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シン・俳句レッスン34

コスモスも難しいんだよな。ありきたりな句が出来やすいという。そんなの気にしなければいいんだけど。

コスモスや並べてみればみな同じ

NHK俳句

「ツユクサ」

夏井いつきさん「七五三」、山田佳乃さん「冬構(ふゆがまえ)」~9月18日(月) 午後1時 締め切り~
村上鞆彦さん「落葉」、高野ムツオさん「手」
10月2日(月) 午後1時 締め切り

俳句もいまいち乗らない。ネット句会も低調だった。もっとも過去作でここの自選から漏れた句だったから。しゃかりきになって投稿しても評価が得られないから手を抜いた。選評も気が進まない。この残暑に俳句が詠める方がどうかしている。季節感なんてほぼゼロだった。でもコスモスで一句作ったのだ。山口百恵の「秋桜」を想起して。

出戻りと秋桜見るや母なみだ

ざれ句しか出来ない。

富沢赤黄男

川名大『昭和俳句 新詩精神(エスプリ・ヌーボー)の水脈』から富澤赤黄男の連作としての「蝶落ちて」の読みの試み。

冬影   旗艦一月

冬天の黒き金魚に富士とほく
冬蝶は雪崩の響をききにむけ(註 この句は抹消されている)
冬蝶のひそかにきいた雪崩の響
絶えて墜ちて大音響の結氷期
風雪の火焔めらめらはしる雉
断崖の冬かげらふの炎のゆるや快(よ)しゆるるや快し

「蝶墜ちて」の単独の句の鑑賞の場合は、「カタストロフィの中で極度の緊張した心理状態を蝶が墜ちることによって具現化した」(松崎豊)。しかし連作とみた場合には「蝶」と「結氷期」の飛躍は二物衝撃というよりは「冬影」というテーマに沿ったものである。

「冬蝶は雪崩の響をききにむけ」の「冬蝶」「雪崩の音」は「冬蝶墜ちて」から「大音響の結氷期」への展開はむしろ連続的展開である。それは赤黄男の意識は、時代閉塞の軍事的、国家的カタストロフの洞察、象徴として読み取ることは否定されなければならない(社会を詠んだのではなくを個人の気分を詠んだ)

それは「旗艦」を「日本俳句」に改称することを勧める「ヒトラーのわが闘争を今日始めて読んだ。強烈な意欲に打たれる。」と書いた日記の後に連作されたのだった。

秋影

曇天の空秋桜咲けり
秋蝶はしがみつく脚秋桜咲けり
秋蝶はひそかに聴いた風の音
秋蝶は秋桜の秋の噂を次から次へ
秋蝶や風の噂を花から花へ
秋桜や風の噂をてふからてふへ

藤木清子

(不眠症)
めつぶればこほる瞳に灯が憑けり
(ひかりの幻惑)
暖炉耀り白蝋の手のダイヤ燃ゆ
(放浪の弟に寄す)
飢えつゝも知識の都市を離れられず
凍えては国禁の書を手に触れな
(怨しき思い出 父と姉を同じ日に失ひけるその一周忌に)
網膜にそのおそろしき光景(ありさま)を
(未亡人を詠へる)
亡夫(つま)の額に日ざしがぬくゝとけてゐる
(手記)
不楽(さぶ)し妻春荒びたる部屋がある

宇多喜代子編『ひとときの光芒 藤木清子全句集』

秋桜やデマゴークの終末か

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