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旅先

16年と数ヶ月、人生を共にした猫を見送った。

向かった旅の先がどこなのかはわからない。
彼女はそれを言わなかったし、私も聞かなかった。

16年と数ヶ月前、ダンボールに入れられて私の人生にするりと入り込み、そして、するりと出ていった。

本格的な旅支度が始まってから約2ヶ月弱の間、定休日以外毎日彼女を連れて病院へ通った。

毎朝片道15分の道のりを、徒歩のリズムに合わせながら「ツーさん、がんばれ。ツーさん、がんばれ。」とぶつぶつ呟きながら歩いた。

ちようど季節の変わり目に、道の途中鮮やかな真っピンクの花びらが地面に散っていて、まるで舞台に舞い落ちた無数の紙吹雪のようだった。

私はそれを目にし、この先この花を見る度に今日の事を思い出しそうで嫌だなと目を逸らし、それでもやっぱり記憶に焼き付けておこうと写真を撮った。

できるだけ楽観も悲観もせず、目の前にいる彼女のコンディションに注視し、彼女の意思表示に耳を傾けながら過ごす姿勢は、信頼するドクターから学んだ事だ。

そして自分自身が塞ぎ込み、病に倒れるなどあってならないので努めて明るく過ごし、盛大にギャグをひとりごちながら盛大にひとり滑る毎日は、悲劇と喜劇が表裏一体となった日々だった。


私はコミュニケーションを生業にしている。

コミュニケーションは受け手側のものであるという事になぞらえるのであれば最後の日、彼女の言葉の数々は、私への愛だったと断言できる。

私も時に送り手となって最大限の愛を伝えたが、どうだったか。彼女も同じように受け取ってくれたなら嬉しい。

葬儀の日、「また会おうね!」「行ってらっしゃい!」「帰りを待ってるからね!」とそう言いながら絶対にもう会えないのだとわかって、それは自分が正気を保つための祈りの言葉となった。

この世に絶対はないと思っていたけど、絶対はあった。

海の向こうに居る親友にそうメッセージを送ると、絶対的な動かしようのない事実もまた、捉え方と重みは流動的で、時と共に変化するものだよと返事があった。

それは私にとって希望の言葉となった。


あれからも私は同じリズムで歩いている。

今度は「aoten、がんばれ。aoten、がんばれ。」と、ぶつぶつ呟きながら歩いている。


ある日晴れた空を見上げて「また会おうね!」
と比較的大きな声で言った後、もしかすると旅先から時々は便りがあるかもしれないと、ほんの少しだけ思った。

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