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後輩書記とセンパイ会計、 不浄の美脚に挑む

 開架中学一年、生徒会所属、有能なる書記のふみちゃんは、時代が違えば、かの水戸光圀公の話し相手にだってなれただろう。社会の資料集にも出てくる、石庭で有名な龍安寺にある『つくばい』という石は水戸光圀の寄進らしいとふみちゃんから教わったが、この石に刻まれた四文字『吾唯足知』を「吾ただ足を知る」と読んだ一年先輩の生徒会所属、平凡なる会計の僕は、およそ吊り合わないほどの故事知らずで、数学が得意な理屈屋で、バレンタインを前にして眼鏡を新調するか悩んでいるところだった。
 二月十日。この日は、後で調べたところではフットケアの日だと言う。二月十日だからだ。日本フットケア協会が決めたらしいが、ほんといろんな協会があるんだな、と感心する。
 放課後、今日は生徒会の仕事もないので、普通に下校していると、ふみちゃんもちょうど帰るところだった。正門のあたりで顔を合わせた。横にはふみちゃんの友達もいる。生徒会の後輩とは言え、気軽に話しかけていいのかな、と一瞬迷ったが、先にふみちゃんが声をかけてきた。
「数井センパイ、違います」
「――なっ、何が?!」
 出だしからいきなり違うと言われてしまった。
「いま、『あ、話しかけていいのかな?』って迷いませんでしたか?」
 その通りである。考えを見抜かれた照れ臭さを隠しながら、僕は開き直った。
「え。じゃあ、話しかけるよ」
「遠慮なんかしないでください」
 ふみちゃんはにっこりと笑った。すると、友達がまるで空気を読んだかのように「また明日ねー」と手を振って別の方向へ行ってしまった。いや、単純にそっちが帰る方向だったのかもしれないけれど。何となく二人きりっぽい雰囲気になったかと思ったら、ふみちゃんは僕の目をじっと見つめた。嬉しいを通り越して、うっすら恐い。
「数井センパイ、お願いがあります。ちょっと足貸してください」
 おっと。僕はふみちゃんになら喜んで顔を貸すし、手も貸すし、何なら少しくらいお金も貸すが、足を貸すのは中学生には難しい。ふみちゃんは国語の達人なのだが、ちゃんと意味をわかって言ったのだろうか。
「何を貸すって?」
「センパイ、違います。自転車の後ろに乗っけてって欲しいんです」
「ん? どこまで?」
「――約束の場所まで」
 要するにこういうことだった。ふみちゃんは、生徒会の女子副会長・英淋さんの伯母さんがやっている足湯カフェなるお店に行く約束があるらしい。フットケアの日だから半額お試しキャンペーンとかで、英淋さんに誘われたそうだ。ちなみに、英淋さんは僕と同じ二年生だが、留学経験があるため年齢は一歳上である。
 あと、ふみちゃんは自転車に乗れない。
 中学一年だが、ふみちゃんは自転車に乗れないのだ。その足湯カフェは近くに駅やバス停がなくて、車や自転車で行くしかないが、ふみちゃんには足がない。で、困っていたとき正門で僕に行き会ったわけだ。これは後ろに乗せないわけにはいかない。
「寂しいので来てください」
 一瞬戸惑った僕に、ダメ押しでふみちゃんが言った。その言葉を聞いて、一瞬戸惑った自分をよくやったと誉めてあげたい。
 ふみちゃんを近くの公園で待たせて、僕は急いで自転車を取りに行った。カバンだけ置いてすぐ戻ると、ふみちゃんが公園の水を飲もうと背伸びしていた。そこに横づけし、「さぁ、乗って」と誘う僕は誘拐犯のように見えたりしないか心配だ。まあ、お互い制服姿ではあるのだけれど。
 ペダルを踏んで漕ぎ出すと、ふみちゃんはきっと何も考えず、無意識に両手を僕の首に回し、きゅっとしがみついてきた。多少はこういう状況も予想していたが、はるかに想像以上のやわらかさだった。胸は当たるほど大きくはないのだけど、『吾ただ足るを知る』という心地だった。昔の偉い人は中々いい言葉を残したものだと思う。
「ふみちゃん、平気?」
 安全運転を心がけながら、一応聞いてみる。静かだったから、声が聞きたかったのもある。
「センパイ、後ろに乗るの楽しいです」
 それってまた乗りたいってことなんだろうか。ただ、ふみちゃんは素直な感想を言っているだけにも聞こえた。
「うん、いつでも乗せてあげるよ」
「センパイ、違います。自転車登校は禁止です」
 くすくすと笑う声が首筋に届いた。

