ヶ所まいり」を一日だけで回ると七福神のご利益が得られるという方法があるんです。

それほど信心深いわけでもなく、何も弘法大師の真言密教に弟子入りしたいのでもなければ、体験入学的に「七ヶ所まいり」という方法があり、71番弥谷寺、72番曼荼羅寺、73番出釈迦寺、74番甲山寺、75番善通寺、76番金倉寺、77番道隆寺の香川県にある寺だけで一日で歩いて回れるお手軽コース。自動車を使えばあっという間でしょう。そこまでずる?する気はなく、やはりお遍路は歩きでしょうと嘘ぶきたくもなります。

これは香川県が観光事業で、順番で廻っていたら香川県は、徳島、土佐、愛媛、香川と最後なんで、総本山ともいうべき善通寺が力にものを言わせて考えたと推測します。昔は観光事業のお遍路ではなく、あくまでも信仰の対象としてのお遍路で、そのために死を覚悟して白装束で歩いたのです。

まあ、信仰か?観光か?と言われれば観光というしかない。でも一応歩き遍路中心ということで、真夏の暑い時期にそれなりの訓練もしてきました。実際は二駅程度の往復散歩でしたが、あまり無理をすると都会でもキツい。都会だからアスファルトと交通渋滞でキツいのだと後に知りました。

それで話を戻して、第71番弥谷寺からです。ここは階段がキツい寺で有名で、全部で540段あるのです。そこにも抜け道があって、マイクロバスで中段まで登ることが出来る.........、はずがコロナ禍ということでマイクロバスは走ってなかった。それでも540段ぐらいならどうにかなるだろうという甘い考えで登っていきます。地元のオバサンも杖をつきながらひょこひょこのぼっていく。先に登っていったのを追いかけたのですが追いつけない。後で寺関係の人だと判明しました。

そして煩悩の階段108段があるのです。その前に540-108段も登っているので、煩悩も尽きました。

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最初の寺でいろいろお参りの方法もわからない。一応、般若心経の教本は持って、それを唱えればいいと暗記しようと思ったのですがぶっつけ本番となってしまいました。線香やらロウソクやらお参りグッズを持って行かなかったのと、小銭をそう用意してなかったので、千円札を崩してのお賽銭は百円玉中心となってしまいます。お参りする場所もあっちこっちにあり、御札を納めたりよくわからない。まあ観光事業ということもあるのかな。御朱印も300円ですし。御朱印帖だけはなぜか用意している。スタンプラリー的なアマちゃんです。

それでも弥谷寺は山寺ということもあり、とても感じがいいのでした。都会の寺とは違う貫禄と歴史と伝承がある。すべてを理解したわけではないですが肌で感じる空気が違う。以前山形の山寺に参拝したときの気分か?芭蕉が「閑さや岩にしみ入る蝉の声」と一句詠んだ気持ちですね。なぜそのときそういう一句が詠めなかったのか?煩悩が尽きてそこまで考える余裕がなかった。冒頭の句は後から、煩悩でひねった句であります。

第三章 お遍路やこうもり傘は金剛杖(こんごうじょう) ~第72番曼荼羅寺~第73番出釈迦寺~


弥谷寺には、天霧城という自然の要塞のような城跡があるだがまた山を登らければならないのでパス。「天空の城」みたいで行きたかった。「天空の鐘」というのもあるんだとか。ロマンを誘います(実際は悲惨な伝承があった!)。ここは一日がけで観光する寺ですね。天霧城の古い伝承。

一説には香川氏は長宗我部氏との戦いで、天霧城に立てこもりましたが、城を囲んで水がなくなるのを待った長宗我部軍に、水があるように見せかけるため白米を流しました。最初は敵の目をごまかせましたが、通りかかった尼が「あれは水ではなく白米だ」と告げたため、たちまち攻め込まれて落城しました。尼は香川軍の落武者に斬り殺され、そのため「尼斬城」ともいわれたそうです。

