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寧々の戦国日記(八幡和郎+八幡衣代著、ワニブックス刊)

寧々は、豊臣秀吉の正室、北政所である。高校時代だったと思うが、井上靖の「淀どの日記」を読んだことが頭をよぎった。淀どのすなわち茶々は、秀吉とは年の離れた側室であるが、世継ぎの秀頼を生んだ母ということから、よりドラマチックに小説になりやすい。醍醐の花見の豪華賢覧さが何となく印象に残っている。
寧々の日記であるが、著者は、なるべく時代考証に忠実に歴史を描いているという。と言いつつも、寧々なりの筋の通った理解をもとにして、というのは感じられる。イラストもあって、また寧々の語りの形式をとって読みやすいように工夫されているが、戦国時代の秀吉を取り巻く武将の数も半端なく、ましてその血縁の複雑さは、大変なもので、この種の物語を書く人の頭脳構造に敬服する。
もっとも、年表や木下・豊臣の系図も記されていて、混乱した頭の中を整理できるのは、ありがたい。
「本能寺の変」が何故起きえたのか、そして直後の秀吉の「中国大返し」がなぜ可能だったか、を寧々の想像も含めて解説されると、説得力を感じる。そして、ここだけではないが、戦国時代という男社会にも拘わらず、実際には女性が、奥方とか母親とかいう立場で、男の行動や判断に大きく関係していたであろうことについても、さもありなんと思わされる。表の歴史にあまり見えないことが、大河ドラマでも、女性の発言力や影響力が演じられていたりするのは、そこに人と人の関係の面白さを見るからであろう。
甥にあたる秀次の存在は、関白にまでなって、時間をかけて秀吉の跡継ぎとしての形が整えられていたのに、秀頼の誕生によって、秀吉としては、秀頼を豊臣の後継者にするためのさまざまな画策について、寧々の気持ちも込めつつ歴史を語るのは、新鮮に感じられた。
慶長の役を始めとする朝鮮出兵や明との戦いなどは、なるべく触れないことが、対韓国、対中国への配慮のようなことを感じたりはするので、実態がどうであったかについて、興味を持つこともなかった気がするが、こうして何があったかを寧々の口から語られると、やはり歴史を踏まえないと、今の社会も見えてこないと改めて思った。
和郎氏があとがきに記しているが、今こそ、家康でなく秀吉のようなリーダーが日本に必要だという点も、寧々の立場から素直に、秀吉の卓抜さを語っているひとつひとつが裏打ちされるように読めておもしろい。江戸幕府260年が平和な時代として、また自然共生社会として存続したことを、SDG‘sとともに評価している現代であるが、それは家康の敷いたレールというだけではなく、秀吉が実質的に戦乱の世を統一し、方向付けたということは間違いないように思う。太閤検地や刀狩りの意味は大きい。士農工商という身分の問題にしても、極めて表面的にしか、理解していなかった。
教科書に表現される歴史は、その国の今の政治の立場がもとになっていて、肝心なことが見えなくなっていたりする。むしろ、語り部の語りこそが歴史だというような思いを、野家啓一の著作を読んで感じたことがあるが、秀吉をずっと見ていた寧々が、信長から家康までの時代を歴史として語っているのは、実に見事だ。

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