 ……と、ここまで自分で振り返るのも恥ずかしい青春のワンシーンをやっていたわけだが、今回は純粋にふみちゃんの〝足〟で終われば良かったのに、とつくづく思う。どうしてあんな大騒ぎになったかと言うと、やっぱりそうなる条件が揃っていたのかもしれない。
 足湯カフェのドアをくぐると、女子副会長・英淋さんが私服姿でイスに座り、僕たちが着くのを待っていた。一度家に帰ったみたいだ。ピンク色のタートルネックセーターで、普段の制服姿のしゃきっとした雰囲気とはまた違う。
「数井くん、自転車で足疲れた?」
「いや、ふみちゃんはマシュマロみたいに軽いですから、全然余裕です」
 横からマシュマロにぽこぽこ殴られる。
「あはは、そんなでっかいマシュマロいないって」
 と英淋さんは楽しそうに笑ったが、何だかちょっとズレた感じだった。でも、確かにマシュマロを三つつなげて髪の毛を置いて両サイドを白いリボンで結んだら、ふみちゃんになるかもしれない。英淋さんはいつも意外に的確だ。
 英淋さんの会員カードで、新参二人はお試し価格で入れた。店員さんが優しく案内してくれて、フットケアの説明が始まる。店内はやっぱり女性のお客さんばかりだ。僕はちょっと心細くなりつつ、店員さんから小さな桶とハンドタオルを渡された。ちょっとした温泉みたいな気分だ。
 足湯カフェ初体験の二人は、英淋さんが紺のハイソックスを脱いで素足をお湯に浸すのを見て、後に続いた。僕は普通の白い靴下でちゃんと畳んだが、ふみちゃんの靴下は赤いリボンがついていて、脱いだら丸めるクセがあった。お泊まり会の子どもみたいだ。
「数井くんて、眼鏡やっぱ曇っちゃうね」
 英淋さんが面白げに笑う。いや、別に僕でなくても眼鏡は曇るのだけれど。前も英淋さんから眼鏡を話のネタにされたが、そんなに眼鏡が珍しいわけでもないのに。
「英淋センパイ、違います」とふみちゃんが得意げに言う。「あの二階にいるでっかいのにビックリしたんですよ」
「ん? 二階にいるでっかいの?」
 英淋さんが問い返した。僕も同じく耳を疑った。
「何かむずがゆそうに悶えているでっかい足が。天井の穴から出てます」
えっ、どうした。どうしたどうしたどうした。この店はどう見ても二階がない。階段もない。ちょっとアジアのリゾートっぽく植物が飾ってあるが、基本コンクリートの平凡な天井だ。穴などない。だが、いるらしい。ふみちゃんのカバンから花柄のしおりが渦巻くように立ち昇るのを僕は反射的にタオルで抑えた。必死で脱出しようとするのを桶で防いだ。他のお客さんを動揺させたくない。
 ただ、つまりはやっぱりいるらしい。文系の女の子に見えて理系の僕に見えない何かがあるのだろうか。あるとすれば探るしかない。
「……天井の穴から……何が出てるの?」
「バカみたいにでっかい足です。足を洗ってあげないと暴れます」
 何その無茶苦茶なやつ。英淋さんも血の気が引いている。ふみちゃんのこういう状況を見るのは年末の大掃除以来二度目のはずだ。耐性があるわけない。あっちゃいけない。
 ただ、ふみちゃんが僕たちに言う以上、何かある。
「洗うって――お湯で?」
「センパイ、違います。ペディキュアって何ですか?」
 そこから溢れ出す状況説明は雑だった。天井の穴から突き出ている足はきれいな女性らしい。すねから上は天井の先にある、巨大な女性の足らしい。足の爪に塗った色が少し剥げてきたから、レディのたしなみとして落としに来たのだと。待ってるのに店員が来ないと喚いていると言う。
 鬼のように剛毛が生えた動物的な足を想像していたので勢いが削がれてしまったが、とにかくのんびり足湯に浸かっている場合ではないだろう。英淋さんの伯母さんのお店が壊れる危機なのだ。
 けれども、見えなくて触れられないものを洗えるわけがない。洗えない。だがこのままでは壊れる。だが洗えない。僕は頭を抱えた。ふみちゃんも僕の悩みがわかったのだろう、ひどく不安げな顔で覗き込む。僕は唇を噛んだ。
「……英淋さん、ちょっと――困ったことが」
「う、うん……」
 英淋さんは、ここまでのやりとりを横で見ていてどれくらいふみちゃんの言葉を信じたかはわからない。ただ、そんなことよりも、足を洗わないと店が壊れるなんて今までで一番重い課題だった。無理だろ、帰れよ、頼るなよ、大きいんだから自分で何とかしろよ、と僕は足に言いたい。
「センパイ、そろそろ我慢の限界っぽいの……」
 ふみちゃんがすがるように弱り顔を見せる。今なら二人を連れて店を脱出することもできるかもしれない。だけど、元凶が見えているだろうふみちゃんは黙って従ってくれるのか。それと、神仏の信仰に厚く、身内をとても大事にする英淋さんは店の崩壊を見たらどれほど悲しむことか。
 もう、やっぱり、でかい足をどうにかするしかない。見えない触れない足を、洗うしか、そうなんだけど――。
「あら、ふみすけちゃん、また困ってるの?」