善通寺市デジタルミュージアム 天霧城跡 天霧山 - 善通寺市ホームページ https://www.city.zentsuji.kagawa.jp/soshiki/50/digi-m-culture-detail-029-index.html

帰ってきてから行かなかったことを後悔するが、あの時は先を急いでいた。もたもたしてられないのですぐに第72番・曼荼羅寺に向かいます。

弥谷寺の「煩悩の階段」の効果はすぐに消え、再び煩悩の妄想に憑かれます。

「あの.、お遍路さんですか?ご苦労様です。ここに冷たいトマトがありますので休憩していきませんか?」

と純朴そのものの女子高生が声をかけてくれる。自転車ですれ違いざまに挨拶をしてくれる女子高生はいたんですが.........

国道を車お遍路なのか次々と追い越されていく。歩き遍路は、想像以上に孤独だった。そして、また邪心が叫ぶのだ。

「車お遍路は地獄に落ちろ!」

やっと半分ほどのところに饅頭屋の看板が。ペットボトルの水も飲み干したので、ここで休憩しましょう。

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ここで買ったお土産の饅頭が、その後に昼食になりエネルギー元になったので、買っておいて良かった。饅頭屋はただ峠の名物としてあるのではなく、エネルギー補給のためにあるのだと身を持って知りました。

そして第72番曼荼羅寺到着。スマホで写真は撮りましたが、実はあまり覚えていない。すでに朦朧状態だったかも。

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第73番出釋迦寺。すぐ近くみたいな標識がありますけど実際は上り坂でこの日一番キツかった。足が痙攣しました。階段を雨傘を杖代わりにやっとのことで上ていくような状態です。雨傘が金剛杖になったのは弘法大師のお陰?

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涅槃像になりたい。

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足はパンパン。痙攣するというマラソンランナーの苦しみが初めてわかった。もはやお遍路はアスリートだった。

第四章 善通寺地図アプリより蝸牛
第74番甲山寺~第75番善通寺

第74番甲山寺は小雨模様。かえって暑いより涼しくていいのだが、濡れるのだけは勘弁と休憩する。足はボロボロだし、幸いにして誰もいない寺内。

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熊蝉も一休みの甲山寺。

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わしゃわしゃと雨にとけ込む甲山寺  宿仮

どこからか鈴の音が聞こえて来たのは若いお遍路さん二人組。余裕の歩きは車お遍路なんだろうな、とケチを付けたくなります。それでもこのあたりは田圃地帯の平地なので比較的歩きやすかったのです。

途中でピンク色の謎のものが田圃のあっちこっちに。後で調べたらジャンボタニシの卵だとしりました。稲を食い荒らす侵略的外来種とされて嫌われてますね。

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蝸牛もいました。

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蝸牛負けるな稲は喰わねえぞ!  宿仮

雨も上がって善通寺へ。ここで大きなミスをしてしまいました。Yahooの地図アプリは、改装前の善通寺にナビゲイトしていたのです。こんなことがあるなんて。探しても探してそれらしき建築物がなく、立派な図書館があるだけ。仕方がないので、中学生に道を訪ねたらどうもここではないらしい。なんかかなり戻るようで、グーグルマップに変えたのですが、泣きたくなりました。グーグルも変な道を案内するんで、Yahooの地図アプリに変えたのにそんなこともあるのです。

今回あらためて思ったのですが紙の地図は必要です。それも最新の。お遍路マップのようなものがあるので、それを手に入れることを勧めます。スマホの地図アプリは、バッテリが無くなるそこで終わりです。また道路は日々変化しています(通行止めにであったことも)。まさか、寺が移動しているなんて思いもしなかった。

善通寺地図アプリより蝸牛  宿仮

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結局、ここでくたびれ果てて、宿を探すことに。結局5ヶ所参りしか出来ず、善通寺の宿坊とかあるようなのですが予約してなかった。なんでお遍路なのに予約しなければならない。、一番安心なのがネットカフェですね。ネットカフェのシャワーが気持ちいいこと。

