韓国の大統領選に見る事大主義と李氏朝鮮の亡霊

相変わらずわけのわからん前近代に生きてるなこいつら。。

韓国与党「共に民主党」の李在明(イ・ジェミョン)大統領選候補の選挙対策委員会で「常任委員長」に任命されたとして任命状の写真を公開した人物が、野党「国民の力」の尹錫悦(ユン・ソクヨル)候補に呪いをかける儀式を行ったとして写真を投稿した。この件が物議を醸すと、問題の写真は削除された。

 ナムと名乗るこの人物は13日、自身のフェイスブックに「これから『五殺』の儀式を始める」「尹錫悦を民族の名において断罪する」と投稿し、4枚の写真を公開した。五殺とは、過去の王政時代に行われていた処刑方法の一つで、殺害後に頭・胴体・手足をバラバラにするものだ。主に逆賊を処刑する際の方法だった。

 ナム氏が投稿した写真にはわら人形が写っている。人形の顔には「ユン・チョクポル」と尹錫悦候補を侮辱するような名前が書かれている。わら人形に鋭利な道具を突き刺す写真もあった。

藁人形とかほんと中世に生きてんな。遡及法ありありだから中世で当たり前なんだが。

チョクポル

地下鉄のような公共交通機関を利用する時、男性が隣の人に迷惑をかけるほど足を広げて座る行為を称する「チョクポル男」

韓国は李舜臣をやたらと持ち出して倭寇倭寇とやかましいが

ナム氏は「新たな大韓民国で、傾きかけた大韓民国を立て直すことに残りの人生を全てささげたい」として「同志の皆さんの参加を待っている。朝鮮の水軍が死をもいとわず李舜臣(イ・スンシン)将軍と共に朝鮮を倭寇から守ったように」と書いた。

お前ら国を立て直すときに第一に考えるべきはこっちじゃないの?以下Wikipedia

1636年、後金のハーン・ホンタイジが国号を清として新たにその皇帝に即位し、李氏朝鮮に君臣関係による朝貢と服属を求めた。朝鮮の国王仁祖が拒絶したため、ホンタイジはただちに兵を挙げ、朝鮮軍はなすすべもなく45日で降伏した。和議の条件の1つに大清皇帝功徳碑を建立させた。仁祖はこの碑を建てた三田渡の受降壇で、ホンタイジに向かって三跪九叩頭の礼を行い、許しを乞うた。

国王が三跪九叩頭の礼やって。

朝鮮は清国に対し、臣としての礼を尽くすこと。
朝鮮は明の元号を廃し、明との交易を禁じ、明から送られた誥命と明から与えられた朝鮮王の印璽を清国へ引き渡すこと。
王の長子と次男、および大臣の子女を人質として送ること。
清国が明を征服する時には、求められた期日までに、遅滞なく援軍を派遣すること。
内外(清国)の諸臣と婚姻を結び、誼を固くすること。
城郭の増築や修理については、清国に事前に承諾を得ること。
清国皇帝の誕生日である聖節・正朔である正月一日・冬至と慶弔の使者は、明との旧例に従って送ること。
清国が鴨緑江の河口にある島を攻撃する時に、兵船五十隻を送ること。
清国からの逃亡者を隠してはいけない。
日本とは旧来通り、貿易を行うこと。
清国に対して黄金100両・白銀1000両と20余種の物品(20余種の物品とは具体的には、清国に朝鮮人美女、牛、馬、豚など各々3000などの物品のこと)を毎年上納すること。(出典:朝鮮王朝実録 仁祖録 仁祖十四年一月二十八日)

ここまで屈辱的な条約結んでたのに?

そっちは気にならないの?

迎恩門は?独立門はどこから独立したと思ってる?

この門は、漢城の西大門である敦義門のすぐ外、義州を経て北京に至る街道に建てられていた。中国の皇帝の臣下であり、冊封国であった朝鮮の歴代の王が、中国の皇帝の使者を迎えるための門であった。1407年には慕華楼という使臣のための建物が建てられていたが、1536年に金安老(朝鮮語版)の建議でそのそばに「迎詔門」を立てた。しかし1539年に明の使臣で来た薛廷寵は、使臣は中国皇帝の詔書や勅書や下賜の品々を持ってくるのに、門の名前が「詔だけを迎える」ではおかしいと言いがかりをつけ、朝鮮側は名前を「迎恩門」に変えた。1606年に来た明の使臣朱之蕃が書いた門の扁額が国立古宮博物館にある[1]。

これを日清戦争で

日清戦争で日本が勝利し、1895年の下関条約で、清の冊封体制から李氏朝鮮は離脱した。こうして大韓帝国が成立、独立協会は迎恩門を取り壊し、1897年に独立の記念として新たに独立門を同じ場所に建てた。迎恩門に隣接して建てられていた慕華館は独立門建立時に独立館に改名された

こうなったのは覚えてないの?

過去の歴史について盲目過ぎませんか?

2021年6月2日 - 韓国大学総学生会連合のメンバーが独立門前で日本に抗議する無届けデモを実施。「独島が日本の領土という東京オリンピックと日本政府を強力に糾弾する」と書かれた旭日旗を燃やした(独立門への誤解は前述)[5]。

李氏朝鮮未だ滅びず

韓国時代劇を見ていると、標的を呪い殺すために呪詛をするシーンがよく出てくる。なぜ、それほど呪詛が頻繁に行なわれていたのだろうか。

実は、朝鮮王朝時代には、呪術的な儀式で本当に人を呪い殺すことができると信じられていた。

現代的な感覚では「まさか? 」と思うかもしれないが、朝鮮半島には有史以来、独特のシャーマニズムが根づいており、呪術的な儀式を受け入れる下地があった。

そもそも、シャーマニズムというのは、シャーマン(霊的なものと直接的に通じる宗教的な霊能者)を介して神霊や死霊などと交渉する原始的な呪術や宗教現象を言う。このシャーマニズムの影響が朝鮮半島では歴史的に強く、現代でも朝鮮半島の地方に行くと、シャーマンを通して亡くなった人の霊と通じようという儀式が行なわれている。
その結果、朝鮮王朝時代には、多くの王族女性が呪詛をした罪を問われて、最後には自害させられている。それほど、呪詛は大罪になった

こういうのは前近代でやってくれねえかな。
未だに大統領選でやるかね。ほんと。

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