 不意に、後ろから聞き覚えのある大人の女性の声がした。振り返ると、屋城銀河さんだった。
 僕たち生徒会の会長である屋城世界さんの姉、銀河さん。ややこしくて、しかも名前のスケールがでかいのだが、世界さんは男で、銀河さんは女だ。世界さんは中学三年生で、銀河さんは大学院生だ。長い黒髪を今日はポニーテールにくくっていた。ふみちゃんは驚いた顔で首を横に振る。
「銀河さん、違います。困っているのは、でっかい足の女の人です」
「――ん? でかい足?」
 銀河さんはピチッとしたワニ皮のジャケットと黒い毛皮のパンツで、冬なのに驚くほど潔くスラッとした素足を見せつけていた。黒いタイツを膝上まで履き、太ももが伸びやかで、座って見るとすごく足が長く見えた。
「君は――数井くんだっけ。私たち、足湯に縁があるね」
「まさか、ここで銀河さんに会えるなんて」
 銀河さんは目を輝かせた。
「だって、フットケアの日でしょ?」
 足にうるさい大人の女性はみんな今日がフットケアの日だと知っているかと錯覚するような堂々ぶりだった。
「数井くん、ねぇ、でかい足って? しんどい話?」
 ゼッタイ厄介事だよね、という笑みを浮かべ、銀河さんは自分から首を突っ込んできた。
 瞬時に、僕は意を決した。銀河さんは去年、秋の生徒会合宿で、岩手の温泉郷でふみちゃんが〝見えている〟らしいことを体験している。足湯の縁とはまさにそのことだった。あのときはふみちゃんを制するだけで済んだのに。
 ちなみに、その合宿を家族行事で休んだ英淋さんと、銀河さんは初対面のはずだ。二人の会釈が済んだタイミングで、僕は銀河さんを勝手に運命共同体に組み込もうと、ふみちゃんから伝えられたこの店の危機を説明した。
 話の最後に、テーブルに伏せた僕の桶を少し開け、タオルの中でもがいている花柄のしおりを見せた。例の温泉郷で見た状況と同じである。銀河さんはオッケイと頷いた。
「そりゃあ、壊れたら困るよね」
 銀河さんは腕を組んで天井を見上げる。もちろん視線を向けたと言っても、天井の穴から突き出ているらしい女性の足が見えているわけではないだろう。
「数井くんはどう思うの?」
「足を洗う方法が……正直、思いつきません」
 これは男の子には荷が重いよ、と銀河さんは笑った。
「だいたい来る店が違う。何がレディのたしなみだって? ペディキュア落とすならネイルサロンに行かないと」
 ふみちゃんはきょとんとする。
「店が違うんですか?」
「ファッションとリラクゼーションは違うよね。両方やってくれるトータルケアの店もあるけど、このお店は足湯とマッサージと喫茶のお店だもん」
 理解が難しかった。ふみちゃんはカタカナに弱く、僕よりもっと曇った顔をする。英淋さんは恐々と口を挟んだ。
「でも、ネイルサロンに移っても今度はそのお店が……」
 銀河さんが信じたことで、英淋さんもこちら側の共通認識に入ったようだ。その通りだ。足をこの店から立ち去らせるだけだと問題は片付かない。結局誰かが被害に遭うのなら、他人事みたいに足湯に浸かっている場合じゃない。
 再び頭を抱えた時、ガタガタガタッと店内が揺れた。まさに地震のようだった。他の客も地震かと騒いでいるが、元凶はたぶんそうじゃないだろう。ふみちゃんは僕の腕にしがみつき、地震よりも強く激しく揺さぶってくる。
「センパイ、どうしよう! すごい貧乏ゆすりした!」
 わかってる。僕がちゃんと守る。何としても答えを出すから。
「時間がないんだな。だったら、もう足に諦めてもらうしかない」
 やるしかない。ふみちゃんに見えるもの、銀河さんの助言、英淋さんの願い、全部を総合すれば消去法になる。
「足は、店員を待ってるんだろ? メニューを見せよう」
 そして、僕は自分のペンケースから黒ペンを取り出し、店員にバレないように勝手にメニューに書き足しをした。それを、ふみちゃんの言う大きな女の足が突き出ているあたりに持って行き、ぐっと開いて見せた。
 メニューにはもともと足湯やフットマッサージの料金表や、様々なハーブティの種類と値段が書いてある。それはさておき、僕はメニューの裏にこう書き足した。
『足のサイズが五十センチ以上の方は、人間の店ではお取扱いしておりません』
 巨大な女の胴体は天井より上にあるはずだと思う。で、メニューが見えないと困るので上に向け、こうかな、こうかな、と角度を変えながら状況の変化を待った。幸い、たぶん足元あたりでメニューを開いた瞬間、一旦、店内の揺れは収まったので、意思疎通はできたはずだ。後は、これで収まってくれるかだ。そう祈って目を閉じた瞬間、
 ドスンッ! と音が鳴り響き、店内が激しく揺れた。
「数井センパイ――消えた! でかい足が引っ込んだ!」
 ふみちゃんがお湯に濡れた裸足で転びそうになりながら、嬉しそうな声を上げて僕に飛びついてきた。さっきの巨大な震動は、女の去り際のひと踏みだったらしい。まあ、納得して帰ってくれたなら、一応片付いたのだと思う。