第五章 神の湯は時間制限酷暑なり ~第77番道隆寺~第76番金倉寺~道後温泉~

前日5ヶ所しか回れなかったので、残り2ヶ所を午前中回って午後から道後温泉でお遍路の疲れを癒そうと思いました。

最初に駅から遠い第77番道隆寺にして、後は楽をしようと思ったのです。その前に香川に来たら、忘れてはならないもの、うどんを喰わねばとネット検索したら、朝7時からやっているセルフの有名店があるではないか。朝食をここで取って、なんせ前日は鳥坂まんじゅうとコンビニのおにぎりしか食べていない。

喜んびいさんででたが早すぎてしまい、まだ開店前に到着。

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店のオバサンが気に留めてくれたのですが7時からということで15分ほど待つことに。朝から熊蝉が忙しない。

わしゃわしゃと自己主張する朝の蝉  宿仮

セルフでいろいろ作法を教わったのはいいが足元がふらついてうどんの汁を零してしまいました。それでも、讃岐うどん一杯260円安かった。ただ残念なことに今まで良き相棒として働いてくれた金剛傘を置いてきてしまった。

そして相変わらず地図アプリは通行止めの道を案内するし、朝の通勤客らしき人の後をついてどうにか宇多津駅に間に合った。

宇多津駅は観光地でもなく、四国の玄関口である開発地域であり、隣駅には丸亀駅がある。ネットカフェも丸亀だった。まあ、都心と生活はかわらないのである。女子学生はスマホを持ち、中にはタブレットで勉強している者もいる(漫画を読んでいたのか?)。それでも旅の車中は、面白い。いきなりケータイ電話がかかってきて話し出す主婦とか。

「泥棒を捕まえたってどうすんのよ」
「しょうがいわね、警察に訴える?」
「西瓜泥棒だって、泥棒は犯罪よ!」

こんな会話は東京では聞けない。西瓜泥棒の俳句も作られるわけだった。

下士来たり西瓜泥棒敬礼す  渡辺白泉
先生が瓜盗人でおはせしか  高浜虚子

そうこうしているうちに多度津駅に到着。ここも四国の「四国鉄道と少林寺拳法発祥の駅」。駅を少し歩くとSLが置いてあった。いつ頃まで走っていたのだろう。

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昭和48(1978)年まで走っていた「ハチロク」と呼ばれるSLだそうだ。『鬼滅の刃』の「無限列車」にそっくりらしい。鉄オタでもアニオタでもないので話はこのぐらいでお遍路だった。

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第77番・道隆寺は目直し薬師寺ということで、めの文字を書いて納める納経があった。ご朱印と合わせて千円で足りるかと思ったが納経だけで千円でした。まだ送ってない。せっかくなので早く書いて送らねば。

こういう御札みたいなのが莫迦にならない出費なんだよな。お賽銭や線香代も含めると一つの寺で千円として、八十八ヶ所も廻るといくらかかるんだ、ということです。宿泊代とか入れると最低50万とか書いてあった。

もっとも今は観光バスで巡るツアーもあるようで。最初はそれでいいと思ったのだが予約が9月からしかなく、突然の思いつき旅行では出来なかった。何事も計画第一の世の中なんで、旅というより行って帰ってくる旅行というのに近いのかもしれない。

そんな中で今でも旅に近い形なのがお遍路なのかもしれない。旅の風情は何気ないところに感じる。例えば風鈴とか。
風鈴市があった川崎大師よりも風情を感じた。

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目を休めふうりんに浸る道隆寺  宿仮
爽やかな目直し薬師のふうりん  宿仮

第76番金倉寺でも迷ってしまった。もう地図アプリは信用しないほうがいい。ただこれは地図アプリのせいだけではなく、地図アプリばっかみて、実際の寺を見失うという自分の不注意だった。その前を通り過ぎているのに。弘法の筆の誤りとも言うじゃない。だから地図アプリがあるからと言って安心してはいけないのである。

