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幕間話003_玉座の花(中編2)

「これが、人のいないお城なんだ」

門番の大男に追われないように、お昼の交代時間を見計らって。
変な目で見られないように、人目につきにくい裏小道を通って。
天気予報と潮の満ち引きのタイミングを叩き込んだ頭で、川を渡りきって水を汲む。
そうして、ようやく。目前に扉。

願いの決行日まで、計画から実に2ヶ月が経っていた。


「入って、大丈夫だよね。おじゃま、します。」

城の外壁の塗装は少し剥げて、人が居なくなってからの時を感じさせる。
ところどころに蜘蛛の巣があるのも、やはり人がいないからだろう。
立派な庭園だったと聞いた場所も枯れ果てて、この城の"主人"が居た頃の面影もほとんどなくなってしまっていた。
あたしが見た昔の写真を思いかえしても、こんな姿になるとは想像できないような立派さだったので、少しだけ胸が痛む。
どうしようもなく、時間が残酷に感じた。


噂通りに、脇目もふらずにまっすぐに歩く。絵画や陶器など、なかなかに高級そうなものが目に入る。どんなに気になっても、ここでは気にしないことが肝心だという。奥の部屋まで、一直線に歩いたら、願いを叶えてもらうのに必要なものを取り出す。

城前の川の水。
落ちた椿と百合の花を1輪ずつ。
そして、月光のもとにさらした月光石。

願いの大きさに代わる代償や生贄あるいは献上品だけじゃない。これらをすべて揃えてくることで、ようやく選別の儀を受けられるというわけである。まあ、願いの代償の部分は「あちら側」が決めるのだというので、あたしには準備できないのだけれど。

小さな献上台の上の2つの盃に川の水を注いで、手前に二輪の花を。
あとは所定された場所に石を置いて。
一歩下がって、目を閉じた。

静かに応えを待っていると、ふーっと風の気配がして声がした。

「こんばんは、お嬢さん。」
「こんな夕暮れにどうしてここまでいらしたのかな」

成功者の話もうわさも人伝に、どうにかして集めたすべての情報でここまで来た。この先の応答だって目はまだ開けてはいけない。この城の"主"にあたしは叶えてもらはないと困る。

「あたしは、レティシア。どうしても、あなたさまにお願い事を聞いてほしくてきたのです。」
「ほぅ、素直なお嬢さんで」
「その小さな身で川を渡ってここまで来れたのか」
「は、はい。どうしてもここに来る必要があったので」
「ふむ、よろしい」
「まずは、目の前の盃に手を伸ばせ」
「片方だけで良いから、盃を掴めたら、掴んだ盃の水を飲むと良い」
「それから話をしようか」

途切れた声に戸惑いながらも、小さく一歩だけ前に踏み出す。先程の老いた間隔を思い出しながら、左手を伸ばして盃を取る。水を飲み干すと、盃を持ったままどうしたらいいのか分からずに佇んでしまった。その様子を見ていたのか、目を開いても良いという声がかかったので、ゆっくりと目を開く。

どうやら、知らない間に一面が白い空間に飛ばされたらしい。先程と変わらないのは、献上台が目の前にあることだけで、周りには誰もいない。
先程の声を発していたであろう"主"というものも、姿が見当たらなかった。だが、ひとりではない。複数人の気配と目線を感じるような気がした。

「よし、ここで良いだろう。人は入り込むまい。何を言おうとお嬢さんの自由だし、それに合わせて私や私の仲間もいろいろと考えてあげよう」
「さあて、何を望むかね」

「あ、あたしは・・・・・・」
全身から、少し汗が出ていく感覚。震える、声。一度だけ大きく深呼吸をする。


「あたしはね、大切な時間を一秒でも長く過ごして、ずっと覚えていたいの。」


「お父さまにも、お母様にも、もう会えないから。空高いところに向かってしまったらしいし、夢で何度も見ちゃって。本当はもう少し一緒にいたかったの。」
「良い思い出も嫌なことも沢山あったけど、あたしはまだ覚えていたいの。もちろん、最近仲良くなったお姉さんのお店のごはんやこれからできるかもしれないお友達のこと。いろんなこと知りたいし、覚えていたいです。」
「だって、大事な思い出だもの。忘れたくないから。」

お父さまもお母さまも、遠くに行ってしまったし。そのあとのあたしの生活なんて、人が通り過ぎていくのを見てばかりだし。


「難しいお願い事だね」
全てのことをひと息で言い切ると、先程までの声とは少し違うような、少し冷えた声がした。
「わかって、います。それでも、どうか、お願いします。」
まだ大人じゃない私の願いでも、叶えてくれるなら。
どんなバッテンを喰らっても、構わないから。
口の中で血が滲んだような味がしても、両手に食い込む爪がいたくても、
あたしは強く願い続けた。

少しの間が空いて、声がする。
「少し待っていてくれるかい。今答えを出してあげようね」
なんだかその声に足が重たくなった気がして、もう声も出ない。
汗が流れていく瞬間でさえ、いつまでも長く感じられた。

私は、審判を待った。



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