 銀河さんは功労賞として気前よく三人の足湯代を全部おごってくれて、一足先に足湯タイムが終わった僕たちは店の前で英淋さんと別れた。ふみちゃんは何の遠慮もなく僕の自転車に後ろにちょこんと座り、満面の笑顔を見せる。
 来週はバレンタインだが、ふみちゃんとは別に進展はない。吾ただ足るを知る――その言葉を心に思い出し、背中に抱きつくふみちゃんを乗せてゆっくり帰るだけだ。
(了)

各話解説

 第六作目「不浄の美脚」は、世界さんの姉・銀河さんの再登場です。本所七不思議の一つ『足洗邸(あしあらいやしき)』が題材ですが、とにかく足をモチーフに物語を構成しています。本来『足洗邸』はもっと汚い化け物の足なのですが、巨大な男の足を数井くんがせっせと洗うというのは絵的に美しくないので、高慢さを帯びた女のきれいな足という設定になりました。――と色々書きましたが、要はふみちゃんと自転車二人乗りを書きたかっただけです。

 さて、後輩書記とセンパイ会計シリーズは、全体を通してこだわったのは、妖怪名をあまり積極的に出さない点です。もちろん、座敷童子や貧乏神などメジャーな妖怪を除き、このシリーズはあくまでそういうのに疎い(というか詳しくないのが普通でしょう)数井くんの知識レベルに合わせています。何か見えないものがいるようだ――だけど、どんな形かも知覚できない、ふみちゃんの説明以外の情報が得られない、という状況を軸に展開することを基本スタンスにしています。だから、このシリーズを読んでも妖怪には詳しくならないですが、数井くんの置かれる状況を追体験しながら物語を愉しんでもらえると幸いです。

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