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その隣の神社の狛犬に気を取られていたのだ。写真でその先に善通寺の文字が見えるじゃないか?名前も違っていたからよくわからなかった。

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子宝の寺なんで興味もそれほどなかったのかもしれない。

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この牛は子宝ではなく牛市が開かれたから祀ってあるのだという。讃岐牛というブランド牛らしい。近くにステーキハウスとかあるようだ。

乃木将軍妻返し松とかあったようだが、興味があったのは大きな樹齢700年の楠の御神木。四国の寺にはこういう大きな木があるのが嬉しい。思わす抱きしめたくなる。

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これで一応、「7か所まいり」は終わった。次は道後温泉の神の湯が待っている。金蔵寺駅に戻るが電車が来るまで一時間。駅の自動販売機はSuicaが使えると思ったが使えない。小銭は全て出払ってしまったのに、近くにコンビニもない駅だった。SuicaはJR東日本だけなんだと後から気づいた。

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無人駅だけどいいところだ。香川の山はどこも山らしい山でなんかいいのよね。

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こういう場所では俳句でも詠んで時間潰し。

潮風と夢うつつなる無人駅

無人駅を詠むのは月並みで良くないとされるのだが、投稿するのではなし、読書もせずスマホを眺めることなく、ただその場所の空気を感じていたいという。

中継駅でも一時間待ち。四国は同じホームで上りと下り電車が止まっているのだ。これは注意しないと松山行くはずが岡山に戻ってしまうことになる。そして、期待膨らむ道後温泉。市電だ。

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坊っちゃん時計。いい時間についたと思ったが。

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道後温泉はコロナ禍で入場制限をしていて夜10時にならないと入れないと言う。女性客には愛想よく記念写真なんか撮っている受付のおっさんの冷たい声。泊まる場所を探さねばならないので諦めて、別館の飛鳥乃の湯へ。『ここは楽勝で入れた。ただ時間制限がある。

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温泉に入ったあと周辺を歩くだけで汗だくになって。早くシャワーを浴びたい気持ちになる。普通温泉というと休憩場所もあってゆっくり出来るのだが時間制限って?

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また市電に乗って大街道へ。ここはアーケドのショッピング街。ベンヤミンの「パッサージュ」だと思ったが松山は夕方7時には店がしまってしまう。夕食もスーパーで買おうと思ったが閉店していたので、その隣の鮨屋で折鮨を買って、ネットカフェに持ち帰って食べた。四国だから特別に旨いのかと思ったら普通の鮨だった。

時間があるけど貧乏な人は、青春18きっぷ+ネットカフェは最強だと思う。チェーン店は全国にあるし、勝手はどこも同じだから慣れればこれほど楽なものはない。時間を気にせず出入りできるからいい。早朝出発、夜間入店で。ただ松山のネットカフェは高かった。観光地だと高めなのかも。

第六章 足軽や朝飯前の城攻めか ~道後温泉(大街道)~子規句碑めぐり~松山城

松山に行ったら正岡子規の句碑めぐりをしたいと思っていた。期待に膨らませ大街道を後にする。歩いて松山城近くの公園で朝食をと思っていたら子規の句碑があっちこっちに。新しい句碑ばかりなんだが、俳句の神様だから、出来るだけ参拝しておこうという気になる。

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街道沿いにも子規の句碑が並んでいて、やっぱ俳句の聖地のイメージ。小学校も立派すぎて松山は文化度が違うと関心してしまう。電車の中でもスマホ学生は見慣れた光景だが、俳句なんぞ打っているのだろうか?と思ってみたり。

四方(しも)に秋の山をめぐらす城下哉 子規
杖 に よ り て 町 を 出 づ れ ハ (ば)稲 の 花  子 規
秋の日の高石懸(たかいしがけ)に落ちにけり 子規
山城の廓(くわい)残りて穂麦(ほむぎ)哉 子規

