「大人の世界が判った日」の映画
『アルマゲドン・タイム ある日々の肖像』(2022/ ブラジル・アメリカ)監督ジェームズ・グレイ 出演アン・ハサウェイ/ ジェレミー・ストロング/ バンクス・レペタ/ ジェイリン・ウェッブ/ アンソニー・ホプキンス
「アルマゲドン・タイム」というタイトルが不思議に感じたが。「アルマゲドン」が「ハルマゲドン」であると分かったら、ああそうか日本だと「オウム世代」みたいな題名になるのかと。ただそれは一部の人たちを巻き込んだ世代でほとんどのものは無関心だったはずだ。そういうつけがあとの世代にやってくる。そんな感じの映画なのか?
第一印象で思ったのはパソコンを盗むシーンは『大人は判ってくれない』のタイプライターを盗むシーンを連想させた。フランソワ・トリュフォーの自伝的映画とされるフランス映画だ。
ただ大きな違いは『大人は判ってくれない』の少年は感化院に入れられるが『アルマゲドン・タイム』の少年は罪を逃れる。友達の黒人の少年が罪を全面的に受けて、少年は父の力(権力)によって放免されるのだ。それは、「大人はわかってくれない」から「大人の世界をわかった」少年の映画だと理解した。
あと不思議なのはアン・ハサウェイがトップクレジットで紹介されている。確かに監督である息子視点の映画であり、母親は重要な役ではある。それは家父長的なシステムの中で生きた母ということだろうか?息子に暴力を振るう夫の元で絶えず夫に従う妻の役割。いまでは考えられないと思う。子を愛せば即離婚だろうと思える。その従属的な関係はユダヤ社会の家父長的関係にあるのではないのだろうか?
グランド・ファーザーという役割が多いアンソニー・ホプキンス。彼がユダヤ人であり、ヨーロッパで差別されながらウクライナからの移民で財を成して個人主義的に成功したのがアメリカ社会であった。そして娘の婿は低所得者層の人間だが彼は結婚を赦した。そのユダヤ家族のコミュニティの中で父親は義父である父を尊敬したのだが、義父の理念まで受け継いだとは言えない。それはアメリカの自由主義社会の限界なのか?奇しくも義父の死後にレーガン政権が誕生したのだ。
反抗できない父(母)世代の中にあってヤッピー的生き方を望んだのがこの世代であろうか?コンピューター世代のアメリカ社会を見るようだった。その中で黒人の少年は絶望するしかなく、ユダヤ人の青年は罪を告白する映画を作る。
もうひとつ泣ける動画があり、裁判官になった女性判事が昔一緒に遊んだ黒人の罪を裁くという映画のような動画があったのだ。それが真っ先に浮かんできたのだ。
夢のようなドラマが終わった後にエンディング・クレジットの長い暗闇の中で凍りついてしまった。