子規に刺激されて一句。

百日紅(さるすべり)城下に刻む子規の句碑  宿仮

子規の句碑を見つけたのはいいが公園が見つからない。スマホの電波がつながらくて地図を見れずに城の周りをぐるぐる回っていた。松山城に登る道があり、うっかり登ってしまい後悔する。

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早朝ランニングで軽々みんな登っていくのだけど、けっこうキツかった。やっと城門にたどり着いたときにはへばってしまった。ただおにぎりを食べる場所を探していただけなのに、朝から何をしているんだ。

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しかし、松山では小学生が松山城でラジオ体操をしているのだ。みんな登ってくるんだろうな。ケーブルはまだ動いてないし。しかし、絶景かな、絶景かな、

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天守閣を眺めながら朝食。

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天守閣に入れるのは、9時からで2時間以上もあったので休憩して下りることに。足軽の仕事はここまで。

足軽や朝飯前の城攻めか  宿仮

松山城はスマホの電波が入らない。Wi-Fiも不安定で。昨日の夜もスマホの電波が入らないで困ったことになった。アーケードのせいかなと思ったのだが松山市全体がそんな感じだった。この近くにもお遍路があったと思い、第48番浄土寺へ。

第七章 恥を知れ胎内地蔵の水子かな ~第48番浄土寺~第51番石手寺~道後温泉(神の湯)

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第48番浄土寺は、木造空也上人立像があるのだが、普段は観られない。大抵御本尊は目に触れるようなものではないのだ。だからありがたい。でも看板のようなものはある。ベンヤミンの複製芸術だよな。信仰ではなく観光になっているのだ。

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ここにも子規の句碑が。さすが俳句の聖地だけある。俳句ポストまであったが、こういうときは俳句が出てこないのだ。今日作った一句。

なんまいだ空也の念仏俳句詠み  宿仮

(また道後温泉に戻って)次に向かったのは、第51番石手寺。ここは凄かった。その前にここにも子規の句碑があるのだ。虚子と漱石の句碑だった。

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漱石

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そして突然、地蔵の集団。これは水子地蔵なのか?

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連句碑もあったが読めない。

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石手寺は、なんの寺だかよくわからない銅像ばかりだ。

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そして胎内洞窟。

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胎内洞窟は目が慣れないと地蔵に足をぶつけて痛い目にあう。コウモリとか飛んでいる。探検気分で面白いのだが、怖さもある。

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七福神は、仏教に帰依した神様たちだから、その他大勢の神様が揃っているという感じなのかもしれない。いかにも密教寺院と感じがする。一日いても飽きないかもしれない。

そしていよいよ道後温泉「神の湯」へ。

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大抵の観光地が期待しすぎてがっかりするように、今回の一番のがっかり名所だった。浴槽は狭いし、なにが特別なのかよくわからん。というか銭湯よりも狭い。湯船には二人も入れればいいぐらい。それに時間制限に休憩室も改装中なんでそそくさ退散。松山を出て宇田津まで戻り、違う公営温泉に入って慰安した。

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ネットカフェまで30分ぐらい歩いて夜の散歩。こんなところにも俳句があるのだ。さすが俳句甲子園の香川県だ。

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女子高生にライバル心を燃やして一句。

スマホから俳句投稿誤送信  宿仮

平地の30分ぐらいは平気で歩けるようになっている。階段は苦手だけど。結局、もう一日四国に泊まることにした。始発に出れば夜には横浜に着く。夜遅く帰っても地元なので地図を見ながら帰ることもない。

このまま四国にいたほうが平和に過ごせるかな。それは非日常だから、日常のストレスない。ストレスは、スマホのバッテリーと地図アプリのいい加減さぐらいだ。TVも見ないしネットもそれほどやらない。

この日は、お遍路二寺と城一つ攻略した。全部で十ヶ所(城はお遍路には含まれないか?)帰りに五キロ先にお遍路があったことを知る。次はここからだなと思って早朝、夜が明ける前にネットカフェを出た。

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